眠り姫
「……くだらない」
歪んだテーブルの上に広げられた手紙の束に目を通して第一声にナルキスはそう言うと涙が滲んだくしゃくしゃになったその一つを投げるように戻して小さな息を吐く。
「こんな手紙を見せられて僕に何を求めてるんだ? 同情して欲しいのなら他を当たってくれ。僕は人の不幸話に涙を流してやれるほど暇じゃないんだ」
テーブルを挟んだ向かいには見るからに裕福そうな男は悲しそうに眉を下げた。見た目からしてどこかの貴族、または豪商だろうか。綺麗に整えられた髭と質のよい衣服が嫌でも気品を感じさせる。普通にしていればさぞ貫禄のあることだろうが、赤く腫れた瞼と進行形で流れる大粒の涙、そして獣の咆哮のような泣き声が全てを台無しにしてしまっていた。
依頼があると我が家にしてギルド『あげたてメンチカツ』の門戸を叩いてきたから中に上げてみれば手紙を読んでくれと一言。後は泣くばかりで話にならない。
「うおーん! うっうっうっうおぉぉぉぉぉぉん!!」
「……泣きたいだけなら家に帰ってしてくれないかい? 正直言ってキミの泣き顔と泣き顔は酷く醜くて不愉快だ」
同情や慰めの言葉などナルキスの口から出るわけもない。あからさまに不快そうに顔をしかめて追い払うように手を振るナルキス。
血桜の一件の以来、ナルキスは焦っていた。
仲間たち、いやユウという心酔する人物が重症の怪我を負い、残されたギルドメンバーは自分とシュシュの2人のみ。王座決定までそれほど時間がない中でのこの状況はまずいと誰かに許しを得るわけもなく独断で休暇を取ったナルキスであったが、舞い込む依頼はどれも自分が出る幕とは思えないものばかり。留守を任された間、何か偉大な成果を上げて見せると意気込んでいたナルキスにとってこの時間さえも惜しく感じていた。
「ふぅ……まったく……どいつもこいつも僕をなんだと思ってるんだ」
いかにも不機嫌に、そして無礼に足を組み、肘置きに頬杖をついてナルキスは悪態付く。
「おねがいじますおねがいじまず〜」
何か必死に懇願する男をナルキスは侮蔑めいた冷ややかな瞳で見下し、彼が自分の足で帰路につくのを待つ。しかし、この男は諦めて帰るどころかナルキスの無礼極まりない態度や言葉に怒ることもない。ただ壊れたようにお願いしますと神に縋るように懇願するばかりだ。
「もう可哀想じゃないですか。話ぐらい聞いてあげたらどうです?」
しばらくの時間が経った。
いい加減尻の一つでも蹴飛ばして追い返してやろうと考えた矢先にそれまで熱心に大釜をかき混ぜていたシュシュが咎めるように口を挟んだ。
「話を聞きたくてもこんな状態じゃ依頼内容も聞けないじゃないか。時間の無駄だよ」
煮えたぎる大釜の中から真っ黒な煙が上がる。
「ひぐっ!? ……また失敗しちゃいました。ナルキスくんがそのおじさんに酷いことするからですよ! こっちは集中したいんです!」
「キミが何をしようと勝手だし、興味もないがこれだけは言わせてもらうよ。その釜の中で煮えたぎる得体の知れない液体はなんだ。いったいどこから持ってきた。もしもそれが錬金術、魔法具制作をしようとしているならば今すぐやめたまえ。その煙は妙に目が痛くなるし、壁もキミのせいで真っ黒だ」
相変わらず不仲であるが、同じ屋根の下で2人っきりという状況。殴り合いのケンカに発展するわけでもなく、どちらかが耐えきれず家出してしまうわけでもないのはある意味上手くやっていると言えるのかもしれない。それはユウの言葉がシュシュに何かを思わせたのか、はたまた2人が逃げ出すという選択肢を取らないただの負けず嫌いなだけなのかはわからないが。ただ言えることはナルキスがシュシュに手を上げたことは一度もない。意外にも紳士的なのかまたはシュシュに何かあればユウに嫌われる、そう思っているだけなのか。おそらくは後者であろう。
「外は暑いし寒いし寂しいじゃないですか。雨が降ったら台無しですし、まったくナルキスくんは何も分かってないですね〜」
明らかな挑発だが、ナルキスは鼻で笑い、一蹴。相手にするのもバカらしいと考えた。
「それで、話を聞いてあげろと言うが、キミにはできるのかい? この泣き叫ぶ醜い獣から人間が理解できる言語を話してもらうことが」
「う〜ん……そうですね〜」
とことこと大きな胸とサイドに束ねた髪を揺らし、男に歩み寄ったシュシュは肩を叩いたり、手を揺すってみたりと意識を引こうと試みるが効果はない。困ったように唇に指を置いて考え込んでいたシュシュはやがて男の耳元に顔を近づけ、
「あ〜〜〜〜〜〜〜〜ッッッ!!!!!」
耳をつんざくような奇声を発した。
「へわっ! は、はひ!?」
強引に意識をこちらに戻された男は状況が理解できずに困惑。その厳しい顔には似つかわしくない声を出して目を躍らせた。
どうだ、見たかとでも言いたげにドヤ顔をするシュシュを無視してナルキスは再度、落ち着きを取り戻したであろう男に問うた。
「依頼内容を聞かせたまえ」
実に高圧的かつ上から目線で放たれたナルキスの言葉に男は真っ赤になった眼を大きく見開いてこう答えたのであった。
「娘の目を覚まさせてください!」




