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深い霧

 数分後、ヴェルザーや使用人たちの手によって運ばれてきた物が机に並んだ。数はそう多くはない。どうやら金目の物ほとんどは生活に困っていた時に売り払ってしまったらしい。辛うじて価値のあるものといえば、愛する夫から渡された結婚指輪やヴェルザーから嫁入りにプレゼントされた古びたブローチぐらいなものだ。


「エドヴァルド……聞かない名前だな……」


「娘婿の名です。聞き覚えのないのも無理もないでしょう。あまり売れた芸術家というわけではありませんから」


 1枚の絵を手にナルキスが漏らした言葉にヴェルザーが悲し気に目を細めた。


「生涯、売れることはありませんでしたが、彼は本当に気の良く、優しい青年でした。娘に苦労をさせた、銭を稼がない夢追い人だ、と周りは糾弾するでしょうが、娘を彼にやったことを後悔していません」


 ヴェルザーの話に興味はないのか、ナルキスは相槌一つ打つことはしない。

 手に持たれた絵画、石造りの街並みと夜空から降り注ぐ流星。その絵をじっと眺めている。


「……いい絵だ。確かに構図や塗りには少しばかりケチをつけたいところもあるが、その拙さも全体を通してみるといい味になっている」


「ありがとうございます。きっとエドヴァルドも喜んでいることでしょう」


「ナルキスくん!」


 ヴェルザーとのしばしの雑談に興じていたナルキスの耳にシュシュの甲高く甘たるい声が飛び込んでくる。


「み、見てくださいこれ」


 示された物を見れば、それは単なる古びた日記帳だった。相当、マメに日々の記録をつけていたのだろうか一目でそれが長年に渡り使い込まれた物だと判別できる。


「……なるほど」


 ここに運び込まれた物全てに微かな呪いの痕跡が感じ取れたが、その中でもこの日記帳は別格に暗く湿った雰囲気を纏っていた。

 渦巻く邪気が空間を歪めるようなドス黒い邪気、そのヴェールを被った日記帳を手に取り、ナルキスはパラパラと流し読み気味に目を通していく。

 初めはブレンダとの出会いを綴ったものだろうが、後半になるにつれて書き手の苦悩や葛藤がつらつらと書き殴ってある。これはエドヴァルドの物に違いない。だが、各ページに出来た水滴のシミはきっとこれを目にして涙したブレンダによるものなのだろう。


「軽く目を通してみたが、何か呪いの根源らしきものは見当たらないな。呪詛の1つでも書いてあれば手っ取り早かったんだが……」


 乱雑な扱いで日記に目を通すナルキスの手元から押し花で飾られた栞が1枚、床に落ちた。

 

「わぁ、この押し花すごいいい香りがしますよ」


 栞を拾い上げてナルキスに渡したシュシュであったが、ふと疑問に思う。


「ナルキスくん、あの……ちょっとした疑問なんですが……それ、触っちゃって大丈夫なんですか?」


「大丈夫なわけないだろう。呪いの元凶がこの日記帳ならば僕はまさに今、呪われたと言っても過言にはならない」


「え……えぇ!?」


「呪いに関しても数多の種類がある。しっかりと分析する必要があるし、僕にそれがかかれば元凶を辿るのにも近道になるかもしれないだろう」


「それでナルキスくんがその、手も足も出ずに死んじゃったらどうするんです?」


「その時はその時だ。僕に運がなかった、それだけさ」


 恐れもなく、顔色ひとつ変えずに言うナルキスが逆にシュシュは怖くなる。


「シュシュくん、キミはその娘の身体に何らかの痕跡、傷跡がないか確かめて見てくれないか。父親の前で愛娘をまる裸にするのはさすがの僕も気が引けるからね」


 心なしか物理的距離が遠くなった気がするシュシュにそう指示してナルキスは日記帳を閉じた。


「この日記帳、少し貸してくれないか。もしかしたら見落としているだけで何か重要なヒントが隠されているかもしれない」


「え、えぇ、私は構いませんが、本当に大丈夫なんでしょうか? その日記帳が呪いの元凶かもしれないのでしょう」


 ナルキスの身を案じての言葉であったが、当の本人はヴェルザーに冷たげな微笑だけを残してその場を後にしてしまった。






「…………おかしくなったのはこの日だ」


 古く、軋むベッドに横になりながらナルキスは1人、呟いた。

 アジトに帰り着き、狭く埃だらけの自室に篭ってから日が暮れるまで日記帳の隅から隅まで目を通して見たが、わかったのはそれだけだった。

 元は教会、今や廃墟と化しているが、個人の空間を確保するだけの広さは充分ではないがある。今頃、シュシュも自室で寝息を立てている頃だろう。


「呪いなのは明らか。けれども、その明らかな原因はわからない。何がどうしてどうなって呪いが降りかかった? それらしい奇行がこの日記帳の隅にでも記されていたら、と思ったがどうやら当てが外れたな」


 自然とナルキスの口から欠伸がでる。

 飯を食うのも忘れ、没頭してしまったらしい。


「シュシュくんが言うには彼女の身体には外傷一つなかった。間の抜けたシュシュくんのことだから全幅の信頼を置いているわけじゃないが……」


 酷く眠い。

 止まらぬ欠伸に耐えかねて、ナルキスは枕元のランプの火を消した。暗く、静かな闇が訪れると間も無くしてナルキスは夢の世界へ誘われた。意識が遠のき、糸が切れるように……。





 得もいえない寝苦しさにナルキスは目を覚ます。

 背に当たる冷たな感触、頬を撫でる冷たな風。すぐにここが自室でないことに気付いた。


「……ここは……」


 ゆっくりと身体を起こし、ぼやけた目で辺りを見渡す。白く深い霧がかかった広い場所。寝てる間に外へと連れ出されてしまったらしい。

 ふわふわと頭にも霧がかかってしまったようにうまく思考が纏まらない。それが寝起きによる物なのかまたは別の要因が影響しているのかはわからない。


「とにかく歩いてみよう。何も情報がなくては考えが整理できないのも当たり前だ」


 ナルキスは深い霧をかき分けるように周囲の探索をすることにした。

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