第四章 3(前)
夏を迎えて、僕たちは墓地に出向いた。
墓標には「トーイチロー・カベイ」と刻まれていた。
「棟一郎、みんな来たよ」
姉ちゃんも一緒に来た。彼女と棟一郎に直接的といえる関係はないけど、そんなことは気にしない。それに姉ちゃんも立派なカベイ家の家族だから。
僕たちは十字を切り、手を合わせて、墓の前で沈黙した。
姉ちゃんはぎこちない動作で十字を切る。まだこの動作に慣れていないようだった。手の合わせ方も少し違う。でも、姉ちゃんなりに祈ってくれていることはわかるので、父も母も、そして僕も、咎めはしない。
帰りの道で姉ちゃんが僕に聞いてくる。
「棟一郎か」
「うん、棟一郎は僕の弟になるはずだったんだ」
まだ悲しい気持ちが残っているけれど、この半年で僕たちは随分と前進できたような気がする。
「私は弟の代わりになってるのか?」
「そんなこと言わないでよ姉ちゃん、僕はそんなつもりで姉ちゃんを」
「そういう非難を言おうとしているのではない!」
怒った顔を見せて姉ちゃんが答える。
「棟一郎を亡くした悲しみを、私が少しだけでも癒してあげられているなら、私はそれでいい。けれど、もしそうでなかったら、私がここにいる意味は」
「ありがとう、姉ちゃん……」
僕は姉ちゃんの優しさで心が暖かくなった気がした。
「僕は一人だった。母さんと父さんはいたけれど、二人は秘密を共有するには遠い。もっと身近にいてくれる人がいたらなあって、そんな風に思える人がいたらどんなにいいかなあって思ってた。姉ちゃんが姉ちゃんになったとき、僕はどれだけ嬉しかったことか」
「そうか」
「姉ちゃんは僕のことは迷惑かな」
「迷惑をかけてるのは私のほうかもしれないぞ」
「そんなわけないよ!」
僕は右手を強く握りしめ、むきになって姉ちゃんに叫んだ。
「そんなわけ、ないよ……」
握りしめた右手を緩め、怒った顔も緩めて、僕は姉ちゃんを見る。
「僕は姉ちゃんに助けてもらいっぱなしだ」
「私は何もしてないぞ」
「ここにいることが、もうすでに何かをしているうちに入ってるんだよ」
自分でも何を言っているのかよくわかってない。けど、僕なりの言葉で自分の真心を伝えたかった。
「ダンは弟がいたら、何をするつもりだったんだ? 私ができるならば私がその願いを叶えてやりたい」
「キーボードのタイピングを教えてやる。そして、時には僕と切磋琢磨しあってライバルともなり、一緒にタイピングの頂上、神域にまで辿り着きたいと思った。そんな喜びを二人で分かち合いたいと思ったんだ」
そしたら、姉ちゃんは左手を小さくあげる。
「私ではダメか?」
「僕に勝てる?」
「やってみなくては始まらないだろ?」
そうだよね、そうだよ。僕にとってのタイピングは、キーボードに触れたことが全ての始まりだったんだ。
その後には、タイピングの苦しみもあるだろうけど、苦しみを乗り越えた後の喜びもある。僕はそれを経験してきた。といってもまだ苦しみはたくさんあるけれど、それだけ乗り越えた喜びがまだ待ち受けていることが僕にとっての一番の喜びだ。
その日、僕は姉ちゃんにキーボードを手渡した。




