第二章 6(前)
『故郷の星』が海面に映り、空にそびえている。それ以外のほとんどが、闇に包まれる。
これからもっと怖いところへ行こうとしているのに、僕は一抹の心細さを感じた。
「どうした、棟一郎?」
ゴンドラの櫂を得意に漕ぎながら、クリスが僕に聞いてくる。
「いや、なんでもないよ」
そのとき、僕はふとキルシェのことが気がかりになる。
キルシェを一人にしてきてよかったのか。
確かに彼女は一人で生きてきた経緯があるから、僕なしでも生きていけるかもしれない。
でも果たしてそれでいいのか?
キルシェをバカにする気持ちは毛頭ない。
けど、僕はキルシェのことが心配になった。
彼女は今、寂しさを感じてはいないだろうか。
キルシェの姿を思い浮かべる。まず思い浮かんだのは彼女の後ろ姿だった。
夜の市場を走り抜けている。当然、僕を探しているのだろう。息せき切らせて、僕を必死に探し回る姿を間の当たりにして、僕は自身が罪ある者であると思う。
心配をかけさせることはなんと罪なことか。
そのとき、ふと僕の想像の中にいるキルシェが振り向いた。後ろ姿がこちらを向いた姿になった。
「行かないで」
心の中にいるキルシェが僕に呼びかける。
「棟一郎の嘘つき」
そうだ、確かに僕は嘘つきだ。僕はキルシェを置いていかない、どこへも行かないと約束したのに。こんなところまで来てしまった。
「棟一郎」
キルシェ……。
「引きずられるな」
「え?」
「私にも聞こえるぞ、この声は」
「クリス……」
「気をしっかり持て! 惑わされるな! 男だろ?」
まさか、今聞こえてきているのは、クリスにも聞こえているのか。
「何も考えるな! 貴様はいつだってそうやってきたんだろ?」
僕のやってきたこと。
「貴様はいつだってこのときを待っていた。何よりも大切なことはこの世界を救うこと、ただそのひとつだけだったんじゃないのか? だったら、間違ってはいない。最後まで突き進んでみろ、それが男というものだ!」
クリスの言う通りだ、なんで僕は躊躇っているんだろうか。
しかし、キルシェの言葉が相変わらず僕の心に突き刺さってくる。
「棟一郎、棟一郎、棟一郎」
この感覚はいったいなんなんだ?
キルシェがそばにいるようなこの感覚は。
「そこにいるの? キルシェ?」
「惑わされるな!」
クリスが叫びをあげて、僕を我に返らせる。
気づけば、海に映り込んだ故郷の星に渦が巻いているのが見え、もう戻れないところまで来ていた。
「さぁ、目の前まで来たぞ。地獄の淵まで行こうぜ、相棒」
なぜこの僕は今になって決断を狂わされてるんだろうか。僕はなぜキルシェのことを心配して……。
キルシェ、キルシェ!
ゴンドラが渦に巻き込まれるそのときだった。
彼女が現れた。
それは幻ではなかった。キルシェが宙を浮かんでいて、僕のほうを見る。そして、手を伸ばしてきた。
「このまま行くぞ、相棒!」
「掴まって! 棟一郎!」
キルシェもクリスも本気の顔を見せる。
どちらの真顔も僕を引っ張るのに十分過ぎて、心がちぎれてしまいそうになる。
「貴様の夢はなんだ、棟一郎!」
「お願い、思いとどまって、棟一郎!」
夢が大事か、キルシェが大事か。
そんなのどっちも大切に決まってるだろ?
でも僕はキルシェを切り捨てた。それはなぜか。そのツケが今になってやってくるなんて……。




