試合後そして・・
試合の余韻を半ば打消し体育館が大荒れとなる事件に発展し当事者である戸田は騒ぎの後、気を失ったまま保健室に連れていかれたが、また発作が起きる事を懸念され、近くの病院に搬送される事になった。
救急車を見送る生徒たちは本気で心配する者もいたが決して侮蔑ではないものの恐怖の混じった差別的な目で眺めている生徒もおりそれが人間の差別的意識を浮き彫りにしていた。
戸田が学校において、もう「普通の生徒」として見られる事は非常に困難である事は生徒の反応が証明していた。
女生徒が戸田を身を避け怯えていた反応もそれを端的に表していた。
勝利は試合後しばらく保健室で休む事になった。包帯が痛々しかった。
放課後様子を見に行こうとした真澄を国木田は呼びとめた。国木田はクラスが騒然とする中、戸田を病気のような目で見ることはしなかった。見ない様にしていた。
無意識にそういった態度にならないよう努める力が彼女にはあった。真澄に話しかけた。
「あんな事になっちゃったけど、でもみんな凄かった。尊敬する。日向君も戸田君もあんなに強いなんて初めて知った。」
その表情は暗さを払拭し、心から彼らを称えよう、自分、そしてクラスのためにも頑張った3人を祝福する笑顔だった。
尊敬心もあった。真澄も明るい気持ちになっていった。クラスに分けたかった気持ちがあった。
真澄も笑顔で返した。
「うん、僕も同じ男として尊敬する。皆死力を尽くしてた。練習も、試合も。」
「でも椿君も凄かったよ。乾をやっつけたり何よりその後が…すごく綺麗な音色だった。」
「僕も戸田君たちを救うため最後の手段でやったんだ。もし失敗したらと怖かったけど祈るように。」
真澄は笑顔だったが体も声も震えていた。
「日向君、もう気がついたかな。」
「なるべく休ませたいけど戸田君がどうなったか教えないと。」
二人は保健室に急いだ。
勝利は少しからだがぎしぎししたが補うように笑顔で上体を起こし二人を迎えた。顔のアザが痛々しく無理をしている感があった。
顎ががちがち言っていた。真澄はどう切り出していいかわからなかった。国木田が顔の1か所に気がついた。
「あっ、ここ血が固まってる。痛そう。」
「あっ、いやこれほくろだよ。」
少し間をおき真澄は事態を説明した。
「戸田君、病院に運ばれた。寝てる状態で。」
勝利は何かを考え顔をしかめた後半ば安堵し、
「そうか、病院なら医師や看護婦がいるから安心だ。」
国木田は案じた。
「日向君、大分戸田君に殴られてたけど…」
勝利は安心させる意味合いも含め笑顔になった。
「ああ、全然効いてないから、て少し効いたけど。」
国木田は
「そりゃ、戸田君は半分現役なんだから。痛いでしょ。中西先輩と戦った後だし。」
「俺も怖かった。でも戸田は俺が止めないといけないと思ったんだ。」
「どうして?」
勝利は2週間を思い返した。様々な練習や痛み、苦しみ、情熱がフラッシュバックし時間順にならんでいった。勝利の中では2週間と言う短い時間でも前と明らかに何かが違う、体の中が入れ変われたような充実感を感じていた。脱皮とはこのことだろう。同時に常に戸田の姿があった。
「戸田が俺にボクシングを教えてくれたんだから。厳しかったけど。それにあいつが抱えてるトラウマを何も知らなかったのが何か申し訳なくて。」
国木田は意を汲み目をつぶり反省した。
「誰も知らなかったよね。クラスでだれも。」
「戸田君のトラウマってみんな知らなかったんだ。」
真澄は意外そうに聞いた。国木田は
「うん。ただ彼モップを見て怯えた事があった。あの時は何故なのかわからなかったけど。」
国木田はその時の自分に後悔の念を持っていた。せめてあの時追求していたらこんな事にはという気持ちだった。
「あいつに何があったのか聞きつらい。」
「モップがキーなんだと思うけどフラッシュバックとかデジャブっての聞いた事ある。何かのきっかけで過去の出来事をつい今の事のように思い出すっての聞いたわ。」
「モップがキーになる思い出って何だろう。」
「彼は事件のトラウマを持ってるの。」
そこへ説明するように保健教師の小宮が来た。髪が長くすらりとした体格で白衣がにあう。冷静で聡明なイメージの女性だった。腰に手を当てたポーズが似合う。しかし不思議と冷たさより柔和さを感じる話し方である。
「全部は言わないけど、彼は家に強盗に入られてモップで戦った事があるの。」
小宮と担任の西巻は生徒がいない所で話した。
「彼は正当防衛とは言え恐怖から激しくモップで暴れた。ボクシングをやめたのもそれがきっかけと言われています。」
小宮は資料を手に話した。
「アダルトチルドレン問題のように思春期に受けた傷をきちんとケアしないと後で大きくなる。彼家族関係は良かったのかしら。」
「家族関係は良かったようですが、あっそういえば日向は実は家族に悩みを抱えているらしいんです。それを変わってる家庭だと生徒が噂していて気になったのですが。」
「彼、時々ここで悩みを話すの。つらそうだったけど、家族が変わりすぎで忠告が難しかったわ。」
西巻は偶然真澄に廊下であった。
「おお、椿。お前の大学進学や奨学金についてだが、上手くいきそうなんだ。」
「えっ?本当に!」
「ああ。お前も苦労が大きかったろう。」
「ええ。」
「大学を受験して行けるかもしれん。」
真澄は心が暖かくなっていくのを感じた。苦労が身になった。母のため犠牲にしたものは無駄ではなかったと。遊びも進学も諦めたつらさがあった。
「嬉しいです。」
真澄は喜びを静かに噛み締めた。西巻も誉めて激励したい気持ちだった。
「それは良かった。あっ、そうと、お前よく日向と話すだろう、今度家族の事で相談に乗ってやってくれんか。」
「えっ?」
真澄には意外な申し出だった。前に聞いた話を思い出した。
季節は11月、まだ秋の残り香があった町の風景からは秋は淘汰され、年末に向け忙しくなる人達は行き交い、コートを着て駅へ向かう人達は手をこすったり息を吐き温めている。
真澄は英単語のカードを開いて見ていた。
(私も大学に行けるかもしれない。ひょっとしたら日向君と同じ大学に。)
そこへ傷のいえない勝利が来た。真澄は朝偶然にあえてうれしいと言う感情があった。さすがに疲れきっている。真澄は察してねぎらった。まず自分の事は置いておいた。
「すごい試合だったね。」
その言い方には国木田と同じ異性への尊敬心があり、同時にばれないようにしていた。
「うん、頑張って自分がすごく変われた。ただボクシングはこれで終わり、後は受験に専念する。」
「日向君ってA大学志望だっけ?実は僕も…今勉強してるんだ。」
と言ってカードやリスニングテープを見せた。内心早くそれを伝えたかった気持ちもあった。
「えっ?受験するの?」
しかし一方で真澄は他に話す事があるため満面の笑みではなかった。
「うん、奨学金が出そうなんだ。」
「それは良かった。」
真澄は間をおいてためらい悩みながら切り出した。相手の家族に踏み込む事にすくなからぬ抵抗がありまた正体がばれるのではという不安もあっさた。何とか切り出すタイミングを見計らい、切り出した。
「…ねえ、家族の事に悩んだら僕に相談してよ。」
「あ、ああ。」
少し意外そうな反応をした勝利を本気で真澄はうつむきながら心配した。
「もし、戸田くんみたいにパニックになったりしたら。」
不安な表情の真澄を安心させるように勝利は嬉しそうに答えた。
「うん、お願いするよ。」
真澄は嬉しかったが全てを顔に出すのはやめた。それは愛情が混じっている事を認めたくない、同時にばれたくなかったからだった。しかし真澄は友情と言うより胸の中の愛情が次第に大きくなっていくのを感じた。
(彼の相談にのる事でもしかして私の事を…もちろんばれたら困るけど。)