逃避したい気持ち 箇条書きの思い
勝利は黙って机に座り、自分の現在の心情をノート切々と書き綴った。箇条書きのような形だった。
これは真澄の貸してくれた精神回復に効果のある療法で、勝利は信じてやってみる事にした。
(本を貸してくれ心配してくれた椿の気持ちに答えるために……!)
つらつらと自分の心の中にある問題点を字にしてみる努力だった。はーっと深呼吸をした。
(一番大事なのは、自分の吐き出したい素直な気持ちを書き出す事だ)
かくしてノートにいくつかの文が並んで行った。
不思議な事に落ち着いて書面に書くと普段わからなかった悩みの原因が見えてくる。
「一番問題なのは、門限どうこうではなくがんじがらめにされている事だ」
「そういった親と一緒にいれば人生の様々な局面で影響を出すだろう」
「節目ごとでなく24時間拘束されているようなものだ」
「お金がないから一緒に暮らしてるんだろう」
紙に書いてみて初めてわかる置かれている局面や心情を把握する事が出来た。
何かすっきりした気持ちだった。
これを「悲劇のノート」と名付けた。一旦は勝利は何かから解放された気持ちだった。
(明日椿にも報告しよう。元気になった、ありがとうと)
「自分は甘えている。」
「自分は子供の頃から恐怖を植えつけられている」
「自分を抑えるのが当たり前になった」
これらは自分の状況を落ち着いて分析して言葉に出来た物であった。
真澄に借りた本に「現在悩んでいる事」を羅列して書き出すのが問題をはっきりさせるのにいいと書かれており、それが出来た分だけ少し変わったと思えた。
勝利はノートを書き終えると居間に行きかなり腹の底から勇気を振り絞り思い切った、賭けをするような気持だった。
しかしたまりにたまった気持ちを母に言った。父はまだ帰っていない。「俺と一緒に逃げよう」
「……」
さすがに絞り出すのに勇気がいった。
渾身と言っていい。言えばこの先の人生がどうなるかわからない。
実際口に出す事自体賭けでかつ母親が受ければさらに賭けが大きくなる。母を自分だけで守らなければならないからだ。
本当に考え抜いた答えなのか疑問だった。しかしここでいわなければ手遅れになる危機感が強くありそれに強く押し出された。
かれはいざと言う時やけぱち決断をする。真澄を救うためボクシン部に啖呵を切った時もそうだった。
一方母はなんだと言う驚きの表情になってから一転硬くなった。膝に置いた手が震えている。
勝利は続ける。
「このままじゃ父さんに心も体も破壊される。俺働くから。友達から借りた本から夫婦の不仲で我慢しすぎてさらに後で不幸になった人もいるんだ!今逃げなきゃあとでずっと苦労する!」
「別にいいわ」
「いいわけないじゃないか!母さんは昔からそうだ。本音をおし殺していつも父さんの事にたえてその上かばってる。でもそれは自分に嘘をついてるだけなんだ。俺も最近になって分かったから、自分の本当の気持ちが」
しかし母は本音を押し殺したような顔で言った。心なしか結婚生活特に昔を思い出しているようだった。
「貴方が考える事じゃないわ」
「俺が考えなくて誰が考えるんだよ」
「貴方にお父さんとの関係が何がわかるって言うの。いいから勉強に集中なさい。」
「私はあの人を世界で1番愛してる」
勝利は驚嘆した。
腰砕けになりそうな意外な一言であった。しかし明らかに無理をし平静を装っていると勝利には受け取れた。
「嘘言ってない? それが本心だとは思えない」
勝利は母が自分が今まで不幸であったことを認めたくないのだと察した。しかし自分の非力な力では現状を打破する事は出来ないがそれを認めたくない、非力な人が非力だと言う事を認めつつも認めたがらない心理なのだと察した。
まだ17年しか生きてない勝利にも母の辛さは伝わった、理解した気になっていた。
自分しか母の気持ちは理解できないと若干の思い上がりも生まれていた。
母は勝利がいなくなってから言った。
叫ぶような1人言だった。そこにはこれから出会うであろう勝利の好きな女性に対する架空の憎しみが充満していた。
いないのにさも憎い相手がいるような調子だった。明らかに精神が病んでいる状態だった。ソファーをつかみ腕が震えていた。
「あの子はどんな女にも渡しはしない!」
そこへふすまを開け父が入ってきた。開けた途端母の憎しみを全て打消し遠くへ追いやるような権幕
で怒鳴り声が家中に響いた。
顔が震えている。
「お前が俺を愛していない事はわかってるんだ!」
父は母の腹に蹴りをいれ、さらに顔を殴った。
母は倒れたが黙っていた。
そこへ勝利が来た。またかと言う気持ちと何が起きたのか、それだけでないついにここまで来てしまったかという絶望感と防げなかった力のなさ。
尋常ではないと言う怖さが同居する、そこにあきらめも混じった表情だった。
「やめろよ!」
やはり自分に言った事は母の本音ではなかった。こうして怒鳴りあいをしているのが何よりの証拠である、それは自分には結局母の心を救える力がない、相談相手にもなれない事がわかった、自分の力のなさへの悔いだった。
勝利の胸にはあきらめきっていない父の暴力に対する怒りと憎しみが残っているのを知った。気がつくと拳を握っていた。
しかし勝利は殴ろうとしたが躊躇した。勝利の中の何かが親を殴る事をぎりぎりで止めさせた。
それは通報される恐れではない。親を殴ると言う禁断に対してだったのかもしれない。
しかし父は怒りと舐めたかおで見ている。
「どうした、親を殴る気か」
「い、いえ」
激しい憎しみを押さえ刀をさやに戻すように勝利は手を引っ込めた。父は勝利を殴った。
また勝利がいなくなってから母は父に泣き叫んだ。それは勝利に家庭の内情を隠した分父に本心を吐き出すようだった。
姑に対する悲しみと憎しみが込められていた。
「お母様は私の劣った遺伝子が入ったから勝利の出来が悪くなったんだと言ったんです! あなたにわかりますか! あの子がミスするたびまぬけやのろまが移ったと言われたんです!」
「うるさい!」
また父は殴った。それは相手の痛みや悲しみなどみじんも理解する様子もない。機械の様でもあり獣のように獰猛であった。
そこには相手の人格や人権を考える人間の情が入る余地はなかった。
「昔の女は好きな男と結婚する事は許されなかった、貴様はただ贅沢をいっているだけだ! お前の遺伝子が原因があるのは事実だ。ただでは済ませていない所だ。この家にお前をおいてやってるだけでもありがたいと思え!」
「やめろ!」
そこへ勝利が入ってきた。
父は睨み付けた。
「親を殴るのか、やはりお前は頭はからっぽで腕力と凶暴さだけが取り柄の男だな! これから成人するというのに人を殴り社会に反逆し殺人を犯すんだ! 暴力だけを誇示して生きるのか社会人になると言うのに、自覚がないのか!」
父に怒鳴られ続け勝利はとげを抜かれた気持ちになった。
次の日学校で勝利は集中出来ない中必死で授業を受けたが頭は混乱気味で字も汚くなっていった。
あくびをすると怒られるので必死に抑えていた。クラスメイトたちは勝利が変わったのを敏感に感じていた。
小宮は担任の西巻と勝利について話した。小宮もさすがに額を押さえており、西牧も目を時々つぶり悲しく同情した。
「彼の相談には乗っているんですが。彼は家族への不満をいう時熱くなってまくし立てる事があって聞き取りにくかったり状況を把握できないような所があるんです」
「高2の大事な時期ですからね。ここでつまずいて受験に失敗したら人生に及ぼす影響は計り知れません。」
勝利の父は会社で不意に部下に聞いた。28歳前後の青年だった。世間一般論を知る意味だった。
「君は人を殴った事はあるかね」
部下は意表を突かれた感じだった。
「そ、そうですね、少し小学生の頃にあったかもしれません。ちょっとした喧嘩が」
「少し息子の事で悩んでいてね。17歳にもなって人を殴ろうとするとはもはや将来は・・」
そこへ父の同期の社員が来た。
「若いんだ、怒ったりすることもたまにはあるだろう?」
しかし父は真剣に悩み近寄りがたかった。受け付けない様子だった。
「しかしこれから成人して暴力をふるいさらには殺人を犯すような事があったら・・」
「ま、待てって、いくらなんでも言い過ぎだろう。」
父は話題を少し変えた。
「妻も息子も、私が働いている事は大して理解もせず感謝もしない、それでいて不満ばかり言う。」
勝利は再度母に尋ねた。
「ねえ、本当にいいの?このままで」
「この家に来ていい事なんか1つもなかった!あんたを育てるためあの姑のいじめに耐えていた。あんたが1流大学に受かって立派な人間になるしか報われる術はないのよ」
また勝利は不満をノートに書きつづっていた。
(こういう不満をノートに書きつづったりする人は暗い人だと思っていたが自分がそうなるとは思っていなかった。でも自分もそうなんだと思う事が出来たけど。)




