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儚く頼りない幸福のひと時


「あうぅ……」


 待てどもブレンダの啜り泣く声は止まない。

 いい加減、少しは気の利いた言葉の一つかけてやれないやしないかと思考を巡らせたシュシュだが、傷心の未亡人を慰める言葉など浮かぶはずもなく、ただただ時だけが過ぎていく。

 ブレンダの悲痛な泣き声がピタリと止んだのはその矢先である。

 横顔を見ればまだ、いやむしろ先程よりも大きな粒の涙を零し続けている。


「あ、あの……ブレンダさん?」


 恐る恐る、シュシュは窓の外遠くに目を奪われたままのブレンダに問いかけた。


「ーーーーッ!!?」


 咄嗟に、ほぼ直感的にシュシュはブレンダに飛び付いた。

 事もあろうに彼女は窓枠から大きく身を乗り出し、それは今にも投身自殺を試みようとしているに違いないと察したからだ。


「待って! 待ってください、ブレンダさん! 自殺なんてらしくないです! あなたは前向きで明るい人だったじゃないですか! 確かにお気持ちは察して、いやわたしにはわからないぐらい深く悲しみ、傷ついているとは思いますが、死ぬのはダメです! お願いです! 気を強く持ってください!!」


 ブレンダの細い腰を抱きしめ、必死に説得を試みるシュシュ。だが、不思議と彼女は抵抗することはない。むしろ、シュシュに身を任せているような手応えだ。




「違うの……違うのよ」




 目に溜まった涙を拭い、ブレンダは安心してとでも言うようにシュシュの手に自らの手のひらを重ねた。


「貴方、彼の……エドの描いた絵は見たことある?」


「へぁ? ……あ、はい。ほんの少しだけ、一度目にしたぐらいのものですけど……あーー」


 ブレンダを慰め、説得し、周囲に怪物の気配はないか、それだけに必死になって来たシュシュの目に時計塔からの景色、今まで見ようとしていなかった外の景色が一気に飛び込んできた。


「これって……」


 石造りの街と瞬く星。外壁の向こう側一面に咲き、広がる名前もわからない青白い花々。巨大な赤い月と赤黒い夜空のせいで雰囲気こそ違えど、それは確かにあのヴェルザー宅で見た絵画と同じ景色であった。


「エドヴァルドさんが描いたのはこの街……てことはここに来ていたっこと? この悪夢が死んでしまった人をも囚うのだとしたら、もしくはここに戻って……」


 悪夢にはそぐわない絶景を目に、呆然とするシュシュの腕からすり抜けたブレンダは脇目も振らず、一目散に階段を駆け上がっていく。


「ま、待ってください!」


 僅かな希望、それは1本の糸よりも頼りなく、儚い夢のようなものかもしれない。

 しかし、その僅かな希望がブレンダの計り知れぬ原動力となり、その背中はどんどんとシュシュを置き去りにしていく。


「はぁ……はぁ……はぁ……待って……くださいぃぃ〜〜」


 外から見れば天を仰ぐばかりに見上げる程のこの時計塔。元より大して運動能力も高くないシュシュは息を荒げ、肩を大きく上下させてなんとか最上階を目指す。

 最上階部へ入る扉の前で躊躇うように立ち止まっていたブレンダの姿を見つけた頃にはシュシュの膝は生まれたての子鹿のようにふるふると震えていた。


「…………っ!」


 心を決めて、ブレンダは大きく息を吐くと傷んだ木製扉を両手でゆっくりと開く。


「…………あぁ、神様。そんな……こんなことって……」


 薄暗い最上階の一角、蝋燭と月の明かりを頼りに窓際でキャンバスと向かい合っていた赤毛の青年は振り返ると口を押さえてそう感極まった声を漏らした。

 当惑する青年をよそに無言で歩み寄り、ブレンダはその青年を強く抱きしめながらわんわんと子供のように泣きじゃくり出した。動かなくなった時計の歯車によってその時間は邪魔をされることもない。

 交わされる熱いキスの応酬に顔を染め、シュシュは下を向きながら静かに扉を閉めた。


「仕方ないことですよね……」


 きっと彼がそうなのだろう。

 神の計らいかはたまた悪戯なのかはわからないが、少しだけ。ほんの少しだけでもこの悪夢に幸福があってもいいではないか。

 扉を背を預け、地べたに座り込んだシュシュはそのまましばしの時を過ごすことにした。







 仰々しくも厳かに、街を見下ろすように建てられた大聖堂の中は意外にも質素であった。

 位置関係的にこの街においての教会はそれなりの地位を築いているものだと読んでいたのだが、当てが外れたのだろうか。もしくはこの街の有様だ。混沌とした状況に紛れて盗みを働いた者がいたのかもしれない。

 全ては前を歩く聖職者、マーシュに問えばわかるのだろうが、ナルキスが聞くことはなかった。聞いたとしてそれが何の意味も持たないと判断したからである。


「足元に気を付けてください。この暗さ故に何が落ちているかわかりませんからね」


 そうナルキスを気遣うマーシュ。

 扉の前で強く警戒していた自分が馬鹿らしくなるぐらいに大聖堂の中は平和であった。難があるとしたら各所に点在する蝋燭の灯りが明らかにこの広い大聖堂を照らすに心許ないことぐらい。


「それで、僕をいったいどこに連れていくつもりなんだい?」


「神の元へ。そこに行けば貴方もきっと血の呪いから解放される。心配はありませんよ」


 無防備な背中、いっそこの場でマーシュを始末しても構わないかとも考えるが、ナルキスの探究心と興味本位、そして本当に自分が呪いを受けているのかという疑心がそれを邪魔する。

 マーシュの柔和な笑みに何も返さないまま、ナルキスは黙って後に続くとやがて2人は大聖堂の中心部、高く天井の開けた祭壇の部屋まで辿り着いた。

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