呪いの痕跡
「うぅ……」
思わず目を背けてしまいたくなる程の痛ましさである。裕福な家庭に育ちながらも献身的で優しく、階級差など気にすることもなく絵描きの男と結婚したブレンダ。壁に飾られた家族写真から見るに美貌も兼ね備えていたであろう彼女の骨に皮が貼りつけてあるような、そう亡者の姿に近しい。いったいこの女性が何をしたと言うのか、神は何故、このような仕打ちをしたのか。そう問いただしてやりたくなるような姿だ。
「……ナルキスくん、わかりますか?」
さすがにこれを目にしては豪華絢爛なドルトニス家の屋敷にはしゃいでばかりはいられない。
深刻な顔で尋ねたシュシュを一瞥してナルキスは息を小さく吐いた。
「キミも魔力の察知することはできるのだろう?」
「は、はい……それはできますけど……」
「できるのなら何故、この部屋に入ってすぐにやらない? もしかしたらこの依頼自体が罠で、僕たちを仕留めようとグェンが何か仕掛けているのかもしれないだろう」
「わ、私はそのようなこと……!」
戸惑いと怒りが混じったように言葉を詰まらせるヴェルザー。それもそのはず、彼はただ娘を救いたい。その一心だけを腹に据えているのだからだ。
「例えばの話だよ。気を悪くしたのなら謝ろう。ただ、僕たちは今、打倒を企てる上級ギルドの管轄地に足を踏み入れたんだ。何かあってからでは遅い。敵地において警戒を怠らないようにするというのは至極、当然の思考回路だと思うがね」
ナルキスはこういった状況に慣れすぎている。それは幼い頃より国に仕え、死闘を繰り広げてきたからこそだろう。
「シュシュくん、無知なキミに教えといておこう。まず、今回のように原因不明の危篤に陥っている被害者を見た場合、魔力の痕跡を探りたまえ。魔法や呪術に精通した医者でもない限り、十中八九、原因不明の病は何かしらの魔法や呪術による者だ」
小馬鹿にするように教授され、シュシュは不機嫌そうに顔をしかめながらも言われた通りにしてみる。
「……ほんの微かにですけど何か嫌な感じの魔力痕があります」
「人に遅行的且つ持続的に苦しめ、死に至らしめるのは呪術の類か類似した授能の可能性が考えられるだろう。人を呪うような授能は耳にしたことはないが、前者ならば必ずと言っていいほど僅かにでも痕跡は残る。今回もやはりなにか呪いの一種に間違いないようだね」
「む、娘に呪いを!? いったいどこの誰がそんなことを? 父親である私が言うのもなんですが、ブレンダは人に恨まれるような子ではありません」
「父親には隠した裏の顔があるのかもしれない。親であるからと言って子供の全てを知っているとは思わないことだよ」
妙に説得力を含んだ言葉であった。
「そんなこと……娘に限って……」
「……ナルキスくん、呪いってこんなに嫌な感じのするものなんですか? 私、呪いにかかった人を見たことがあったわけではないんですが……なんというかその……あまりにも禍々しいというか……」
「ふむ……」
シュシュの指摘は的を射ていた。
呪い、その一言いっても多種多様である。だが、このブレンダを侵す邪悪な気は凡そ、個人が作り出せるものとは思えない。だが、集団による呪いであればもっと顕著に大きな痕跡が残っているはず。
漆黒よりも濃く、世闇より暗い痕跡。
例えるならばそんな表現をしたらいいのだろうか。
ナルキス自身、不審に思っていたこと故に思わず、顎に手を置いて考え込む。
「……それに……なんか変です……言葉では上手く言い表せないんですが……」
「キミも感じるかい? 無能とばかり思っていたが、鑑識能力はなかなかあるじゃないか」
「一言余計ですよ……」
不快気にしかめ面をするシュシュだが、その視線はベッドに横たわるブレンダに固定されたままだ。
「この痕跡は『禍々しい』そうわかっているにも関わらず、妙に引き込まれます。私がおかしいのかもしれませんが、神々しい何かを感じるんです」
「いや、キミにしては珍しくおかしくもなんともないさ。実際、僕も同じ感想を抱いたからね」
「では、これは普通の、人による呪いではないということなんでしょうか?」
「断定はできないが、可能性はある。ボクは神なんてあやふやな存在を信じていないが、呪いの主は遠い過去に殲滅されたはずの魔神の生き残りかもしくはそれに準ずる何かなのかと予想するよ」
「娘が魔神と!? まさかそんな! 娘が嫁いだのは国の外れにある小さな古い街なんですよ? そんなとこに魔神なんか……」
「いや、そういった中心部から離れた街こそ、そういった慣習や思想が残っていたりするもんだよ。魔神崇拝、そういった慣習に巻き込まれたか自ら首を突っ込んだのかはわからないが十分にあり得ることだと思うが」
ナルキスの言葉は推論の域を出ない。
現状として最も考えられる可能性の一つにしか過ぎない。
「ただ、少しだけ補足するならばこの呪いは彼女を狙ってのものではないと僕は思う」
そこまで言って、ナルキスは出された紅茶を口に含んだ。
「ブレンダさんが狙われたわけじゃない、なんでそんなことがわかるんですか?」
「呪いを初めて目にするキミにわかるはずもないが、もし本当に彼女を狙ったものならばこんなふうに痕跡がぼやけるはずがないんだよ。そうだな、もっと色濃く、彼女の全身を纏い、侵食するような、そんな風に見ることができるはずだ。きっと何かを媒介しての呪い、そんな不運が彼女をこんな姿にまでして追い込んだ原因だろうね」
「でも、それがブレンダさんを狙ったわけではないとわかる理由には……」
首を傾げたシュシュを小馬鹿にするように小さく笑い、ナルキスは美しい金色の髪を払った。
「もし、キミが人を呪うとしてそんな面倒なことをするかい?」
「の、呪うなんて物騒な……でも、もし私なら……あっ!」
気付き、声を上げたシュシュに同調するようにナルキスは口角を僅かに上げて頷く。
「そう、何かを媒体として呪いをかけるなんて遠回しなことをするより、直接、本人にかけた方が確実で手っ取り早い。キミの娘は墓暴きでもしたんじゃないか?」
「人ではない、魔神による無差別な呪い……ですか。なんか言葉にするだけでも大変そうってわかりますね」
「グェンが手を引いたのもそういった理由だろうね。手がかかる、面倒くさい、そして目に見えた確実な情報がない。彼らも腐っても上級ギルドだ。この痕跡がわからなかったなんてことはないだろう」
「そ、それで娘は、娘を助ける方法はわかったんですか?」
どうやら事は思った以上に厄介なことになっていた。知識があるわけではないが、2人の話を聞いていればそれだけはヴェルザーにだって理解できた。
「それを今から考えるのだろう。ここまでは状況の整理だと普通ならばわかると思うが?」
「ナルキスくん、言い方! ヴェルザーさんはブレンダさんのことが心配で堪らないんですよ! 少しは労ってあげたらどうですか?」
「労って彼女が目を覚ますのか? そんな無駄な言葉をかけてやる暇があるならば、依頼解決に尽力する。その方が彼のためになると思えるがね」
「そうなんですけど……人としてどうかと思います」
「人として、など最もくだらないな。人は皆、違う。凝り固まった常識を無理強いするのは没個性を促す悪しき風習としか僕は思わないからね」
「めんどくさ」
心の底から出た感想がシュシュの口から不意に溢れ出た。
「彼女の私物はこの部屋にあるものだけかい? どんな小さなものでも良いが、できれば彼女が身に付けていた物や常用していた物、日常生活に近い物がいいな。それをここに持ってきて欲しい。原因を探りたい」
しかし、シュシュが自分に抱く感情など意に介する必要もない。聞こえていないかのようにさらりと流し、ナルキスはヴェルザーにそう指示した。