我が子のように愛すべし
「違うよ! もっと丁寧に! 恋人とのキスみたいに愛情を持ってしっかり混ぜるんだよ!」
「ひぎぃっ! お、おしりをつねらないでください! それにキスなんてしたことないですよ〜!」
紫色の液体が大釜でブクブクと泡立っている。その窯の前でシュシュはアウレアの厳しい指導に涙を浮かべていた。
「さっきからさっきからさっきから! なんでおしりをつねるんですか!? 間違ってたら口頭で伝えてくれればいいじゃないですか! いったいこの液体はなんなんですか!? 騙して毒薬とか作らせようとしてませんよね!?」
怪しくおどろおどろしい液体と色のついた湯気。その傍らでヒッヒッと奇妙な笑い声を上げるアウレアの姿はまさに魔女と言うべきか。
「バカタレ。この液はね、私ら合成術を用いる魔具師にとっては命より大事なものなのさ。魔具師によってこの合成液のレシピは多種多様、門外不出の秘伝中の秘伝なんだよ。それを毒液とはあんたねぇ」
「ひぎぃっ!!」
魔具作りの指南が始まってから何度めになるだろうか、アウレアの皺の寄った手がシュシュの膨よかな尻を再度、つねり上げる。脱げば青アザになってることは間違いない。
「……よし、そろそろだね。マリー、ナイフを寄越しな。シュシュ、あんたは手を止めたり、怠けたりするんじゃないよ。魔具は愛情だ、我が子のようにその窯を愛しな」
「……なくならない?」
ソファに座り、アウレアお手製のクッキーをちみちみと齧っていたマリーはナイフを手に躊躇うように眉を下げた。
「安心しな。見た目は変わらない。何一つね」
やけに自信ありげにそう胸を叩いたアウレアにマリーはそっとナイフを託した。
そして、そのナイフがシュシュに渡り、アウレアはまた真剣な表情で窯の中を睨む。ブクブクと泡立つ合成液、その泡が一つまた一つと弾けていく。無言の時間が数秒、数分と続く中でどうしていいかわからず、懸命に窯を混ぜていたシュシュの肩にアウレアの手が静かに乗せられた。
「今だ、ナイフを入れな」
「は、はい!」
ポチャンとマリーが大切にしていた唯一の母親の手がかり、そのナイフがシュシュの手によって窯の中へ投げ入れられる。
その折、不安そうにマリーがシュシュの服の裾を力強く握った。
「……な、何も起こりませんね」
「シュシュ、失敗しないで」
「し、しませんよ! というか、現状、失敗してもわたしにはわかりません!」
「失敗も何もまだ始まってもないよ。失敗するか否かはこれからさ。シュシュ、あんたに全てがかかってるんだからね」
「シュシュ、頑張って」
「な、マリーちゃんまでそんなプレッシャーを……。だ、大丈夫ですよね? 失敗しても大爆発とか起こりませんよね?」
「はっ、お伽話じゃないんだ。そんなこと火薬でも扱っていない限り、起こりゃしないよ。そうだね、あるとすれば……」
「あるとすれば?」
「合成液に溶けた蛇目蝶の毒が蒸気となってこの部屋に広がるぐらいさ。なに、丸一日ぐらい痺れてればいいだけだよ、換気ができればの話だけどね」
「マリーちゃん、今すぐ! 今すぐに部屋中の窓を開けてください」
「ガッテンだ」
シュシュの命を受けてフンッと鼻息を吹いたマリーは言われるがままに窓を開けに駆け回ろうとするも、アウレアが襟首を掴んだことによりそれを阻止されてしまう。
「バカタレ、いったいあんたは何度、私にバカと言わせる気なんだい?」
「だ、だって! 換気しないとみんなこの家から痺れたまま永遠に出れないかもしれないんですよ!?」
「最初から失敗を考える奴がどこにいる。成功すればいいだけの話。なんの問題もないじゃないか」
「そ、そうですけど……自信ないですし」
「このアウレア様が教えてやってんだ。失敗なんて万に一つもないよ」
それでも不安げに窯を混ぜ続けるシュシュ。たしかに世界に名を轟かせた魔具師であるアウレア、その人が側にいるのだからこれ以上に頼もしいことはない、ないのだが、どうにも自信が持てない。なにせ、アウレアは横から指示を出すだけで魔具作りの要らしいこの合成作業はシュシュが担っているのだ。どのぐらいの頻度でどのぐらいの力でどのぐらいの大きさで窯を混ぜれば良いのかはすべて口頭による指示。シュシュの腕越しにだってアウレアは木の棒に触ろうともしない。
「そのまましばらく混ぜ続けな。窯の泡が大きなものではなく、小さな泡に変わるまで愛情を持ってしっかりとね」
終いにはアウレアはそう言って窯の前を離れ、ソファに座ってしまった。
「ちょ、ちょっと待ってください! 側にいてください! お願いですから!」
「シュシュ、よそ見しちゃダメ。マリーの宝物が溶けてなくなっちゃう」
悲鳴のようなシュシュの喚き声も意に介することもなく、アウレアは冷めきった紅茶を静かに啜って息を吐く。
「なんだ、楽しそうじゃん」
「楽しそう? わたしがかい?」
からかうような声でクララが言い、歯を見せて笑った。
意図せずして、久方ぶりの魔具師として窯の前に立ったことに生きがいを覚えてしまったのか。アウレアは無意識に綻んでいた自らの顔を撫でた。