第二章 3(後)
次のルールはこの人が主に提示してきた。制限時間は同じく十分。ただし今度はミスタイプに対して厳しい処置を取る。ミスタイプがあった場合、そこまでのタイプ数のみを得点とし、ミスタイプした場所以降のタイプは得点に計算されない。
つまり、事実上ミスタイプが許されない。
「僕に重圧かけてくるんだね」
「屈したか?」
「いや、上等だよ。やりがいがある」
「そうか」
では行こう。
「そんなに早く負けたいのか?」
「いいや、そんなに早く勝ちたいの? って聞いて欲しいな」
それを聞いて、相手は砂時計をさかさまにさせ、砂がさらさらと流れ落ちていく。
スタートだ。
問題文を冒頭から素早く打っていく。
――ベルンシュタイン氏が天体観測施設において、新惑星ロカを発見した。ロカは赤い斑紋が特徴的な星で、肉眼ではほとんど見えないが、今回の発見によりベルンシュタイン氏は天体観測の技術が飛躍的に上がったことと、このような星を見つけることで……
僕は慎重になっていた。ミスタイプをしないよう細心の注意を払う。
「この問題文はどういう意図があるの?」
僕はこの問題文を出題した意図がわからなくて、相手に問う。
「終わった後にわかるさ」
「あ、そう」
まぁ、簡単には教えてくれないよな。
「しかし、貴様のタイプは速いな。いつもどうやって文字をタイプしているのだ?」
「見たままの文字がそのまま指の動きとつながってるんだよ」
「ほう、興味深いな」
「『あ』を見たら、左手の小指(a)。『か』を見たら、右手の中指(k)、左手の小指(a)って具合にね。見たままの文字が勝手に僕の指の動きと連動しているのさ」
「そのようなコツを私も習得してみたいものだ」
そうして僕たちは打っていった。
慎重になっているせいか、僕も相手も少しだけスピードが落ちていたように見える。この重圧感はやはりスピードに響くよな。
僕は二枚目の給紙をしようと、紙に手を伸ばす。
そして、僕はひっそりと口をにやけさせた。
勝ったと思った。
相手はまだ一枚目をタイプしている。
僕がミスタイプをした? 僕は印字した一枚目を素早く目を通した。誤字脱字らしくものはない。大丈夫だ、いける。
そうして僕は給紙した。
相手が二枚目に到達したのは、それから十秒前後遅れてからのことだった。
僕は打っていく。
これなら勝てる。
砂時計のベルが鋭い音を立てた。
「勝負あり!」
僕はすでに勝敗の確定が既成事実であるかのように言った。
だが、相手はそこでまた笑う。
「さぁ、どうかな。採点してみなければわからないぞ」
「いや、勝負あったね」
互いに相手のタイプした紙を手に取り、誤字脱字チェックをした。
やはり慎重になっていたせいだろう、相手はスピードが落ちていた。タイプした単語数はおよそ一五〇〇語、字数にして三六〇七字だった。
勝てたと思った。
「僕の勝ちだね」
「それはどうかな、こちらも採点は終わった。発表させてもらおう」
「結果は見えているよ」
「貴様の総字数は……」
心臓が高鳴る。わくわくして、打ち負かされた相手の顔を見たかった。
「八二一字だ」
三桁の数。三桁であることを認識した途端に、心臓が凍りついた。
まさか、この僕が……? 到底承伏できない。
「嘘だ!」
「嘘ではないさ。貴様はミスタイプをした」
相手は鉛筆でチェックを書き添えた紙を渡してくる。
チェックが入った字は、「ベルンシュタイン(Bernstein)」の「四文字目のnに当たる文字、Ber『n』stein」だった。
しかし、スペルは間違っていない。Bernsteinであっているはずだ。
「どこが間違っているの? それ、正しいスペルだよ」
「そう、正しいスペルだ。貴様は完璧に打った」
「そうでしょ?」
「だが、スペルが完璧だからといって、問題文が正しいとは限らないんだよ」
「まさか……」
「これをよく見てみろ、貴様が間違えた箇所を」
新聞を投げられ、僕はつぶさにその箇所を見る。
……愕然とした。
見ると、そこにはベル『ム』シュタイン(Ber『m』stien)と印刷されていた。
「これって……」
「そう、これは『誤植』だ。確かに正しいスペルはBernsteinだ」
そんな……でも。
「でもこれって新聞のほうが間違っているから、だから」
「そう間違っている。だがな、たとえ新聞社側の落ち度で誤植してようがなんだろうが、問題文は問題文、忠実にタイプされていなければ間違いだ」
「ペテンにかけたな!」
「そう思うか。だが私はさきほど言ったはずだ。『読ませる時間も用意させてやる』と」
「ちくしょう……」
「でも、これでわかったろう。貴様に何が欠けているのか。速さばかりに気を取られていると、こういうことになるんだ。肝に銘じておけ」
僕は悔しさのあまり、床に両膝を落とす。
「貴様は先ほど見たままの文字と指の動きを連動させていると言ったが、なんなのだこれは……『m』と『n』の区別もつかないのか? 嘘つきは貴様のほうではないか」
「くっ……」
「貴様に足りないのは速さでも正確さでもない、知恵が足りないのだ」
相手が椅子から重そうな腰を持ち上げ、立つ。
「さて、私の要求を呑んでももらおう」
キルシェすまない。僕が油断したばかりに……。




