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第一章 3(前)

 業者に魔道書一〇〇部を収めて、魔道書を運ぶために商店街であらかじめ借りてきた荷車も返した。


 あとは帰るだけなのだが、どこか寄り道したい気分だった。

 この時間帯は屋台が大通りを占めている。


 上品な酒場や料理店で食べるパスタやパンも好きだけど、こういう屋台で出されるものも大好きだ。こういうのがファーストフードであり、栄養が偏っているのは知っている。けど、そういうのが僕は好みだった。


 そして何より、こういう歓楽のある夜の街並みは嫌いじゃない。キルシェもこの街の風景が好きなはずだ。


 キルシェのクッキーもおいしかったけど。昼飯を抜いた空腹分を含めると、まだ何か食べたい。


 屋台のソーセージの焦げた匂いが漂う。

「棟一郎って食べることが好きだね」

 僕は大食なほうではないけれど、やはり食べることは好きだ。

「キルシェは嫌いなの?」

「嫌いじゃない、大好きだよ」

「じゃあ、あれ食べない?」


 僕はサンドイッチを二つ頼んだ。二段重ねであり、一段にはハムと塩漬けレタス、もう一段には黒く焼けたソーセージとピクルスと、溶けたチーズが入っていた。バターも塗ってあって食欲をそそる。

 屋台のそばに置かれていた小さなテーブルの傍らにある丸椅子に座り、キルシェと一緒に食べる。


「いただきます」

 僕はサンドイッチを、上から下まで豪快に丸かじりする。

 キルシェは小さな口を動かして、上からモクモクと食べる。


「おいしいね」

「そうだね、キルシェ」

「でも、棟一郎が朝作ってくれたご飯とも甲乙つけ難いね」

「そんなことないさ……」

「謙遜することないわよ」


 キルシェは周りを見渡す。どこを見ても食べ物を売る店や屋台ばかり。


「こんなに飲んだり食べたりするところが多いことに関して、棟一郎はどう思う?」

「確かに、そうじゃないときがあったよね。少なくとも一年前は内乱でそれどころじゃなかったし」

「うん」


 この一年、この街は変わった。

 いま僕たちが住んでいる星、通称「月」は、「故郷の星」からの移民が、こういった街を先だって作った。

 少数の民が移り住んだのはもう数百年も前になるけれど、「故郷の星」から民のすべてがここに移り住んだのは一年半も前にさかのぼるという。

 最初の半年で「月」の食糧はほぼ底をついた。

 そして、内乱が起きた。そのまっただ中に僕はここへ飛ばされてきた。

 内乱は鎮圧され、食糧増産の努力によって、いまでは有り余る供給ができるようになった。


「一年間、本当にお疲れさまだね。棟一郎」


 僕は空を見上げた。そこにあったのは、蒼紫色に輝く「故郷の星」。キルシェたちはあの星からこの「月」にやってきた一人。


「棟一郎……」


 キルシェの目が笑っていなかった。


「あの望みはまだ捨てきれない?」

 キルシェと一緒にはいたいけれど、僕は一回だけ、こくんと頷いた。

「そっか、でも駄目だよ。棟一郎に力があったとしても、まだあなたには危ない」


 キルシェにはたくさんのことを教えてもらった。あの「故郷の星」が魔物に占領されたこと。それが理由でみんな「故郷の星」を捨ててこの「月」に逃げてきたこと。


 だったら、その魔物を倒せばいいじゃないか。この十本指とタイプライターで人々を救える。そんな自信を僕は持っていた。


 僕はキルシェに何回も言ったことがある。

 僕はタイピングがとてつもなく早い。だから、魔物なんか殲滅してしまえると豪語した。


 けれど、キルシェは聞く耳持たず、また危険だからと言って「故郷の星」へ行かせはしない。といっても行く方法すらも僕は知ろうとしてもできなかったんだけど。


 キルシェは両親から受け継いだ印刷技術と魔法の知識で魔道書を刷り、自分なりに一人身で頑張って来た。そして、僕が加わって今は二人だ。


「わしも忘れるでないぞ!」

 指輪が光り出した。ルカニエルの声だ。

 よもや、僕の感情と思考を盗み聞きしていたのだろうか。


 僕は不機嫌になりながら、サンドイッチを再びパクつく。


 そのとき、視界が暗闇に包まれそうになった。


「故郷の星」が放つ光が遮られた。

 遮ったものは、巨大な影だった。

 僕はその影の大きさに畏怖を覚え、サンドイッチを手から落とした。


「ダークドラゴン……」

 キルシェがタイプして僕に伝える。


 周りにいた人たちも、ざわつき始めた。魔物だ、魔物だ、と。


 ダークドラゴンは上空を駆け抜けて、この大通りに下降してくることはなかった。でもあんな巨大な生き物が街で暴れなどしたら……。

 周りは混乱し始めていた。

 なぜここに魔物が現れたのか?


 その前に、ここを離れようかと考えた刹那の後、僕は悪い癖で胸のわくわくが再び生じ始めた。


「キルシェ」

 僕はキルシェからタイプライターを取ろうとする。


 彼女はタイプライターを両手で押さえ、首を大きく横に振る。


「大丈夫、僕だって魔道書の版をこの一年のあいだにいくつも作ってきた。多くの呪文は僕の頭の中にある」

 はじめて魔法のタイプライターを使ったとき、僕は指定されたキーワード(呪文)を打つだけだった。でも、僕も魔術や呪文を多く覚えたから、自分が多少やりたいように魔法で戦える。戦いの姿勢だって今は違うはずだ。


 それでも、キルシェは首を振る。


「頼む、あのドラゴンを倒させてくれ」

 真剣な目でキルシェは僕を見る。その瞳には、同じく真剣な目をした僕の顔が映り込んでいる。


「家に戻りましょう」

「キルシェ……」


 やはり駄目なのか。キルシェが家のほうまで走っていく姿を呆然と見て、僕は希望を絶たれたあまり立ち尽くしていた。


「何してるの?」

「え?」

 キルシェが立ち尽くしている僕の気づき、タイプライターを打ってくる。

「早くしなさい」

「え? え?」

「印刷所にあるタイプライターをもう一個取りに行くのよ、あなただけで勝ち目があると思ってるの?」

「キルシェ……それじゃあ」


 もしかして、僕はあいつと戦っていいのか? キルシェと一緒に。


「私は棟一郎の保護者なんだから」

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