惨めな死
血の匂いに誘われたか、獣の形をした怪物に内臓が引き摺り出される。
赤く黒い、粘度を帯びた液体は石の地面をじんわりと染めていく。
母方の家計から遺伝した蒼い目を屍肉を啄みにきたカラスが奪い去っていった。
もう痛さはない。
少し前までは感じていた妙な温かさも消え失せ、あるのは全身を包む寒気。
氷の授能を手にしたナルキスが全身を震わせながら死にゆく様は神の皮肉なのか。体内から中身が抜かれていく感触だけを感じつつナルキスは目を瞑る。
恐怖はない。
自分がしてきたことを思えば真っ当な死に方が、間違っても安らかに誰かに看取られて死ねるなどとは考えてもいなかった。
只々、惨めだ。
恐怖や悲しみより、怒りと呆れが残る。どうせ死ぬならば愛した人、ユウのために死にたかった。だが、実際はどうだ。油断と慢心から生じた隙を突かれ、敗北。そればかりか死に様は獣に身体を貪られながらだ。
美しくない。
瞳のない瞼を閉じて、ナルキスは静かに眠りにつく。深い無念を胸に宿しながらゆっくりと……。
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「…………なるほどね」
閉じたはずの瞼、奪われたはずの眼は虚空を見つめ、突如、ナルキスの意識は覚醒する。
傷一つない、五体満足な身体。やはり気だるさは残ってはいるが、確かに生きている。
これが夢ならばどんな結末を迎えようと目が覚めれば全ては終わるはずだ。
目の前に広がる死ぬ前の光景。霧に包まれた階段の前、その先には怪しげな松明の灯りが揺れ動いている。
ここは悪夢だ。
どれだけ辛く、苦しい思いをしようと決して抜け出すことはできない悪夢。死ねばただ戻るだけなのだ。
「死を恐れるな、か。確かに何度死のうとも少し前に時間が巻き戻されるのであれば恐れる必要がないね。てっきり宗教的な考え方だと思っていたが……僕としたことが間違いだったみたいだ」
状況は把握した。
しかし、巻き戻るとは言ってもどこまでか。ナルキスは後方を振り返り、遠目に老人と出会った場所を確認する。老人の姿はない。どうやら巻き戻るとは言っても完全に時が戻されるわけではないらしい。世界と言うよりも自分だけが少し前に巻き戻る、そう行った方が適切なのであろう。
「酔っ払いが吹いた支離滅裂な言葉だと思っていたが、意味があったのか」
1人、ナルキスは納得し、目の前に聳える大階段を駆け上る。
「一度経験したことが繰り返されるなんてどれだけ甘いんだろうね」
自らに課せられた定めを嘲笑い、ナルキスは目にも止まらぬ早技で階上の怪物の頭を跳ね飛ばす。
「アギ……ィ……ッ!?」
「わかっているよ、触手だろう」
宙を舞う生首から伸びた無数の触手を氷の壁で防ぎ、すぐさまそれを切り落とす。そして一足飛びで近付くと生首が地面に触れる前に十字に刻み、そのまま地面へ突き刺した。
「それ嫌いなんだ。元々、触手の類を持つ魔物はどうも好きになれなかったんだけど、今日の事があってからますます嫌いになったよ」
脈打つ怪物の頭を冷たく見下ろして、ナルキスは後方に氷柱状の氷弾を撃ち放つ。
「もう油断はしない。死ねば終わりじゃないとは言え、もうあんな忌々しい思いは懲り懲りだ」
氷弾の全てが松明を手に忍び寄っていた怪物の身体に突き刺さるとそれはゆっくりと後方へ倒れていった。
「最初からこうすべきだったんだ。人との繋がりができて会話をするなんてことを覚えてしまったばかりに僕にはいつしか危機感というものがなくなっていたんだろうね。まったく、恥晒しもいいところだ」
4つに分断されながらも痙攣を繰り返す怪物の生首に目を落としたナルキスはそこに悍ましいものを見つけ、眉間に皺が寄る。
「どれだけキミは僕を不快にさせれば気が済むんだい?」
脳に点在する無数の目玉。その全てがナルキスを無感情に眺め、瞬きをしていた。
頭を失っても絶命することはないこの怪物のことだ。自己再生をして何事もなかったようにまた襲いかかってくることは大いに考えられる。
念には念を、それよりも脳みそに植え付けられた目玉の数々と視線が合っていることが気色がわるい。ナルキスは怪物の生首ごと凍らせて、粉々に踏み砕いた。
それでも安心と言い切れないのがどうにも落ち着かないが、一旦はそれでよしとしようとナルキスはその場を離れながら思案する。
「僕が囚われたこの世界は夢の世界であることは確実だろう。それに肉体が死なない限り、この悪夢の世界でも死ぬことがないのであればブレンダくんもきっとどこかにいるはずだ。だが、この悪夢の世界がブレンダくんの囚われた悪夢と同じだという保証はない」
そもそも現実の肉体が死ねば本当にこの世界から解き放たれるのであろうか。また、ブレンダに出会えたとしてどうすればこの悪夢から脱出できるのか。
一番は現実世界で誰かしらが無理矢理にでも自分らを叩き起こしてくれればいいのだが、もし、シュシュも同じくこの世界に囚われているのであれば話は別だ。退院したユウたちが起こしてくれるなんて希望は持たない方がいい。それまでに飲まず食わずで眠り続ける自分が生きているとは思えない。そもそも、ブレンダのこと然り、外部からの干渉で目を覚まさせることなんてできないと考えた方がいい。あのヴェルザーでさえ、打つ手を失くして自分らに縋ってきたのだから。
「……問題はそれだけじゃない」