第四章 1(前)
――第四章――
「ダン。あなたは弟と妹、どっちがいい?」
母は僕の名前を呼びかけて、そう質問してきた。
「姉ちゃん」
「ごめんね、お姉ちゃんはちょっと無理かな」
「じゃあ、弟がいい。そして僕が世界一のタイピストに育ててやるんだ」
パソコンのタイピストの腕で神童とまで呼ばれた僕がやりたかったことだった。
僕はそのとき、タイピングの神域まで行く喜びを誰かと分かち合いたかったのかもしれない。
「ふふ、お姉ちゃんが欲しいって言ったのに、弟か妹か聞かれたら弟なのね」
「わ、悪いかぁ!」
僕はこっ恥ずかしくて頬のあたりが、かぁーっと熱い血が流れるのを感じる。
「ううん」
大きなお腹をさすると、母は左手で僕を褒めるように頭を撫でた。二人のことを大切にするように柔らかく撫でてくる。
「お母さんね、お父さんと相談して、赤ちゃんの名前はもう決めているの」
「なになに?」
「もし、生まれてくるのが女の子だったら、東樹子ちゃんよ」
「じゃあ男の子、弟になったらなんて名前をつけるの?」
母は紙に日本語で使われている漢字と呼ばれている文字でその名前を書き上げた。
――棟一郎。
母は生まれも育ちも日本という国。父は日系アメリカ人だが母とその親戚の付き合い以上に日本に馴染みはない。もちろん、僕ら家族は日本語とアメリカ英語で会話をしている仲であるのだが。
僕の名前は父からもらった。今度は母が名前を与える番だった。
「いつ、赤ちゃんは生まれるの?」
「ちょうどクリスマスイヴのころになるって先生が言っていたわ」
「じゃあ、クリスマスプレゼントだね」
「そうかもね」
サンタさんからのプレゼント。
いや、この場合授かるのは命だから、プレゼントの贈り主はイエス様といったところか。
敬虔なカトリック信者の父と母だから、きっと無事赤ちゃんは生まれる。
だから僕は神様に言った。今年はクリスマスにおもちゃはいりません。だから何事もなく、赤ちゃんが無事生まれるようにしてください。
だが、しかし、その願いは打ち砕かれることになる。
母の陣痛がイヴの一ヶ月前に起こったのだ。
母は頑張ってくると言って、分娩室に運ばれた。
苦しんだ顔をして、そう言った母の顔がさらに歪んだ顔をしているだろうことを想像しながら、「頑張れ母さん」と祈りと見えない励ましを送りながら、父と一緒に分娩室の外のソファに座っていた。
かくして分娩室の扉が開かれた。出てきた医師に父は詰め寄る。しかし、医師は少し躊躇った後、無言で頭を下げた。父はがくりとうなだれて、リノリウムの床に両膝をつける。
僕は弟に、棟一郎に会えることはなかった。




