第四章 6(前)
会場で三回のピリオドにおけるそれぞれの上位十人のエントリーナンバーおよび名前が読み上げられ、僕は第三ピリオドにおいて一位通過していた。
姉貴ももちろんのこと、第一ピリオドを征して上位者に残った。
会場からロビーに戻る際に、暖かい手を引っ張られる。
「見事一位を飾ったな、ダン」
姉貴の声に僕は振り向く。
「姉貴も四位なんて凄いじゃないか」
「ほう、はじめてだな」
「何?」
「貴様がタイピングで私を褒めてくれたことだ。かつて一回としてなかったからな」
「そんなことないよ、一回くらいあったんじゃないの?」
「いや、ないな。しかし努力した甲斐があったぞ。タイピングの神である貴様に認められることを私は切に願っていた」
そうだよね、姉貴にとって僕は超えられない壁だと認識しているんだろうな。
しかし、姉貴は次のように言う。
「私は貴様を超えてみせる」
僕はまだ彼女を同胞としてすら認めていない。それは僕の傲慢さかもしれない。
「僕も姉貴には負けないからね」
そう言って僕は姉貴から離れようとする。
「どこへ行くのだ? 私はまだ貴様に話が」
「トイレくらい行かせてくれよ」
「すまん」
去り際に、立ち止まった姉貴がいつまでもこちらを見ていた。
トイレは混雑していなかったので、ラッキーだと思った。
僕は中に入って用を足そうとする。そのとき、後方の個室が開いた。
なんだ、誰か先に入っていたのかと思い、僕は気にとめることはしなかったが。
次の瞬間、信じられないことが起きた。
ハンカチのようなものが口に押しつけられた。
いま個室から出てきた人間の仕業だと思われる。
僕は抵抗しようとしたが、腕に力が入らない。
気を確かに持とうとしても、瞼が弛緩したように感じ、開いていようとすることができない。
僕の意識が深い眠りの淵に落ちていく。すべての力が抜けていく。
いったい、何が起こった?
再び目を覚ましたのは、しばらく経った後だった。
しばらくという時間がどれくらいなのか、今は判断がつかない。
僕はトイレの個室にいた。
いったい僕に何が起こったのか?
身体を起こすと、なぜか腕が痛い。なぜだか知らないがズキズキする。
僕は立ち上がり、スマホの電源を入れてみる。
一時まであと五分という時刻だった。
……なんだって?
午後の部は十分前に集合、開始は一時からだ。
早くしないと失格になってしまう。
今、僕がどうしてここで気絶していたかも大きな疑問だが、そんなことを考えてる暇はなかった。
僕は急いでトイレから出て、会場へと急ぐ。
しかし、焦りはなかった。なぜか気分が高揚している。
それがなぜなのかはわからなかった。いや、このとき気づくべきだったかもしれない。
僕は会場の前へと到着する。一時まで一分を切った。
重い扉を開ける。
そこには観客とこの二回戦に残った選手たちがいた。
みんなからの冷たい視線を感じる。遅刻したのだから当然だろう。
主催者が僕のところまで近づき、急かした声で僕に言う。
「ミスター・カベイ。待っていましたよ、どうしたんですか? あと少しで失格になるところでしたよ」
「申し訳ない。まだ失格ではないですよね?」
「早く席に着いてください」
ステージ前に設置された三十台のパソコン。
僕はそのうちの空いている一席に着いた。
姉貴が「何をやっているんだ?」という目で僕を見ていた。でも、それも気にしない。不思議なことに緊張感はまったくなかった。弛緩とか脱力とは違うがリラックスできていた。それどころか気分が上向きになっていて、心に余裕がある。
「では、ミスター・カベイが来たところで始めます」
僕らに「レディ……」という声が聞こえてくる。
さぁ、行くぞ姉貴。遙かなる高みを目指すこの二回戦を通過するために。
「ゴー!」




