挿入節(1)
――挿入節(一)――
「震えているのか? ダン」
「武者震いさ、姉貴」
今、僕たち三人はこの大きな建物見ている。三人とは、姉貴と僕、そして姉貴の母と称する女性。
見たところそれは工場だった。煙を吐いて、ごとごとと音を立てている。
ときどき、ところどころで、異形の輩が見える。これを姉貴は魔物と呼んでいた。
姉貴は工場の重い扉を開け放った。
そこには書物が印刷されていた。
文書の内容を覚えていた写本師が黒魔道の書を覚えていて、この大きな工場を建てたという。
その写本師はどこにいるのだろうか。姉貴の話によると、彼の所在はわかっていないようである。
魔道書が印刷され続け、本の行列が並ぶ工場のコンベア。
「今日できることは限られているな」
「僕にできることはひとつもない?」
「ないな、残念ながら」
「もうちょっとオブラートに包んでくれよ、姉貴」
そんな僕らのやりとりを姉貴の母が小笑いして見ている。
僕はタイプライターを脇に抱えながら考えた。
そして、あることに気づく。
「姉貴、この活版印刷はどうやって魔力を発動させてるんだ?」
「それは……」
それについて姉貴の母が歩み寄り、説明をしてくる。
「この世には精霊がいます。それは風のように宙に漂っていて、風のようにこの世界を満たしていますわ」
姉貴の母は、僕のような人間にわかりやすく丁寧に説明してくれた。
しかし、こういうのって本当は妙なものだな。
古世中世の古い考えを、技術や考えともに進んだ現代人である僕に教えるなんて。温故知新もいいところだ。
とまぁ、姉貴の母の話を聞いてみると、写本師の精霊というものがあって、それが活版印刷であっても魔力を生み出すものとなっている。ということらしい。
「じゃあ、このタイプライターにその写本師……って言ったっけ、その精霊を利用すれば魔法を使うことができる……?」
すると姉貴は驚きを隠せず、顔にその感情が溢れ出た。
「ヘルミーナ……いや、キルシェはいま魔法が使えないと言ったな?」
「そうね、詠唱ができないから魔法を使うことは無理ね」
姉貴は僕のタイプライターを無理矢理取り上げ、それを母に見せる。
「これは鍵盤を打つことによって文字を印字する機械だ。これに写本師の力を引き入れて、キルシェに使わすことは可能か?」
「そうね、キルシェは勉強熱心だから、その機械の使い方さえ覚えてしまえれば、すぐにもできるかもしれないわね」
それを聞いて、姉貴は僕にタイプライターを渡して返す。
「ダン、もし写本師の力を手に入れたら、これを貸してくれないか?」
「え、いいけど」
「そしてこのタイプライターを、そうだな、時間をかけて同じものを複製させる。それを貴様に使わせてやる。そこで頼みたいことがあるんだ」
「何?」
「タイプライターを私の妹にも使わせてくれ」
僕は断る理由がなかった。
「いいよ」
「ありがたい。私が母にできる罪滅ぼしが……」
そこで母が微笑んで姉貴を見る。
「できるわけないよな、私は世界で一番重い罪と二番目に重い罪を背負ってしまった。こんなことで罪滅ぼしができるわけがない」
姉貴は暗い心を持ったように、頭が重く垂れる。
「私は一生この二つの罪に向かい合わなくてならない」
「僕は姉貴の言っていることがよくわからないけど、罪滅ぼしの行動をしないよりはずっといいと思うよ」
「そうか」
「もし、姉貴の心が重いのなら、僕にその重さを半分くらい分けて欲しい」
そうして見つめ合うと、僕はまた姉貴にキスしてしまいそうになる。しかし、第三者である母が見ていることが僕らを制止させた。
僕ら二人が攻撃されないように、姉貴の母が見張り番をした。
それから、この工場を探し回って、僕たちは八人の写本師、それぞれの精霊の心と力を受け止める緑石を見つける。
僕ら二人が緑石に相対する。
奴らは警戒して、僕たちに敵意を向けてくる。
「わしらを壊しに来たか!」
「近々そうさせてもらう。しかしそうするには手が込むな。だがその前に写本師の一人をもらおう」
「やめろ!」
姉貴は手を上げて、魔法を詠唱し始めた。
すると、ひとつの石が見えない力によって持ち上がる。
「ルカニエル!」
写本師の名らしきものを呼び上げる周りの緑石。
そして、石が破砕されるように周りから削られ、小さくなっていく。
「記憶が薄れていく、わしは……」
ルカニエルと呼ばれた緑石によって、ひとつの指輪が完成する。
姉貴がそれに手を触れようとしたときだった。
そのとき、姉貴の手元が狂った。
「我が写本師たちに何をする」
姉貴の胸の中から声が聞こえてくる。姉貴の声ではなかった。
「黒魔道士か」
僕は思った。まさか、これは姉貴に憑いている黒魔道士。
姉貴が胸を押さえつけて耐える顔をして、そのあとすぐに首をかきむしる。
「姉貴!」
僕は姉貴の手を掴んで、首を傷つけないようにする。
しかし、姉貴の腕の力は尋常ではない力だった。
「やめろ、ダン。貴様がどうこうできるものではない」
「僕が言った約束を忘れたか、姉貴! 僕がなんとかしてやるって言っただろ!」
僕は一生懸命腕を掴んだ。
「写本師を一人もらうならば、我は黙ってはおらぬ。代償をもらおう」
姉貴の手が僕を振り払い、そして姉貴の両手が僕に向けられた。
掌が紫色の光が生じる。
「姉貴……、クリスティーナ!」
すると掌の光が弱まる。
「その名を呼ぶな! 耳障りじゃ!」
もしかして……。
「クリスティーナ!」
「やめろ、やめろ……」
「クリスティーナ!」
掲げていた手に力がなくなり、すとんと落ちる。そして、姉貴がくずおれる。
「姉貴……大丈夫か?」
すると、姉貴の手が再び掲げられ、僕の胸が焼けるように熱くなった。
その傷みに耐えられず、僕もその場にくずおれる。
「二度と我を覚まさせてくれるな。代償はこの者を写本師にすることで許してやろう。はっはっはっは」
そして汚い声が静まる。
僕は胸の熱さに耐えられず、仰向けに倒れる。
意識が薄れていく。そして、眼前の空中に緑色の石が現れた。
「ダン、ダン……、ダン!」
姉貴が肩を揺する。
「僕は、どうなるの? 姉貴……」
「済まない、ダン。私のせいで」
姉貴は泣きそうな顔を殺そうとしているのが、僕の心が傷むほどわかる。でもその心が今は消えていくように感じる。
僕の意識がなくなる前に言わなくては。
「何言ってるんだよ、僕は姉貴をなんとかするって言ったじゃないか。僕は約束を果たせて嬉しいんだ」
そして、姉貴は重い口になった後、それをこじ開けるようにして答える。
「ダン、貴様は写本師の精霊になってしまう」
「じゃあ、僕の力でタイプライターを」
「いや、貴様は黒魔道士の力によって写本師の精霊となった。しばらくは貴様の緑石はここにいるか私のそばにいるしかない」
ということは、さきほどルカニエルと呼ばれた写本師を使うことになるのか。
「僕の身体はどうなるの?」
「お前の意識がなくなる。貴様の身体は魂がからっぽの状態になる」
「そうか……なら、僕からお願いがあるんだ」
「なんだ?」
「二つある、僕と、それから、棟一郎のこと……」
「……」
「棟一郎のイメージ、まだ僕の中に残ってるだろ、姉貴? だから頼みたいことがある……」




