悩み相談
ついに物語は動き出す……?
ガラリと扉を開け、僕はその初めての場所に足を踏み入れる。自然と音を立てないように、と動いてしまったのは、きっとここが図書室だからだろう。
図書室の中を見渡すと、たくさんある机と椅子に腰掛けて本を読んでいるのは、わずか三、四人程度だった。
小学校の頃はどうだったかもう忘れてしまったけれど、中学校の頃の図書室は放課後でも、もっとたくさんの人がいたと思う。
高校の図書室に人が少ないのは、きっとみんな読書よりも学校の勉強とか部活動とかに精を出しているからだろう。
些末な思考を走らせながら、僕は噂の正体を探していた。さっき見た貼り紙に書いてあった通りならば、今ここでは噂の人物が悩み相談を受け付けているはずだからだ。
机と椅子が並んでいる場所の奥にはたくさんの本棚がある。高校にしては割と、本棚の数は多い方なのだろうか。うちは公立だし、きっと他の高校とそこまでは大差はないのかもしれない。
視界に件の真相が見えないことがわかると、僕は本棚の奥へと足を進めていった。
並んでいる本はどれも高校生向けの本である。そこそこ有名な海外のファンタジー小説とか、歴史の本とか、図鑑とか。市の図書館とは明らかに違っている、学校という場所独特のセンスだった。
自然と本に目が行ってしまうのは、僕がそこそこの本好きであるという証左だった。
足を進める。本棚を抜けると、そこには受付があった。カウンターと表現した方がいいのかもしれない。足すと、受付カウンター。どうでもいい響きだった。
受付カウンターに座っている人物がいる。その姿を見た瞬間、先ほどまでの僕のどうでもいい思考は吹き飛んでいた。残されたのは、カウンターに座っている凄く凄く綺麗な女子生徒の姿と、その女子生徒に思いつめた表情で話すどこかの誰かの姿だった。
数瞬後、僕の思考は正常な働きをかろうじて取り戻していた。
さっと体を本棚の陰に隠す。図書室の明かりが思いの外暗かったことと、宵闇が迫ってくるこの時間のおかげで、僕の姿を上手く隠すことができた。
息をひそめながら、静かに耳を澄ます。なぜだか、いつもより少し強く脈打つ鼓動の音とともに、涼やかな音色の声が耳に届いた。
「じゃ、始めましょうか。あなた、お名前は?」
「松島奈央です」
「そう。松島さん、あなたの悩み事を教えてもらえるかしら?」
どうやら、ちょうど悩み相談が始まったらしい。悩み相談をしに来た女子生徒は、そこから訥々と彼女の悩みを話し始めた。
「私、実は今同じクラスの女の子たちから除け者にされてるんです」
「きっかけは?」
「野球部の男の子に告白されて、それを断ったことだと思います。クラスでも目立ってる女の子が、その人のことを好きだったらしくて……」
「で、その彼に好かれていたあなたが気に入らないと」
よくある話だ。人気者に気に入られなければ、群れからは弾き出される。ただ、実際にそういったことがあるのだなと、なんだかびっくりした。
「そうなんです。それから、私に対する嫌がらせが始まって、今はもうクラスの女の子みんなに無視されて私どうしたらいいか」
女子生徒のすすり泣く声が聞こえてきた。かわいそうだなと思う。他人に好かれるのも、嫌われるのも結局は他人次第であるというのに。自分の与り知らぬところで、どんどんことが進んでいくのはきっととても怖いことではないだろか。
「辛かったね。その男の子に好かれたのも、君のせいじゃないのにね」
涼やかで、どこか大人びている声。その声の持ち主は、どうやら僕と同じ考えらしい。そのことに少し興味を持った僕は、本棚の陰からそっと顔を出して、受付カウンターの方を見た。
すると、俯きながら目を擦っている女子生徒と、その女子生徒を優しく宥めている人がいた。
目を擦っているのは、相談している側の人物だろう。そして、僕の予想が正しければ、宥めているとっても優しそうな人が、噂の榛野先輩のはずだ。
改めて視界に入れた榛野先輩の姿は、僕の想像以上に綺麗な人だった。
肩の少し下の方で切りそろえられた絹みたいな髪、黒真珠のような瞳、高く通った鼻梁、綺麗な桜唇、顔全体で見れば可愛いというよりも綺麗という印象が強い外見だった。
ぼうっと、その美貌に見惚れていると、目が合ってしまった。相談している女子生徒はまだ目を擦りながら、何やら話を続けている。泣いている女子生徒を宥めている女性は、なぜか唐突に僕の方に視線を向け、そのまま視線を固定している。
どうしよう。盗み聞きするつもりなんてなかったのに。
頭の中で色々な思考がめぐりにめぐる。
困惑する僕をよそに、榛野先輩と思わしき女性は、ゆったりとした笑みを浮かべた。そして、その表情のまま、人差し指をそっと口元にあてて片目をつぶった。
その姿に僕はまた固まってしまった。とりあえず、黙っていたらいいのだろうか。胸の鼓動が激しさを増す。
僕はただただ、相談の成り行きを見守るしかなかった。
「あなたはどうしたいの?」
「今の状況をなんとかしたいです。除け者は嫌なんです」
悲痛な声だった。現状をどうにかしたいという女子生徒の気持ちが、そこにはあふれていた。
「あなたがどうしたいかはわかった。じゃあ、私の考えを伝えるわね。私は、あなたが今をどうにかしたいなら、自分から動くしかないと思う。たとえ無視されていようが、あなたがきちんと自分の言葉を伝えたら、きっと上手くいく、私はそう思う」
ゆっくりと、一言一言諭すように、彼女は言葉を伝えていく。彼女の言葉は正論だ。除け者にされている女子生徒の現状を変えられるのは、女子生徒自身しかいない。けれど、それはとても難しいことじゃないかと僕は感じた。だって、現状を変えようと動き出すには、きっと途方もない勇気がいるはずだから。
「でも、今さら私ががんばって、どうにかなるんでしょうか」
女子生徒はとても辛そうに言葉を紡ぐ。そんな、女子生徒に彼女は優しい笑みを浮かべた。
「大丈夫。あなたが上手くいくように、私が魔法をかけてあげるから」
少し茶目っ気を含んだ声で、彼女は女子生徒を励ました。魔法ってなんだろう? 彼女の発した「魔法」という言葉を、僕は不思議に思った。
「魔法?」
「ええ、魔法よ。安心して、怖いことをするわけじゃないから。それじゃあ、私がいいっていうまで目を瞑ってね」
ふふっと微笑んだ彼女は、女子生徒が目を閉じたことを確認すると、そっと女子生徒の頭を撫でた。
その時、僕は見てしまった。彼女の手がほんの少しだけきらっと光るのを。錯覚かもしれない。けれど、彼女のさっきの「魔法」という言葉のせいで僕はそう疑うことができなかった。
「もう目を開けても大丈夫」
女子生徒が目を開けても、彼女はさっきまでの微笑みを保ったままだった。そして、彼女は席から突然立ち上がった。
立ち上がった彼女の身長は、百七十三センチの僕よりも少し低いくらいだった。女子にしては高い方だ。
そのまま彼女はすたすたと、受付カウンターの近くにあった本棚の方へと歩いていく。僕がいる本棚とは別の本棚だ。そして、一冊の本を手に取ると、受付カウンターにまだ座っている女子生徒の方へと歩み寄った。
「最後にこの本を勧めるわ。きっと今のあなたを勇気づけてくれると思う」
彼女はそのまま手に取った本を女子生徒へと手渡した。あいにく、距離が少し遠かったせいで僕の方からは題名を見ることができなかった。
本を手渡された女子生徒の方はというと、しばらく呆然としている様子だった。
彼女がポンと、肩を叩くと、女子生徒は突然はっとしたように目をぱちくりさせた。そのまま女子生徒は席から立ちあがり、彼女に向かって頭を下げた。
「榛野先輩、ありがとうございました」
どうやら、魔法を使った「彼女」は、僕の予想通りの人物だったようだ。
「どういたしまして。また何か困ったことがあったらいらっしゃい」
榛野先輩は、女子生徒の感謝を笑顔で受け止め、優しく手を振った。女子生徒はもう一度深々と頭を下げると、そのまま図書室を後にした。
女子生徒が図書室から出ていったことを確認すると、榛野先輩は僕が隠れている本棚の方へと、弾んだ声で言葉をかけてきた。
「覗き見さん、出てらっしゃい。別に怒ろうとかそういうわけじゃないから」
今の僕に選択肢なんてなかった。だから、僕はゆっくりと榛野先輩の方に姿を現した。
近くで見た榛野先輩は、いたずらっ子みたいな笑みを浮かべていた。そして、その桜唇をゆっくりと開いた。
「ねえ、君。ひょっとして、今の魔法見ちゃった?」
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