第五章 4(前)
そのとき、僕の身体が緑色に輝き始めた。
いや違う。僕が持っている石が光り出す。前にクリスから渡された石だ。
まさかこれも写本師の石か。
「ここはどこ?」
懐かしい声だった。忘れるはずがない。日向のように僕のそばにいる兄さんの声。
「そこにいるのは……やはり棟一郎か」
「兄さんなんだね?」
「棟一郎か……」
この声を聞くとなぜだか安心するんだ。まさかこんなところで兄さんに会えるとは思ってもみなかった。
兄はこの世界の言語を交えながら言葉にしている。なぜ?
「ルカニエル」
次に兄さんはルカニエルに語りかける。
「お前とは会わなかった気がしない。なぜだか知らないが記憶の片隅にあるような……」
ルカニエルが反発するように言う。
「ルカニエルにはすまないことをした。このタイプライターで魔法を発動させるために、ここからお前の宿る石を盗った。その代償として僕は石となり、写本師の精霊となり」
そして、今、石になった兄さんが、なれの果てということか。
「僕が写本師になってしまったのは当然だ。僕は目の前にある文章をパソコンで打つことだけが目的になっていたから。要するにコピー機と同じなんだよ。僕は皮肉にも写本師のほうが性に合っていたんだ」
「写本を馬鹿にするではないぞ!」
ルカニエルが怒号をあげて、兄さんを叱りつける。
「写本に命を賭けることは……決して無駄な行為ではない」
「そりゃ君たちの時代では相当な労力だということはわかっているさ」
反論を加える兄。
「ああ、もう。いまはそんなことでもめてる場合じゃないでしょ」
今、この写本師に聞きたいことがある。
「なぁ、写本師さんたち。ここにある石、全部壊してしまっていい?」
「こ、壊す!?」「我々を壊すだと」「恐ろしいことを」
当然どよめきが走る。そりゃそうだよな。
「でも、みんなここから解放されたいんでしょ?」
「なぁ、若いの」
頭上にあるひとつの石が消えかけのランプのようにぼんやり光る。
「この石が何なのか、お前さんは知っているかの?」
「写本師の声と力を受信するものでしょ?」
「その通りじゃ」
この写本師は次の通りに言う。
「わしら写本の精霊は、世界を満たす空気みたいなものじゃ。しかしそなたと話したり、写本の力を与えたりするには、この石を介さなくてはならぬ」
難しいことを言っているようだが、つまりはテレビや携帯電話の電波のようなものだ。見えないこれらを受信し利用するためにアンテナ(緑石)が必要になるのだ。
「でもさ、みんなこの印刷工場のためにこき使われてるんでしょ? みんなだってそうされたくないはずだし……」
「我らから生きる意味を奪う気か!」「いまだにこの世にいる意味を奪う気か!」
写本師が怒りに震えながら、声も震わせる。
「やれやれ、自分たちが何をやっているのか、その意味すら見失って、何が生きる意味だよ」
口を噤んでいた兄さんが呆れたように口を開く。
「お前らのせいで、どれだけ多くの人間が生きる意味どころか、生きることそのものを奪われたか、知らないのか」
「兄さん……これ以上この写本師たちを怒らせないほうが」
「怒ってるのは、僕のほうさ。棟一郎」
そして、兄さんの石がさらに光を増す。
「しかし、そんなことしている場合かの。お主よ」
僕に問いかける緑石。
「どういうこと?」
「お主の大切にしている連れのお嬢ちゃん、もう息も絶え絶えとなっておるぞ」
「えっ?」
キルシェが……。
僕は両膝を土の地面に落とす。
「早く戻ったほうがいいではないかの」
「あ、あ……」
キルシェのことを思い浮かべる。魔物に囲まれて、不利な状況下で戦う彼女。キルシェがすでに危ない状態にある。
そんなキルシェを思い浮かべる。
工場の中で戦い差し迫った状態の彼女。
俯瞰するように思い浮かべたキルシェの顔が、こちらを向く。
「棟一郎!」
僕の名前をタイプした。そして首をゆらゆらと横に振った。
あれ、この感覚。もしかして、キルシェ。僕が心配していることに気づいて……。
キルシェが交信を送っている……。
僕の想像した視界の中でキルシェはきっと鋭く睨み、もう一度首を振った。
「僕は、戻らないよ」
「何を言うか、仲間の命とそなたがこれからやるべきこと。どちらに重きを置くべきか、明らかではないか」
「本来ならキルシェのほうが重いさ。だけど、キルシェが僕の使命に想いをかけてくれた。その想いを分けてくれただけ僕の使命のほうが重いよ」
こいつらの手に乗るものか。キルシェが命を張って僕に託したんだ。僕がここで踵を返したら、キルシェに対してどんな顔で臨めばいいんだ。
「ルカニエル、お前をここから盗って悪かったよ。キルシェと、そしてクリスティーナのところにいるんだろ? 彼女のことをよろしく頼む」
「兄さん?」
そのとき僕の指輪が歪んで、破裂音を立て、砕け散った。そして、ルカニエルの加護が熱を失って消えたのを感じた。
「棟一郎、ここからは僕が力を貸すよ」
「兄さん……」
ダン兄さんの石が浮かび上がり、僕の小指に触れ、適当な大きさまで形が変化すると、銀色のリングが生じ、指輪が構成された。
「さぁ、棟一郎。こいつらを壊してくれ」
「兄さんんはいったい、なんなの?」
「込み入った事情はあとで話そう。少なくともいまやるべきことは、こいつらを壊すことだ」
「わかったよ、兄さん」
僕は炎の球を発射するべく、スペルを入力した。
タイプライターから火球が発射され、頭上の石へと向かう。
しかし、そのとき、石から同じ火球が放たれた。そして、ふたつの火球がぶつかりあい、相打ちになって消えた。
「どういうこと?」
「わけなんてないぞ。そなたがタイプライターで打ったスペルを利用させてもらっただけよ」
紙に打たれているスペルを利用して同じ魔法を使ったということか。
そして、紙にインクで打たれたスペルが金色に輝き、また石から火球が発射された。
僕はとっさに後ろに跳躍する。
黒い焦げを作って、地面に着弾の跡が残った。
「我らはお主の魔法を利用できるのだ、その紙にスペルが残っている限りな」
ちくしょう、ということは魔法を使う先からその魔法を何度も利用されてしまうということか。
こういうときどうする。どうすればいい。
相手に魔法を盗られてしまったら、どうすればいい。
知恵を振り絞るんだ、僕。いや……壁井棟一郎! クリスに笑われたくないだろ?




