悪夢とて乙女の恋バナは花が咲く
お金持ちのお嬢様、というからにはもっと淑やかで奥ゆかしい想像をしていたが、このブレンダはどうもそのイメージとはかけ離れている。
だが、その人当たりの良さが他所の国に行っても阻害されることなく、また、無収入の夫を献身的に支える姿も結果的に周囲の助けを得、上手く生活していくことができたのだろう。
今、思い返せば父親のヴェルザーも見た目こそ如何にもな印象を受けたが、話してみれば高圧的な態度を取るわけでもなく、社交的な人柄であった。
「……次、いやらしいことしたら置いていきますからね」
「酷い、シュシュちゃんに置いてかれたら私……」
途端に表情を一転させて悲しげに涙を浮かべるその姿も今となっては妙に芝居がかって見えてくる。
「でもさ、シュシュちゃん実際どうなの?」
白けた視線などどこ吹く風、けろっと表情に明るさが戻り、にやにやと笑みを浮かべながらブレンダはシュシュの脇腹を小突く。
「どうなのって何がですか?」
「いやいやいや」
何をとぼけるのかとでも言いたげにブレンダは手をひらひらと顔の前で振る。
「そりゃあ恋愛に決まってるじゃない。そんなに若くてぴちぴちなんだから、色々な意味でぴちぴちなんだからさ、好きな人や気になる人の1人ぐらいいるんでしょ?」
「いえ、いませんよ」
愛想笑いで軽くシュシュは受け流す。
「またまたぁ〜」
「いえ、だからいませんってば。そりゃあわたしもうら若き乙女の端くれですし、恋に憧れたこともないわけじゃないですが……正直、今は……」
「……え? それ本当に言ってるの?」
「え? あ、はい」
混沌とした悪夢の中で能天気な恋バナに花を探していた2人の間に僅かな静寂が流れた。
「だめだめだめ!!」
「ちょ、ブレンダさん! 声! 声が大きいですってば!」
「あのね、シュシュちゃん。恋ってのはね、自分をより綺麗に、そして高みに至らせるための最も効果的な手段なのよ?」
悟らせるように重々しい口調で話すブレンダ。それにシュシュは『うわぁ、この人恋愛脳だ。めんどくさい』という顔を隠すこともできず。
「シュシュちゃんってギルドを組んでるわけでしょ? 出会いがないわけじゃないでしょ?」
「は、いえ、最近は魔具制作の研究でわりと缶詰め状態でーー」
「でもでもでも、同じギルド内に男の人はいるわけでしょ?」
「は、はぁ……」
ギルド内にいる男性メンバー、フランクとナルキスの顔を頭上に浮かべてシュシュは気の抜けた返事をする。
「でも、1人はおじさんですし、もう1人は……」
「もう1人は?」
「嫌いです」
無表情でいて言葉には澱みのない。そんなシュシュの言葉に思わず、ブレンダは息を飲んだ。
「え、え〜っと……嫌いなんだ……」
「はい、嫌いです」
機械のように淡々と迷いなく同じ言葉を繰り返すシュシュ。
「……どこらへんが?」
「全部です。強いて言うならば思いやりもなく、口が悪い。自己愛が強く、自己中心的。正論を言えばいいと思っている。自分以外の人を見下している。大して実績もないくせに偉そうに語るばかりで自分自身は何もしない。隙あらば水面に映る自分を見て、うっとりしてるのも気持ち悪くて無理です。信じられますか? ナルキスくん、初対面のわたしにブサイクって言ったんですよ? そんな人を好きになるぐらいならわたしは自ら喉をかき切って死ぬことを選びます」
「わ、わぁお……」
「大体、ナルキスはですねーーーー」
堰を切ったように止めどなく溢れ出るナルキスに対する愚痴にブレンダは気の利いた言葉1つかけてやることもできず、相槌を打つことしかできなかった。
その間、ブレンダは1人思う。
ナルキスとかいう子とシュシュをくっつけることは天地がひっくり返っても無理だろう、と。
長い時間をかけて吐き出された愚痴を聞き終わり、ブレンダも顔に疲労が浮かんできた頃、ふとシュシュは何かを思い出したように瞬きを数回。
「ナルキスくん、どうしてますかね?」
「……えっと……それはやっぱりナルキスくんって子がーー」
「ーー違います」
言葉尻を待たずして返ってきた抑揚のない声にブレンダは身を震わした。
「わたしがこの悪夢に囚われているのであれば、何処かにナルキスくんもいるはずなんです。だって、今日1日、ほとんど一緒に行動してブレンダさんを助け出すために動いていたんですよ。同じ状況でわたしだけが呪いにかかるなんてことはないと思うんですが……」
「え〜っと、私はシュシュちゃん以外の人には出会わなかったわよ? まぁ、物陰に隠れて震えてただけだから人と出会う方が不思議なんだけど」
「う〜ん……まだこっちには来てないんでしょうか。もしくは呪われてない? いい子代表のわたしみたいな子があの自己中性悪男を差し置いて呪われるなんて不条理あっていいのでしょうか!?」
「そ、そうね。シュシュちゃんはいい子代表だもの……ね……」
果たして本当にそうなのだろうか。
下手に機嫌を損ねては厄介なことになりそうだと判断したブレンダは適当に頷く。
「あそこに行きましょう!」
名案を思いついたような顔でシュシュは街の中心地、高々と聳え立つ時計台を指差した。
「あの時計台がこの街で一番高い建物みたいですし、あそこに行けば街の全貌だけでなくナルキスくんを発見できるかもしれません」
かくしてシュシュとブレンダは取り敢えず、時計台を目指すことにした。
果たしてそれが正しい判断なのか、わからないがナルキスの所在とこの悪夢を知るために。