死んだら負け
焔に抱かれ、顔無しは暴れ狂う。
身に纏う服は焦げ、炭と化し、やがて炎は皮膚を焼き、肉を焦がしていく。
懸命に身を包む炎を鎮火しようと地べたを転げ回る様は先ほどの強者然とした風格は何処へか。焼かれた喉から出るのは獣のような雄叫びにも聞こえる。
「シュシュ!?」
顔無しという火元を前に巻き添えをくらってもおかしくない位置に倒れたままでいたシュシュの姿にクララがその名を呼びかけた。
暴れ狂い、我武者羅に自暴自棄になって襲いかかられてもおかしくない距離。されどシュシュは動かず。
「うぅっ……!」
どうやら飛び散る火花から顔無しの一撃を喰らい、気を失っていたマリーを守っているようだ。小さな身体をすっぽりと覆い隠すように身を呈して守る様はまさに母親のよう。顔無しを睨みつけたまま、地面に手をつくシュシュの隙間からマリーの姿は見えぬほど。
「うぐぉぉあ……ぐぅ……はぁはぁ……」
なんとか身を焼き焦がす炎を消し切った顔無しはよろよろとその場に立ち上がる。
全身はひどく焼き爛れ、元より形を失っていた顔はさらに凄惨に見る影もない。人体の焼けた鼻に付く臭いを煙と共に体から立ち上らせて顔無しは歯を食いしばった。
鬼の形相とはこのことだろう。目は血走り、食いしばった口の端から血が滴り落ちる顔無しの顔に浮かぶのは明らかな憤怒。
「貴様ら……ッ!!」
「……うッ!?」
目にも留まらぬ早業で投げられた一本のナイフがクララの肩に深々と突き刺さる。
許されない。いくら一般人、医者の卵、ただの小娘だろうと自分をこんな目にあわせて許せるはずもない。
肩をおさえて、しゃがみ込んだクララを一瞥し、顔無しは蛇のような吐息を漏らし、最も近場に伏せるシュシュたちへと目標を移す。
「皆殺しだ。貴様ら全員、四肢を切り落とし、泣き叫ぶ様を見ながら皮を剥いでやる。その血肉を畜生の餌にしてやる。泣いて許されると思うな。この場から逃げられると思うな。地の果てまで追いかけてでも貴様らは全員殺す。漏れなく1人残らずだ」
目を向けることもなく、顔無しの投げナイフが再び立ち上がりかけていたクララのふくらはぎを貫く。
「ぎぃっ!!」
だらだらと瞬く間に土に吸われていく己の血液。鍛えているわけでもなく、授能も持たないクララにとってそれは重症に他ならない。助けを呼びに逃げ果すこともできなければ、反撃をすることもできず。いや、先ほどの攻撃。あれでクララ自身ができることなどはなから頭打ちだったかもしれない。
「クソ……マジ? あたしこんなとこで死ぬわけ……ありえない」
目にうっすらと涙が浮かんだ。
気丈に振る舞ってはいるが、クララとてただの年頃の少女の1人である。ギルドに所属しているわけでもないし、好んで争いごとに首を突っ込む性分でもない。闇医者を営んでいた頃を考えれば人に恨まれることは少しはあったかもしれないが、基本的にはそこいらを歩く町娘となんら変わりない。ここに来ていなければ友人と一緒に買い物をして、笑い、泣き、怒り、年相応の平凡な暮らしができていたのかもしれない。
「……はぁ……まっ、それでもダチは見捨てらんないっしょ。ホント、クソみたいな死に方だけどさ……」
しかし、後悔はなかった。
幼馴染のシュシュをこの街で出会ったヘンテコな少女ユウを、どう見ても世を震撼させた殺人鬼には見えないマリーを、そんなに関わりはないが友人たちが信頼を寄せる肉屋の中年フランクを見捨てることはできない。命の危険があったならば尚更に。
「くぅちゃん、女の子がクソとか下品な言葉は使ってはダメですよ」
自分の運命を受け入れて、投げやりにため息を吐いた時、幼馴染の言葉がクララを現実に引き戻した。
いったいこの幼馴染はこの絶体絶命の状況で何を言いだすのだろうか。今まさに虐殺が始まろうとしているというのに言葉遣いに対する注意を受けるとは思いもしなかった。
「は、はぁ? ちょっとシュシュ、あんたこんな時に何言ってんのよ」
恐怖のあまり状況が飲み込めていないのだろうか、思わずクララがいつもの調子でツッコミを入れると対してシュシュもいつものように人を小馬鹿にしたようなため息を吐き、やれやれと首を振る。
「どんな状況であれ、乙女は乙女らしくあるべきです。だってわたしたち、まだピッチピチなんですよ!?」
「だから! あんた何をーー」
「ーーそれにわたしたちは負けていません。だってまだ生きてますから」
その瞳から未だ光は消えない。
諦めが悪く、楽観的で何故か何とかなるかもしれないと思わせる雰囲気。そのシュシュの面構えは何となくユウと重なって見えた気がした。
「ほぅ、ならばすぐにでも貴様の口から敗北を宣言させてやろう。靴を舐め、犬のように媚びて殺さないでくださいと言わせてやろう。死ななければ負けではないのだろう。どれだけ無様な姿を晒そうと死ななければなッ!!」
シュシュの顔を顔無しが思い切り蹴り上げる。ゴム毬を蹴るようにして振るわれたその蹴りにシュシュは吹き飛ぶように態勢を崩した。
「ッッ!!!…………うぅ…………痛ッ……」
可憐であどけないシュシュの顔が見る見るうちに痛々しく腫れ上がる。小さな鼻からは止めどなく血が流れ、滴る唾液に赤黒い血が混じり落ちた。