第二章 2(後)
議論を避けて一人でもくもくと情報を手に入れそうな人だった。
僕は「こんにちは」と声をかけた。
「待っていたぞ、ドラゴンを逃がしたヒーロー様」
新聞を下に退けて、眼を光らせて僕を見るなり、アルトに近いハスキーボイスで語りかけてきた。
テーブルの上にカップが置かれていた。その中にはコーヒーの液体が八割一杯たゆたっている。
「コーヒー、飲まないの?」
「コーヒーは苦手だからな」
無表情でこの人は語りかけてくる。
「奇遇だね、僕もそうだよ」
僕はこの人と向かい合うテーブル席に座り、気さくな感じで喋った。
「そうか」
しかし、この人は再び新聞を顔の高さまで掲げ、目元を隠した。
なんかやりにくい。
「情報くださいな、情報屋さん」
「情報屋? ふふ、私がそんな風に見えるのか?」
この人、僕に情報をくれるって親父さんに伝えてたんじゃないんだろうか。
でも僕は敢えてこの人の話に乗っかってやる。
「見えるよ。クイズ問題なんか出したら、パパッと答えられるタイプに見える」
だが、せっかく褒めてるのに、この人は無視をするように、新聞に食い入る。
「君はあのインテリたちと議論はしないの?」
「野次馬と口の汚い奴らは嫌いだ。あいつらはそういう奴らだ」
「あ、そう」
僕はこの人が掲げる新聞の一面の文章を見ながら、指をテーブル上で走らせて、コトコトと音を立てる。暇があるとタイピングの練習をしてしまう癖だ。他人から変な目で見られることもあるのが悲しい。
「私だったら、あのドラゴン。すぐに息の根を止められたな」
「なんだって?」
さすがに僕の指が凍りついた。
「コロンブスの卵だね、現実にあの状況と向かい合ったら、君だってどうしていいか太刀打ちできないと思うよ」
僕はタイピングが早いが、キルシェの助言がなければ負けていたかもしれないし。
「なんだ、コロンブスの卵とは?」
そうか、ここではコロンブスという人物は有名じゃないもんな。
でも意味を言ったら、この人の不機嫌が怒りに変わりそうだなと思った。僕がぽろっと言葉に出してしまったことに、少し後悔する。相手が意味を知らないことに救いを感じる。
僕は「なんでもないよ」と言おうとした。すると、僕の指輪が緑色に輝く。
「ふぁははは、無学やのう無学やのう」
「ルカニエル!?」
僕は驚いて指輪を手で覆おうとした。しかし、声がダダ漏れして、この人は聞いてしまった姿勢を見せる。
「卵と言えば腐る。腐ると言えばお前。棟一郎はお前が腐ってるって言いたいんじゃよ!」
「適当なこと言わないでよ、ルカニエル。あは、あはは……」
相手はどう見ても笑ってはいなかった。新聞を退けて、笑いでは済まさない仏頂面を見せる。
「そうか、じゃあその高い鼻をへし折ってやる」
「え、な、何?」
するとこの人は、椅子のそばに置いてあった、頑丈で堅そうな鞄を開けて、テーブルの上に置く。
タイプライターだった。この人もタイピストなのか?
「貴様の身近に常にいて、貴様が常に大切にしている女がいるであろう、な?」
キルシェのことか。確かに僕は彼女のことを大切に思っている。
この人は新聞を僕のほうに投げ出して、顎をくいっと上げる。
「好きな紙面を選ばせてやる。読ませる時間も用意させてやる」
「もしかして……」
ここでタイプライターを出し、なおかつ、この台詞を言うということは。
「僕に勝負を挑んでる?」
つまり、この人は「文章のタイプライター早打ち勝負をしろ」と言おうとしているのだ。
「待ったぞ、待ちかねたぞ。私は貴様が来るのを心待ちにしていた」
まさかとは思うけど。
「貴様が勝ったら、望みの情報を与えよう。私が知っている限りのどんな質問にも答えてやる」
やはりそういうことか、こいつ僕に勝負を挑みたくて親父さんに僕への言伝を……。
「だがもし負けたら……」
「負けでもしたらどうなるの?」
この人は三日月型に並んだ白い歯を見せる。
「タイプライターの使い手の貴様が、もっとも大切にする女を、私の好きにさせてくれ。貴様は頼りすぎている、依存していると言っても過言ではなかろう」
キルシェの身が……。しかし、ここで引き下がることは、僕がタイピングで弱いことを示してしまう。
負けず嫌いな性根が僕の背中を押した。
「いいよ、勝負だ」
「詰んだな……」
僕は確かに戦いが苦手だ。でも……。
「タイピングの速さだけなら、僕は負けられない!」
僕は新聞をテーブルに投げて、文化欄の記事を見せた。これでお前と勝負だ!




