第一章 4(前)
ドラゴンが顔を歪ませる。絶叫がこだまする二度目。声が鼓膜から脳髄までを貫く。頭の中が疼く。「ぐっ」と叫んだが、その声はドラゴンの叫びでかき消された。
爆音で一枚残らず割れる、庁舎の窓ガラス。冷たい石畳みに落ちて、雪の結晶のように粉々に。そこに血の一滴が落ちたら、紅が広がりそうだった。
ダークドラゴンは庁舎の屋根を覆うほど大きな両翼を広げ、「故郷の星」を隠すほどの巨体を浮かばせる。低空で自警団たちをにらむ瞳の煌めき。
「撃て! 撃つんだ!」
銃声が重なり合って、自警団が集中砲火を浴びせる。
弾丸が当たった身体の箇所から、赤黒い液体が滴り、石畳の地面に落ちる。酸っぱい臭気とともに、白い煙が立ち上った。石が焼けただれたように溶けていた。
「ダークドラゴンの血は強酸性、劇薬よりもたちが悪いわよ」
取り乱しもせず、キルシェは黙ってドラゴンを傍観する。やはり、内乱者と戦闘したことも相まって、かような経験は何度かあったか。
「キルシェ、どうすればいい?」
「頼むわ棟一郎、ダークドラゴンの左翼を風魔法で切り裂いて!」
「了解だ」
僕は、いつか魔道書で見た、とびきりの風魔法の呪文を頭から引き出し、すぐさま指を走らせる。
――旋風は軍神の旗を翻せり。
――それはセルフィドの弓箭。
――戦火も果ては風に消える。
――邪悪なる者の刃を斬り折らん!
『改行』――キャリッジ・リターン――
タイプライターから疾風が巻き起こり、それがドラゴンの左の翼のへと向かい切り裂く。ドラゴンは大量出血した。
黒い血がぼたぼたっと垂れるのを見て、自警団たちが逃げ惑う。
「それじゃあ、もういっちょだ!」
「何をするの? 棟一郎」
僕はさっきと同じように「旋風は軍神の旗を……」と打ち込み、『改行』――キャリッジ・リターン――を動かした。
「右の翼もいただきだ!」
すると、キルシェが驚愕した顔になった。
そして、彼女はタイプライターを押さえつけようとした。が、それは未遂に終わり、真空切りさながらの風が再び吹き出す。キルシェは頬に切り傷を負った。
「キルシェ!」
風はダークドラゴンのもとへと行き、右の翼も出血させる。
ドラゴンの巨体は大通りに地響きを立てて倒れる。
「大丈夫!? キルシェ!」
「余計なことをして……傷つけるのは片方の翼だけでよかったのに」
キルシェのタイプの声が僕の頭の中に聞こえてくる。
「突撃だ!」
自警団たちがマスケット銃に銃剣を取り付けて、いっせいに斬りかかる。
しかし、ドラゴンが顔をあげて、輝く瞳でぎろりと見て、口から黒い霧を吐き出した。
黒い霧に覆われた自警団員が叫びをあげる。霧の中でぼんやりと蒼く光る。
団員たちが一斉に撤退する。彼らの一部が髪の毛を焦がしていた。蒼い炎を黒霧と同時に吐いたか。
「棟一郎、バカ!」
「バカって……」
「片翼に重傷を負わせれば、右翼を主翼にして、なんとか逃げ帰ってもらえた……」
「え?」
もしかして、翼を傷つける意図は、ドラゴンを焦らせて逃げる余裕があるうちに逃がしてやることにあったのか。
「両方の翼に深手を負わせたら、もう飛べない。だから最後の悪あがきで炎と黒霧をまき散らすだけ」
そうか、なんということだ、僕は調子に乗ってこんなことを……。
「ごめん……」
やっぱり、僕は何も考えていない。
「大丈夫、棟一郎の尻拭いは私の役目だから」




