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血の酔い、血に渇き、血に狂う


「それでキミは僕をどうしたいんだい?」


 マーシュの横をすり抜けてナルキスが問う。


「どうしたいって……」


 マーシュは苦笑気味に頬をかいて眉を下げた。


「貴方をどうこうしたいなんて邪な考えはありません。貴方はまだ、彼らのようになっていないのですから」


 自らが手をかけた人々の亡骸をマーシュは憐れむように見遣り、手を胸に祈りを捧げる。


「強いて言うならば貴方を救いたい。そう思っています」


「僕を救う? それはキミが僕の首を落とし、救いの道を与えてあげよう、そういう意味にも聞こえるな」


 心根から出た正真正銘の笑い。嘲笑にも近い苦笑であった。

 この聖職者如きがこのアルケスト家の自分を救いたいと吐き出したのだ。あらゆる戦地、死地に身を投じ、生き抜いてきた自分を救うと、抜け抜けと。


「今の言葉が貴方の自尊心を傷つけたのならば謝罪を致しましょう。ですが、貴方はすでに血に飢えている」


「それは僕が殺しを楽しんでいる、そう言いたいのかな」


 ナルキスの黄金を糸にしたかのような煌びやかな髪から血の雫が一滴、地面に落ちた。


「自覚はないのでしょう。ですが、貴方はもうすでに狂いかけている。自分の顔をご覧になりましたか?」


 深刻な顔で告げられた言葉にナルキスは思わず、自分の顔を撫でた。血に塗れた手のひらにより秀麗な顔に血化粧を施される。




「貴方は……笑っているんですよ。悍ましく混沌としたこの現状において貴方は血に染まり、醜悪な笑みを浮かべている。私と出会った時からずっとです」




「……そんなはずはない。僕はこうしてーー」


「貴方は何も悪くはありません。ただ自らに襲いかかる敵を排除した。……ただ、それがいけなかった」


 言っている意味がわからなかった。

 すでに狂いかけている、そう告げられたナルキスにもまだ考える力はあった。正気はここにある。


「その様子だと貴方はさぞたくさんの返り血を浴びたのでしょう。もしかしたら体内にもその血を取り込んでしまっているかもしれません。いいですか、彼らの血は毒なのです」


「奴らの血が毒?」


「はい、信じられないことかもしれませんが、彼らの脅威は何もその凶暴性に尽きたことではありません。腕に覚えのある者が例え、彼らを返り討ちにしたとしても返り血を浴び、やがて口や鼻、傷口などから入った血は精神を侵食していくのです。最初は無自覚ながら血に酔い、段々と自ら血を求め始める。血を求めるあまり彼らだけでなく、逃げ惑う人々を襲い、最後には正気を失い、殺戮だけを愉しむ異常者と成り果ててしまう。そういった毒が彼らの血にはあるんです」


「……だが、僕がそうなりつつあると言うならば、キミはどうなんだい? その話を聞く限りだと修道着を赤黒く染めたキミも毒に侵されている、そう考えられるが」


 マーシュは首に下げた聖具を握りしめて目を瞑った。


「私は神の使い。神の加護を受けた私は人よりも少しだけその毒の耐性があるようです。とは言っても、このまま血を浴び続ければやがては皆と同じ結果になってしまうとは思いますが……」


 神の加護。

 無神論者たるナルキスにとっては俄かに信じ難いことである。しかし、神に護られている。そんな自己暗示があればこの悪夢に置いては救いとなり、強く自我を保てるのかもしれなかった。


「ですが、救済をやめるつもりはありません。私が私であり続ける以上、迷い、絶望を抱く信徒を救うことを使命とし、全うするつもり。逐一、異変を確認し、もしその兆候があったならば自らこの首を掻き切って死を選ぶ覚悟があります」


 揺るぎない信念がその瞳に宿っているように見えた。ナルキスが愛し、尊敬するユウと同じような強い信念がそこに。


「あくまでも聖職者としての生き様を選ぶか……なるほど。キミの言葉の真偽はともかくとしてその姿勢は嫌いじゃない」


 少しだけ、ほんの少しだけだが、2人の距離が縮まった。

 未だ疑心の目は向けられてはいるが、僅かながらの好感を得たことにマーシュは胸を撫でおろし、また神に祈った。


「それで、キミは僕を救うと言ったが、果たしてそれはどう言う意味なのか。次はそれを問おうじゃないか。どうにも僕は遠回しな言い振りが嫌いでね。僕を殺したいのならば遠慮せずに剣を抜いてくれたまえ」


 己のことは棚に上げてそう告げたナルキスは劇場的なわざとらしい仕草で服の裾を摘み上げて一礼をする。


「救いたいはそのままの意味です」


 交戦的でいて挑発的な素振りを隠さぬナルキスに向けてマーシュは小さく首を振った。


「貴方はまだ完全に狂ったわけではありません。まだ取り返しがつく。貴方の首を私が切るなんてことは考えてはいません」


「……ふむ。ならばキミが言う救済とは?」


「私について来てください。この大聖堂の地下に祭壇があります。血の穢れを祓う術もそこに……」


 嘘をついていないとは言い切れない。

 無防備にも背を晒したマーシュの後をナルキスは躊躇なく追いかけることはできなかった。

 だが、もしもマーシュの言葉が真実だとしたら、そして何よりもこの悪夢の元凶たり得るモノへ辿り着くことができるかもしれない。


 メリットもあればデメリットもある。


 風に揺れる修道着。

 彼らの本拠地たるこの大聖堂には何が待ち受けているかもわからない。もしかしたらこれは罠で足を踏み入れた途端に大勢の修道士、信徒たちに襲撃を受ける可能性だってある。


「…………怯えているとでも言うのか、この僕ともあろう者が」


 自発的でなく、自然と呆れた笑みが溢れた。

 元より神の尊顔を拝見しようと考えていた矢先ではないか。何を躊躇する必要性がある。そして自分はなんであろうアルケスト家の出自だ。いくら多勢の敵襲だとしても剣の道も知らぬ、聖職者や素人に遅れを取るはずがない。

 赤く巨大な満月を見上げてナルキスは小さく息を吐く。そして大聖堂の前、厚く堅牢な扉の前で自分を待つマーシュの元にゆっくりとナルキスは歩き出した。




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