12 術
生還したという事実を反芻するたびに、嬉しいやら怪しいやら、寝起きの思考では到底処理できようもない量の感覚が、疲労と入れ替わってきたのだが、もう面倒くさいので考えるのを止めた。
明日の私がどうにかしてくれるさ。
余計な思考がなくなったおかげで、さっきまで何か考えていたことを思い出した。
それと同時に、はるが思い出したかのように顔をしかめる。
「雪殿…年頃の乙女がさせてはいけない香りがいたします…」
思い出した
そりゃそうだ。
夏の日に、蒸れまくる鎧を身に着け日中を奔走で過ごしたら、いくらJKでもそれなりな臭いがすることくらい常識なのだよ。
ごめん、はる。ご褒美だとか戯れている場合ではなかった。
穴があったら入りたいが、残念ながら穴がなかったので、代わりに風呂に入ることにした。
改めて、酷い汗の臭いだ。陸上競技でさえもこんなに臭ったことはない。
気づかれたのがはるでよかった。
着ていた、というにはあまりにも乱れている薄布を脱ぎ、初めて目にするぬか袋を、使い方も分からぬまま手にした。
木だろうか、湯気の熱を持ってほんのり温かい扉を引くと、一瞬大浴場と見紛うばかりの広さであった。
曲げわっぱだろうか、凹凸のない手桶からはこの世界の技術力の高さが伺える。
しかし、変わった風呂だ。浴槽の下にあるアーチ状の窯の中で何やら燃えているのが見える。浴槽を窯に直乗せするとはなかなか大胆だな、とは思ったが、それよりも、燃えているのは炎の形をしているが、不思議な色をしていた。赤いかと思えば黄に、そして緑から青、紫を経てまた赤に戻る。LEDみたい。
「その炎が気になりますか?」
「あっ、また来たの」
「また来たとは失敬な。ついに私がお嫌いになられましたか」
むくれているはる。かわいい。
かわいいが、機嫌を損ねているような素振りを見たので弁解するとしよう。
「ごめんごめんそんなつもりじゃ」
「冗談です。ふふっ、そんなに慌てて。お背中、お流ししましょう」
たすきで腕まくりをしたはるは、一層白く、細く見えるのであるが、しかし、背中を流す様子からして、決して非力などと言えたものではなかった。
いつだったか、母親と一緒に風呂に入っていた時のことを思い出す。
「あの炎は一体?」
「あの輝きも、術によるものなんです。炎が幻術を纏っているんですよ」
「炎が術を?そんなこと誰が?」
「誰もしておりません。ええ、強いて言うならば炎自身がしているのでしょう。」
「炎自身?」
「そ、炎自身です。」
そう言うと、はるは急に思い立ったようで、
「そうだ、炎ついでに、一つ昔話をしましょう。これは私が二つか三つの時の話、雪殿は生まれていませんね。まだ術というものが存在していなかった頃です。ある日、ええっと、確か……そうだ、その日も今日と同じような暑い夏の日でした。まだ朝方で、日もそこまで登っていないような時間に、薄青の空に一本の光芒がきらめきました。それが地に落ちるかと思った刹那、中空で弾けて蜘蛛手に散じました。しばらくすると、妙なのです。衆生、いや、有象無象が命を授かったかのようにしているのです。とはいえ、手足が生えて歩き出したということではないのですがね。畳のけばが水を得た苔のようにひらひらしているかと思えば、障子の紙は息をするように膨らんではへこみ、そして、かまどの火は、鮮やかに輝くようになりました。このように」
そう言って、はるはおもむろに右手を差し出すと、窯の火を掬うようにして持ち上げた。
「えっ嘘、熱くないの!」
それでもなおにっこりしている。
「熱くはありませんよ。炎が術を纏っているので。術は術で打ち消せますから、こうすることもできるのです。仕組みは照光殿にお聞きくださいね」
手の上で燃え盛る炎の欠片は、まるで命あるかのように色を変え、形を変え、揺らぐ。
「話を続けましょう。あの日以来、この世にあるもののほとんどすべてに術が宿りました。もちろん我々人間にもです。しかし、こうして術を操ることができるのはほんの一握りだけで、術が宿ったとき、その力の強さゆえに命を落とす者もありました」
炎の盛んな様子とは反対に、はるの顔に影が差す。
「それが、先代の当主、芝原輝時でした」
先代、私の父に当たる人物。
「先代は、武芸百般に通じ、特に戦闘センスは織田家臣下中において三本の指に入るようなお方で、非常に戦闘に特化した術を編み出しました。それがこの術『控馭術』です。芝原家は、この術を用いた戦闘隊形を確立することで、戦力を落とすことなく、戦闘員の削減に成功しました。これにより、我が軍は異例の連戦が可能となり、字見、大久我を抑え込んで駿河の地を獲得しました。ですから、あのまま事が進んだならば、敵両家を討伐でき、織田・豊臣連合軍の活路を開くことができたはずでした。」
「しかし、元々壮年の先代は、相当の豪傑だったとはいえ、次第に衰えてゆくのが目に見えました。老いには逆らえないのが人の常。術は老化とともにその体を蝕んでゆきます。」
「術が落ち来てから二十年。再び、字見との闘いです。その日も我々は術式戦闘で着々と敵軍を削ってゆきました。しかし、突然、自陣後方で大規模な爆発が起きたのです。何事だと、振り返ってみますと、そこには火だるまになった先代の姿がありました。……それは皮肉にも、自らが放とうとした爆術を抑え込むことができずに、自爆してしまったのです。術に食い殺されたのです。その後、司令塔を失った自軍は自然と崩壊、敗走となり、その時ばかりは字見の足を止めることで精一杯でした。」
「丁度、その一月後でしたね、雪殿が入れ替わられたのは。」
「申し訳ありません、喋りすぎました。続きはまた今度。」
一連の話を背中を流し終えるのと同時に済ます。
一気に喋り通した後の残響が記憶に引っかかりながら、滴る水が静寂を打った。
はるは、どこかうら悲しいような空気を纏っている。
「それでは、私はここで。どうぞごゆっくり。」
炎を気にしたはずが、先代の話に遡り、術の裏側まで知ってしまった。
腕に力を籠めると、鮮やかな炎が掌で身を燻らし、温もりを生んだ。
先代との血のつながりを感じさせるような、人肌の熱。
術、先代、字見、etc……
「術に喰われて敵を喰う、か。」
くだらない独り言が響きを残すことはなかった。




