第三章 4(前)
扉は建て付けが悪くなって軋んだ音を立てるだけでびくともしなかった。
「棟一郎!」
キルシェは荷の入った袋から大きな鉄槌を取り出した。よくそんなものを持ってきたな、本当に用意周到だ。
力のない僕を宛にしてくれて本当にありがたい。
僕は細い腕ながらも、三回四回と扉を鉄槌で打ち、五回目で扉に穴が開いた。その穴から錆びついた蝶番に手を伸ばし、そこを素手で何回か殴ると扉はあっけなく前へ倒れた。
僕は館の中に入る。埃っぽい場所、またその埃が付着したクモの巣が張っている。
それだけはわかるが、周りは暗がりでよく見えなかった。
光源を作ってあたりをよく見るために「神がはじめに言われし……光あれ!」とタイプした。
ここは二階へと続く螺旋階段のあるホールであり、この階の上の階にアンデッドの数々がたむろする。
――出でよ、炎の球!
とっさに簡略化した炎魔法を唱えた。しかし、そこをキルシェに「やめて!」と制止のタイプ音が聞こえてくるが遅かった。
埃をかぶったクモの巣に引火してそれに伝うように炎が走る、粉塵爆発よりも酷い有様になる。
噴き出る玉の汗も蒸発するほど熱気を漂わせ、熱放射が身を焦がす寸前までに熱い。
アンデッドは逃げ惑い、地獄絵図となった。
が、館が全焼してしまってはクリスの身が危ない。
「ど、どうしよう。キルシェ……、そうだ風を」
「この状況で風を使えば、炎が広がって逆効果よ」
「じゃあ水を……大量の水をぶっかければ」
「もし、クリスが地下室にいたらどううなるの?」
ここは貴族の館だろうから、料理を作る者を雇っていたはずだ。だとすれば、食糧の保存のために地下室を作っていないわけがない。
大量の水が地下室に流れ込めば、クリスは間違いなく溺死する可能性は高い。どうすれば……。
「やれやれ、火遊びをした坊やはどこの誰か?」
クリスの声が聞こえてくる。
ホールの奥にある扉を開けて、まるで自分が高みの見物客のように、この炎の燃える惨状を様子見してきた。クリスは今、危険な状態にあるというのに、どうして落ち着いていられるのか。
「クリス!」
「だから、貴様は知恵が足りないと言っているであろう。棟一郎よ」
クリスがタイプライターの音を立て始める。タイプされる呪文の内容が僕の耳にも聞こえてきた。
――それは草木を育むもの。
――我らが乾きを潤すもの。
――水を司りしオンデーヌよ。
――いまここに恵みの水あれ。
浮遊する巨大な水の玉がホールの中央に現れる。
炎が水の玉にきらめき揺らめきながら映り込んだ。
「さぁ、これからどうする?」
「どうするって言われても」
「自分で考えろ、知恵がつかないぞ」
一瞬の猶予も許されない中、キルシェが「あっ」と言いそうな顔をした。
「どうかしたの? キルシェ」
「答えがわかったわ、でも棟一郎に答えて欲しいわね」
「え? 教えてよ、どうすればこの炎を消せるの?」
「じゃあヒント、私はどうやって群がるアンデッドを蹴散らしたか?」
それは、あ、そうか!
僕はすでにタイピングをしていた。
――いざ軍神にも立ち向かえ。
――反撃の狼煙もかき乱せ。
そうだよ、これはスプリンクラーの原理だ。
今ここで水をまき散らせばいいんだ。
――回天のごとき風の渦。
――いまここに現れよ。
『改行』――キャリッジ・リターン――を押すと、水の玉が中央部で渦を巻きはじめ、水滴を散らし始めた。
あとは雨や霧となり、屋敷全体を冷やしていく。
体感温度が涼しくなっていくにつれて、炎の勢いも弱くなっていき、最後に消えたときには温度差の関係か寒いとさえ思えるくらいになった。
「ご名答」
「いや、僕が悪いんだし、僕が正解しないといけない問題だから」
「ほう、謙虚さが出てきたな」
腕組みしながら、クリスは関心したように頷く。
焼け焦げた床をクリスがふわふわした足取りでこちらに近づいてくる。
僕とキルシェもそれにあわせてクリスに近づいていった。
が、そこで僕らが一歩踏み出したとき、焦げついた木床がはずれて、下の階へと落下して、僕らは闇の視界の中へと消えた。
こんなところでドジを踏むなんて。




