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第五章 3(後)

「棟一郎」


 キルシェがタイプをして僕の名前を呼びかける。

 スペルにSがひとつも含まれていない僕の名前を。


 そして、僕のほうを見て、口を開いた。


「ヨン……セレ! ヨン……セレッ!」


 あの擦り切れて壊れた声でキルシェが無理に言葉を出す。

 無理はして欲しくない。けど、なんて言っているのかわかった。


 魔法に使われるもっとも代表的な「四精霊」。


 風の精霊セルフィド、炎の精霊サラマンド、水の精霊オンデーヌ、土の精霊ノム。


 その精霊がどうかしたのだろうか。と、僕はこのうちのひとつが使えることに気がついた。


「そうか、ノムだ。その手があった!」


 僕はすぐさま、呪文をタイプライターで打ち始める。


 ――それは大地の怒り。


 そうだよ、その手があったんだ。大地の怒りを利用してしまえばいいんだ。


 ――怒りにして大地の罰なり。

 ――罪ある者ゆえ、それ定めなり。


 そして最後のスペルを僕は打ち込んだ。


 ――精霊ノムよ、地を揺るがせ!


『改行』――キャリッジ・リターン――を決めると、上に突き上げるような地震が起こる。


 土の精霊だからこそなせる技、地震。


 そしてこの揺れは敵を倒すためではない。僕は舐めるような観察眼で周囲を見回した。


 視覚だけではない、聴覚も重要だ。

 僕は感覚を研ぎ澄ませる。


 そして、カタカタと響く高い音を聞き逃さなかった。

 僕は音の方向に視線を投げる。

 床がはずれかかって、その場を飛び跳ねている。その床板が壊れているというわけではない。そこが地下室への道になるのだ。


 僕はすぐさまそこへ行こうとした。


 だが、そこでキルシェがしゃがみ込んだところで僕は心配になる。

 とっさに彼女のもとへと走り込む。


 魔物がこの状況をよしとして、キルシェに近づいてきた。

 僕はすぐさまキルシェに駆け寄り、最接近した三匹のゴブリンに火球を浴びせた。


 胸に着弾した三匹は叫びをあげて、後方へ逃げる。


「キルシェ、大丈夫か?」


 揺れもおさまり、キルシェが立ち上がると、僕が持つタイプライターに何やら打ち込む。


 ――心配しないで。

 ――私のことは私でできる。

 ――いつまで甘えてるの?

 ――私を捨てるつもりで進みなさい。


 用紙に打たれた黒い文字に僕は泣きそうになる。


 だけど、ここで泣いたらキルシェに無用な心配をかけるだけだ。


 一度は無鉄砲に彼女を捨てようとした僕。


 キルシェも僕が突き進むことを望んでいる。これは当然だった。


「いってきます」


 僕は頭を下げて、キルシェの顔色を窺う。

 キルシェは無表情でひとつだけ頷く、「いってらっしゃい」と伝えているようだった。


 僕はさきほど開きかけた床板に向かい、それをはずす。案の定、ハシゴがあって僕はそれを降りた。

 ハシゴを降りると、僕は光源を呪文で発生させる。


 そこは鉱脈とでも表現できそうな洞だった。地下室というより地下道であった。


 頭上から水が滴り落ち、僕の右肩が冷たくなる。

 洞穴は奥へ奥へと続いていた。


 光源を僕のそばに従えながら、突き進んでいく。


 水滴の音だけが響き渡る。


 地下道を進んでいくと、光にぼんやりと照らさながら、銀色の大きな扉と対面する。


 扉は押しても体当たりをかましてもびくともしなかった。


 見ると鍵穴があった。

 そこに鍵を押し込めばいい。

 そこで僕は知恵を働かせた。


 まず、精霊オンデーヌの力で水を作りだし、鍵穴に流し込む。そこですかさず水を凍らせた。鍵の出来上がりだ。


 あとはノムの力によって鍵の耐久性を上げた。氷をそのまま鍵として差し込んで回しても途中で折れてしまいそうだから。


 そしてなんとか鍵を手に入れ、僕は扉に差し込んで回し、果たして重い扉は開かれた。


 そこで僕が目にしたもの。


 さきほど、僕はこの地下道を鉱脈と表現しかけたが、扉で閉ざされていたその中は、緑色の鉱石で光り輝いていた。魔法の光源がなければ、この緑のきらめきの美しさと対面することはなかっただろう。


「うううう、ここはどこだ、懐かしいような恐ろしいような」


 ルカニエルがおびえ始める。


「大丈夫? ルカニエル」

「尋常ではない。大丈夫では決してない」


 この石が印刷機を動かしている。とすれば、この緑色の石を破壊しさえすれば工場は機能しなくなる。

 どうすればこの石を壊すことができるだろうか。


 ここで地震を起こせば、落盤してしまい、僕の身の安全が危ぶまれる。地上に戻ってノムの力を借りて解決する問題でもなさそうだ。すべての石を壊さなくてはならないから、壊し残しがあるか確認するために落盤した後でここに戻る必要も出てくる。


 僕はどうすればいいか深く考えた。


 石を観察していく。

 これが写本師の精霊が宿る石。


 僕は下から上に突きあがった、まるで空へと向かうツララのような緑石に手を触れた。


 すると、焼けた石に触れたかのように緑石が熱くなった。

 僕は反射神経で手を離す。


「ルッカか、同志ルカニエルか!」


 石が喋った。突然の出来事に僕は驚くしかなかった。

 まさかこの声は写本師の?


「何も思い出せない、そなたはいったい何者だ」


 ルカニエルが苦悶の声で石に問う。


「忘れたのか、私はお前の同志クロブエだ」


 そして、周りの石も声を出して騒ぎ始めた。


「ルカニエルか?」「ルカニエル?」「ルッカが来たのか」


 声がするあらゆる方向で石が光り輝く。光源の魔法がいらないくらい。


 ここはルカニエルが元いた場所なのか。


「ところでお前は誰だ」


 たぶん、「お前」とは僕のことを指している。僕は冷や水をかけられたかのように驚き、また背筋も冷えた。


「いや、お前はどこかで会った覚えがある。お前は昔ここに来た」


 何を言っているのだろうか。僕はかつてこの場所に来たこともないし、ここははじめて訪れる場所だ。


 そして、石が数秒のあいだ沈黙する。

 僕がふっと息を吹いた。

 その次に、彼らは大合声を放つように僕に大声で語りかけ、目が潰れそうなくらい周りが輝いた。


「思い出した」「思い出した」「わかったぞ」


 何がわかったというんだ。


「クリスティーナが連れてきた」「お前を連れてきた」


 何がなんなのかさっぱりわからん。


「ダン」


 それは何かの擬音語擬態語のたぐいかと思った。

 しかし、そのイントネーション・アクセントから、僕はそれが擬音語ではないことに気づく。


「ダン。ダン・カベイ。そうだ、ダンだろう?」

「僕の兄さんがどうかしたの?」


 紛れもなく、それは僕の自殺した兄さんの名前。でもどうしてその名前がいまここに出てきた。


 疑問は氷のように溶けることはなかった。いつまで経っても宝石が溶けてなくならないのと同様に。

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