蛇目蝶
「……むりぃ。絶対、無理だってばぁ……」
シュシュに立派な魔具士にしてやろう、その言葉を信じてアウレアの家を飛び出した3人。半ば強引に手を引かれ、蛇目蝶らしき獲物を捕獲するために駆り出されたクララはそれから間もなくしてらしからぬ弱気な声、まるで年相応のか弱い少女のような声で目を潤ませたのだった。
「何を言ってるんですか! 目の前! 目の前にいるんですよ!」
「いるから! いるから無理って言ってんだし! あたしが芋虫だけじゃなくて虫全般がキライってのは知ってんしょ!」
「クララ、虫はちっちゃくてかわいい。マリーよりも手がいっぱいあるしかっこいい」
「それがキモイの! なんであんなに手足がいっぱいあんの? いらなくない? 動き方だってなんか妙に素早いし!」
「くぅちゃん! あんまり大きな声出すと獲物が逃げちゃいますよ!」
「あんただってあたしに負けないぐらい声でかいからね!」
「もう……カエルとかトカゲは平気なくせしてなんで虫だけ……」
「は? あんたのせいなんだけど」
その昔、毒薬とはまた別の一件でシュシュの取った行動により無数に集まった虫の海に落とされたことを忘れたのか。信じられない物を見るような目でクララはパクパクと口を動かし、震える。
「それにマリーさ、あんたちっちゃくてかわいいとか言ったけどさ!」
視線の先、クララは大木に止まり羽を休める獲物を指さし、鳥肌を立たせる。
「あれのどこがちっちゃいわけ!?」
そう、クララの足を竦ませた理由は明白。もしも、その蛇目蝶とやらが一般的な蝶のそれと変わらず、ひらひらと宙を舞うだけの無害な存在であればかなりの我慢を強いられるが捕獲することは容易かったであろう。
だが、違う。クララの細い指がさすその先には凡そ一般的なちょうちょと呼ばれるような可愛らしい存在なんかではない。毒々しく黒色をベースにした羽根には名の通り金色に輝く蛇の目のような模様。まるで自分から近づくのは危険だと主張しているような見た目に蝶とは名ばかり、その姿は明らかに『蛾』以外の何物でもない。
「……マリーと同じくらい大きい」
そして何よりも恐怖心を抱かせるのがその巨大さ。
遠目からでもそれはわかる。だからこそ、こうして昆虫採集などたいしてしたこともなかった素人と言っていい少女らが簡単に見つけることができたのだ。いくら樹齢何百年といった木々が並ぶこの森の中でもその姿を完全に隠しきることが難しいはずなのは簡単に想像できる。
「たしかに大きいですね……この網じゃ捕まえるの難しそうです」
「いやいや、そんな問題じゃない。あんな化け物に近づくなんてあたしは絶対嫌だから」
「う~ん、確かにくぅちゃんの言う通りかも。おばあさんの話では鱗粉に麻痺毒の作用があるって言ってたから刺激して周囲に巻き散らかされたらたまったもんじゃないですし」
「違う。純粋にキモいから。無理だから」
「でも、マリーたちは虫網の他にはこの虫かごぐらいしか持ってきてない」
マリーは首にかけられていた古く小さな木製の虫かごを両手で持ち、差し出した。
「そんなのじゃ、あんな化け物捕まえたとしても四つ折りぐらいにしなきゃ入らないわよ」
「ダ、ダメですよ! 小さな虫さんとはいえ命なんですよ! ちゃんと生きたまま捕まえて用が済んだら自然に帰してあげないと!」
「ちっさくねーから」
真顔で呟くようなクララのツッコミを受けるが、気にする様子もなくシュシュはさも高名な学者先生のように顎に手を置いて深く唸った。
「近付かずに捕獲……う〜ん、難しいですね」
「ワナとかは?」
シュシュを見上げて言うマリー。
「現実的なものだとそうですが、おばあさんは楽な仕事だって言ってましたし、何か他にいい方法があると思うんですよね」
「……! マリーが影に入って後ろから捕まえる!」
頭に電球マークでもつきそうな閃き顔のマリーだったが、シュシュは間髪入れずに首を振る。
「捕まえるって言ったってあのちょうちょはマリーちゃんと同じぐらい大きいんですよ? それに鱗粉に毒があるんですから近づいた瞬間に動けなくなって捕食されちゃいますよ」
「……は?」
「やっぱり安全面を考慮して何かワナを作るしかなさそうですね。幸い、この森は色々と資源が豊富で材料に困ることはなさそうですし」
「いやいや、ちょっと待ってって」
「なら、ちょっくらワナの材料とエサを探しに行きますか!」
「おー!」
「ちょぉ待てぇ!!」
マリーの突き上げた拳を無理やり、下に下ろさせてクララはシュシュの胸ぐらを掴んだ。
「捕食って何? 捕食って意味わかってる?」
「バカにしないでください。それぐらいわかってますよ。捕まえて食べちゃうってことです」
「…………あの蛾、人間喰うの?」
「言ってませんでしたか?」
シュシュは大きな目を丸くして小鳥のように可愛らしく首を傾げた。
「はい、あの蛇目蝶は肉食も肉食。自分を食べようと襲ってきた鳥を逆に食べてしまうぐらいだっておばあさんが出先に教えてくれました」