死へ誘う夢の世界
厳格な顔を悲痛に歪め、雄叫びにも似た縋り。滴る大粒の涙が机を濡らしていく最中でナルキスはいかにも怪訝そうに眉根を寄せた。
「目を覚まさせろ、と言うのはどう言う意味だ? 言葉通り、眠りこけった娘を起こしてくれなのかそれとも何か邪な輩に騙され、踊らされている娘を正気に戻してくれと言う意味なのか。そこを有耶無耶にされてはね」
まるで悪徳セールスを断るような冷たい言い振りだ。
「まぁ、どちらにせよ。答えは決まっている。断る、その一言だ」
「ナ、ナルキスくん? そんな! 見てくださいこのおじさんの顔を! 立派なお髭を生やしてるのにこんな泣きじゃくってかわいそうだと思わないんですかぁ!?」
「黙れ、ブサイク。キミは大人しく部屋の隅で得体の知れない液体でもかき混ぜながら不気味な笑みを漏らしているがいいさ。どうせキミはどんな依頼に限っても少しの役にも立たないのだろうからね」
「……クソが」
可憐な笑顔には似つかわしくないシンプルな罵声。当然、ナルキスがそれを気にしたりイラついたりするわけもない。
「前者なら今すぐ家に帰り、娘の顔に冷水を浴びせてやるなりベッドをひっくり返すなり、平手打ちをするなりすればいい。後者なら傷心を理由に弱みにつけ込まれるような弱者だ。己の愚かさに気付き、後悔するまでほっておくか家名を傷付けるなどと考えているなら勘当なり強引な手で関係を断ち切ればいい。わざわざ、僕が直々に動くまでもないことだよ。言えるのはそれだけだ」
「……どちらもです」
それだけ告げて、もう話すことはないと席を立とうとしたナルキスを男の小さな声が呼び止めた。
「どちらも? はっ、眠りながらして良からぬ輩に誑かせれていると? キミの娘は器用なんだね」
ナルキスにはそれはまるで自分を引き止めようとする戯言、そう聞こえた。
「まさか手紙にあった他界した娘婿を忘れて欲しい。やっぱり嫁にやったのは間違いだった。だから傷心し、夢の世界に逃げる娘を起こして尚且つ、旦那のことを忘れさせて欲しいなんて言うわけじゃないだろうね」
男は涙を拭い、首を振る。
「私も最初は認めていませんでした。大事な娘を稼ぎもまともにない男に嫁がせるなんて考えたくもありませんでした。……しかし、今では違います。時を重ねる事に彼は……いえ、彼にしか娘を任すことはできないと思うようになりました。私は彼を実の息子のように愛していたのです」
「んん? なら……えっと……おじさんはいったい……」
こんがらがる頭を傾けてシュシュは尋ねる。
「娘が目を覚まさないのです。まるで夢の中に囚われてしまったように、魘され、苦しみながら7日間1度もッ!」
枯れない涙が男の頬を伝う。
「……なるほど。似たような症状を聞いた、いや、見たことがあるね。それもつい最近の話だ」
ナルキスが机に広げられた手紙の束に目を落とす。
それはまさに男の娘、ブレンダの夫が死する前の症状に酷似していた。
「手は尽くしました。私がやれるだけの全てを。金はいくらかかっても構わない、そう伝えあらゆる手段、時には外法にも手を出しましたが……娘が目を覚ますことはなかった」
「その言い振りだと僕ら以外のギルドにも依頼を持ちかけたのだろう?」
「……はい。我がドルトニス家はグェン同盟の傘下組織。ギルドとしての参入ではありませんが、毎月上納金を支払うことで商いの自由と護衛をしていただいてます。その繋がりもありましたのでまずはそちらに話をしました」
所謂、ケツモチである。
ギルティアの商業団体の統括を行うグェン同盟。この国で商業を平和的に行いたいのであればまずはそこが玄関口になる。ドルトニス家も商いをしにこの国に来たのだからグェンの世話になるのは必然的だが、ナルキスは不快そうに舌を鳴らした。
「まるで僕らは二の次だな。そんな立派な後ろ盾があるならば大人しくその上級ギルドを頼ればいいじゃないか」
「……私も最初はそれでなんとかなるだろう思い込んでいました。ですが、彼らは聞く耳も持たず、終いには娘を……売ればいいと……ッ!」
怒りに震えた手が己の膝を叩く。
異国から様々な種族が集まるこの国。種族だけでなく、趣味嗜好様々な人々が集まる。中にはそう言った無抵抗の少女に暴行を加えることにより快楽を得る者もいると聞く。死体収集家や食人家などがそこらを歩いている国だ。そう珍しいことではない。おそらく手広く、闇市場にも関わりのあるグェン同盟にもそういった顧客がいたのだろう。
「多額の金を積み、他国から名医を呼び寄せたりもしました。ですが、娘は日に日に痩せ細っていくばかりで見るに耐えません。……どうか……どうか娘を深い眠りから、夢の世界から取り戻してください。私にできることならば何でもします! ですからどうか!!」
嫌味ばかり紡いでいた口を閉じるナルキス。氷のように碧く冷たい瞳は真っ直ぐに男を見据えたままほんの数秒の静止の後、薄く整った唇が次の言葉を問いかけた。
「キミの名前は?」