2人だからこそ
「あぁ……そう……」
衝撃的な事実を告げられたはずが、クララの様子はあまりにそっけない。というよりも、何か別のものに気を取られている、そんな感じがした。具体的にはシュシュとマリーの後方、茂みから覗いていた小さな広場の方を。
「くぅちゃん? いったいどうしちゃったんですか?」
青ざめた顔で声にならない言葉を発しようと口を動かすクララを不可解に思い、シュシュはその視線の先を振り返る。
「ん〜〜っ!?」
「こ、これってつまり……大ピンチ……つーことよね」
捕獲対象のはずだった蛇目蝶は目と鼻の先にいた。
巨大な翼で風を起こし、その羽根についた黄金の目が3人を威嚇し、身を竦ませる。まさに蛇に睨まれたカエルか、近付くのは危険。 そう知っていながらも足が石になってしまったかのように重く、動かそうにも動いてくれない。
「ヤバイヤバイヤバイヤバイヤバイヤバイヤバイヤバイヤバイヤバイヤバイヤバイヤバイヤバイヤバイヤバイヤバイヤバイヤバイヤバイヤバイヤバイヤバイヤバイヤバイヤバイヤバイヤバイッ!!」
「くぅちゃんッ! 落ち着いてください!」
何を考えているかもわからない蛇目蝶の目が空中から3人を見下ろしている。
仕切りに風を舞い起こす羽根から何かキラキラと光る粒子が降ってくるのが見えた。
「息を止めてください!」
鱗粉に麻痺毒の作用がある、それを知っていなければここで3人は全滅していただろう。
しかし、咄嗟に息を止めたとしてこの場に止まり、凌ぐことはいったいどのくらいの時間を我慢すれば良いのだろうか。危険生物に襲われた緊張が鼓動を早める。一刻も早く、竦んだ足を動かしてこの場を離れなければ息を止めたことなど急拵えの策に過ぎない。
シュシュたちを値踏みするように空中浮揚する蛇目蝶は知能が高いのか、ただ単に習性なのか3人に毒が回るのをジッと待っているように見える。
「ケホッ! ケホッ!」
震える足に檄を入れ、半歩ほどではあるがシュシュの足が動いた時、すぐ隣でマリーが苦しそうに息を吐いた。
当然、マリーが次に取る行動は空になった肺に新鮮な空気を取り入れること。マリーが息を吐いて数秒、小さな身体が受け身をすることもなく、背中から地面に倒れた。
「マリーちゃーーむぐぅ!?」
後方から伸びた手によって口を押さえられ、力いっぱい引き寄せられた。
「馬鹿ッ! あんたまでやられちゃうでしょ!」
2人より後方にいたことが功を奏したか、シュシュより僅かに早く威圧と緊張から解き放たれたクララは蛇目蝶の鱗粉が届かない草陰まで下がって叱りつけた。
「で、でもマリーちゃんが!」
「だからってあんたが捕食されたら助けることもできないでしょうが! 落ち着いて考えるのよ……きっとあたしらにだってあいつを追い払うことぐらいはできるんだから」
そうしている間にも蛇目は大きな羽根を羽ばたかせて地面に頬をつけるマリーの肩に止まった。そして見るも恐ろしいストロー状の口を伸ばす。このストローによって獲物の体液を吸い尽くすのが蛇目蝶の捕食。
「あ……いや……こわ……い…………ママ……」
鋭く尖ったストロー状の口がマリーの首筋に伸びる。これならば幼子の柔らかい肌など突き刺すに難くないだろう。
痺れは手足の自由を奪い、やがて舌さえもうまく動かせなくなる。ゆっくりと迫り来る死への恐怖に怯え、涙するマリーはその淵で自らが犯した罪を激しく後悔した。
『殺されるってこんなに怖いんだ……』
生への渇望。
動くはずもない身体を必死にもがかせようとした。だが、そんなことは何の意味も為さない。ただ、黙ってマリーは生きながら捕食され、ゆっくりと死にゆくのを待つだけだ。
「ーードーヌム・ベネディクトゥス!」
凶悪なストローがマリーの首の皮を貫きかけた時、眩く発光する光球が蛇目蝶の眼前に投げ放たれた。
パァンッ!
小さな破裂音が静かな森に響く。
ゴム風船を割ったような小さな破裂音。だが、しかし昆虫の一種に過ぎない蛇目蝶を驚かせるには十分だ。
奇怪な悲鳴を上げて蛇目蝶が飛び退いたその隙に口を空気でパンパンに膨らませたクララがマリーに駆け寄り、救出。
鱗粉の麻痺毒にやられないようにと一目散に駆け、その場を離れた。
「はぁ……はぁ……うまくいって……よかったです……」
「あ……んたの……しょうもない……はぁはぁ……魔法も案外使える……じゃない……」
一心不乱に走り、草陰に飛び込んだシュシュたちは肩を動かし、大きく息を吸い込んだ。
蛇目蝶もさすがにここまでは追ってこないだろう。木の幹を背にして周囲を確認し、安全だとわかると2人は小さく手を合わせて互いの健闘を讃える。
「わたしにできることと言えば鉄球を出すか魔法で紙吹雪を降らせるか、それぐらいですからね。鉄球は重くてわたしもくぅちゃんも投げて攻撃に使うことはできませんし、ここは魔法にかけようと」
「いやいや、マジ今回に限ってはあんたの魔法に救われたわ」
「へへ〜ん、もっと褒めてもいいんですよ? と言いたいところですが、あの時くぅちゃんが横にいてくれてよかったです」
「は?」
「あの時、落ち着けと言ってくれなければわたしはあのままマリーちゃんと一緒に食べられちゃってたでしょうし、わたしって足すっごく遅いじゃないですか。くぅちゃんの運動能力なくしてマリーちゃんを救うことはできなかったと思います」
「まぁ、あ〜〜、うん。面と向かって褒められると照れるからやめろし〜」
照れ臭そうに顔を背け、クララはシュシュの頭を小突く。