枯れた女
「ふわぁー! やっぱり中層のお屋敷は豪勢ですね〜。あっ、見てくださいこの大きな窓。ギルティア下層の景色が一望できますよ!」
ヴェルザーに連れられ、ドルトニス家の屋敷の一室へ案内されたナルキスとシュシュの2人。
上級ギルドの傘下ともなればギルド組織でなくとも中層へ住居を構える事が許されるらしく、それでも援助額の上位何組からしいが、ドルトニス家はそれに属しているらしい。
中層は主に上位ギルドの管理下に置かれ、勢力図で時折変動する事があれども基本的に今では5分されている。言わずもがな、その内の4組織は英霊殿、グェン同盟、ヴェルジニタ修道院、結社フェーシエルであるが、残るは協会の所有する一区画だ。下層にもそういった場所はあるが、主にユウたちのような新規ギルド開拓者に貸し出しが行われている。そして中層では下級ギルドからのし上がり、自らの力で中層まで辿り着いた者たちが住んでいる。だが、その数も上級ギルドに取り込まれ、数が減ってきているのが現状だ。
「グェン同盟の敷地と言うからあんまり期待してなかったんですが、こんな綺麗にされてるところもあったんですねぇ。私、てっきり危ない人ばっかりいる荒れた区画だと思っていました」
窓の外、ひしめく家屋や店、そして各ギルドのアジトの屋根が見渡す限りに広がる景色にシュシュは目を輝かせて振り返った。
「グェンも野盗や盗賊だけで構成されているわけではないですからね。ギルドマスターであるグェン様も商人の出ですし」
「へぇ〜〜……あっ、お茶ありがとうございます。ーーッ!? な、なんですかこのお茶! すっごくすっごく美味しいです!」
気を利かせたヴェルザーの用意したお茶をひと啜りしてまた大騒ぎ。さすがにナルキスも耐えがたく、頭を抱えた。
「恥を知りたまえ、貧乏人。そもそもなんでキミがここにいるんだ。この依頼はこの僕、ナルキス・アルケストが請け負った仕事だぞ!」
「……そうなんですかヴェルザーさん?」
「い、いえ私は一個人への依頼という形ではなく、ギルドあげたてメンチカツの皆さんにですね、はい」
目は笑っているが、嫌な感じがする。えも言えないシュシュの気迫にヴェルザーはたじろぎ、額に浮かんだ汗をハンカチで拭った。
「まったく、足手纏いも甚だしいよ。それにシュシュくん、キミに何ができる? 手から持てもしない鉄の球を出すか怪しい液体を怪しい笑みを浮かべてかき混ぜるしか脳がないキミが役に立つとはとても思えないが?」
「何って……ナルキスくんの見張りですよ?」
「見張り? 僕になぜ見張りがいる?」
「だって! ヴェルザーさんの娘さんですよ? 娘ってことは女の子なんですよ?」
「そんなこと誰でもわかってる。だから何が言いたいんだ!」
「寝たきりの娘さんにエッチなことするかもしれないじゃないですか!!」
「…………するわけないだろう」
火でも出るのではないかと思うほど顔を紅潮させて、その場足踏みをするシュシュにナルキスは呆れた口調でそう返した。
「寝たきりなんですよ! なにも抵抗しないんですよ!? 男の子なんてエッチなことしか考えてないってくぅちゃんに聞きました!」
「くぅちゃん? あー、あのヤブ医者か。今度会ったら言っておけ。モテない女ほど変な妄想をするんだ、と」
「……じゃあ、ナルキスくんは興味ないんですか? パジャマ姿、薄い布切れしか纏っていない女の子が無防備に寝ていても何も感じないんですか?」
「興味ないね」
「てことはナルキスくん、やっぱり男の人が……好き……? ヴェ、ヴェヴェヴェルザーさん、今すぐ部屋を出てください!」
「…………よし、僕はキミを今から殴るとしよう。仕事はそれからだ」
苛立ち、軽蔑、嫌悪。多様な感情が入り混じった面持ちでナルキスは静かに拳を握る。
「わ、わわ、わわわわ! 待って、待ってください! 女の子を殴るなんて最低ですよ!」
「大丈夫だ。僕はキミを女だと思ったことは一度もない」
「あ、あの〜お楽しみの中悪いのですが……」
襟首を捕まえて、今にシュシュの頭に拳が振り落とされようとしたその時にヴェルザーが申し訳なさそうに口をもごもごと動かした。
しかし、お楽しみの中とはどう言う意味だろうか。まさか、このやり取りがヴェルザーの目には痴話喧嘩にでも映っているのだろうか。ナルキスは不服そうに眉間に皺を寄せてヴェルザーに視線を向ける。
「娘はどうでしょうか? 何か原因はわかりましたでしょうか?」
言われてナルキスは部屋の隅、大きな天蓋付きのベッドに寝かされている娘、ブレンダを見遣る。
お世辞にも借りてきた猫のように大人しくしていたとは言えない。むしろ屋敷中に響き渡る程騒がしくしていたにも関わらず、ブレンダは寝息を立てたまま起きてくる様子はなかった。
一見、金持ちのお嬢様が太陽の暖かな日差しに当てられて昼寝を取っているようにしか見えないが、その身体は痩せ細り、手足は枯れ木のように細く頼りない。目には深い隈が刻まれていて、20代そこそこと聞いていたが、妙に老いて見えた。
「う、うぅ……うぅ……」
栄養失調で亡くなった遺体。そんな印象を受ける風貌ではあるが、時折こうして苦しそうにうなされるのと浅く小さな呼吸音が彼女はまだ生きている、と判断できる材料であった。