第一章 1(前)
――第一章――
機械時計を二階の自室の窓から落としたら、部品が散らばり、ちょうどそんなうるさい金属音に聞こえるはず。そんな音で僕は目が覚める。時計が倒れでもしたのか? 目を開き僕の背丈ほどの時計を視認する。振り子は動いてて、時刻は午前七時五〇分。壊れてなどいない。
けど、振り子時計の隣の作業着姿をした少女、キルシェが眉間に皺が残りそうなほど皺を寄せ、僕をガン見してた。腕組みをしてるところがさらに彼女の威圧感を助長する。
「おはよう、棟一郎」
タイプライターが鎮座する小さなテーブルを部屋の真ん中に持ってきて、指を動かし、キルシェの声が頭の内部深淵に届く。
金髪のサイドテールが朝日を弾く。もう朝か。まぁ、七時五〇分なら当然だ。
「もうご飯の時間だよ」
僕の三分の二の背丈くらいしかない彼女が、ベッドに背中をつける僕の顔を覗く。
ご飯か。
なるほど、彼女はレードルとキッチンナイフを両手にしてる。
「もうそんな時間だったんだ、ごめん。朝ご飯は何かな?」
「作ってないわよ」
「え?」
衝撃的な一言。まさか寝坊の罰で飯抜き?
キルシェが苦い虫を噛みつぶしたよう、口をひん曲げる。再び指を動かしタイプライターが冷たい音を立てた。
「もうご飯の時間だよ、そして今日の調理当番は棟一郎、あなたよ!」
「あっ」
そうだ、昨日キルシェに口を酸っぱくして言われた。ちゃんと起きてご飯を作るようにと約束を。
「まったく……」
キルシェは呆れてタイプもできない様子。だが親切にも彼女はタイプを続け悪態をつく。
僕は毛布から出て、ベッドから起き上がる。肌寒い空気に驚愕した。十二月を迎え、本格的な冬の到来が近い。
無論、昨日も少し寒かったが、今日は特別寒い。筋肉が痙攣して、死ぬ間際の魚のように腕がぴくぴくする。
ところで、さっき時計がぶっ壊れたような音はいったい?
疑問が脳裏を走り抜けた後、絨毯の床にフライパンがあるのに気づく。その中に数え切れないほどのフォークと食事用ナイフが。
「キルシェ……」
推測はできる。キルシェはフライパンにナイフとフォークを落とすことで、さきほどの甲高い大きな音を作り出したのだ。
「だって棟一郎、全然起きないんだもの」
「今度から普通に起こしてくれ」
「肩をゆすったり、頬を叩いたりして、起こそうとしたわよ」
それはすまないことをした。そして、その挙げ句の手段がこれか。
「これでも起きなかったら、フォークとナイフを棟一郎の顔に落とすつもりだったわ」
それは最悪の場合死ぬ。よくてフォークが顔に突き刺さり、四つ星の古傷を作る。目覚めて良かった。
頬を叩いたと言ったか。なんか夢の中でキルシェに頬を叩かれた気がする。あのときの夢か?
涙を流して! と訴えるキルシェの夢。
「棟一郎?」
「何?」
「泣いてたの?」
キルシェの怒り顔が心配げな顔に変わる。
僕は目の下をさする。乾いた跡であるが、涙を流した証拠が、手触りでわかった。
いつもは強気の彼女も、そんな瞳で見つめたら、僕も心が折れそうだ。それは心細い僕を気遣ってくれる瞳である。
「いや。たぶん、あくびしたのかも」
僕は気遣わせたくなくて、今適当に思いついた理由を話した。
「あ、そう」
心配して損をした顔になる。僕はほっと安心した。キルシェは部屋を出ていき、僕は寝間着を脱いで普段着(といっても作業着だけど)になり、一階のキッチンへと移動した。
いまから朝の市場に出かけたら、仕事の時間に間に合わなくなる。この家にあるものを使うしかないが、ここに冷蔵庫なんてあるはずがない。
地下室はあるが、それでも肉は腐りやすい。卵なんて危ない。キッチンを出て地下室に入ると、ガラス瓶の中にりんごのジャムや、きゅうりのピクルスがある。また、冷たい空気に晒されて乾いたチーズがある。僕はチーズとピクルスを持ってキッチンへと戻った。




