第一章 4(後)
未熟な自分を責めたくなった。
調子に乗って、ドラゴンの両翼を奪ったばかりに。僕があんなことしなければ、キルシェはこんなことには……。
優しい微風が吹き抜け、黒い霧が薄くなっていく。
緑色の球状に包まれた淡い緑色をまとい、キルシェが腕をX字に構える。
キルシェには傷ひとつつけられてはいない、また髪の一本すら焦げていなかった。
よかった、呪文は間に合っていた。キルシェは無事だった。
キルシェが僕を見つめ、彼女の指が再びタイプライターに置かれる。
「棟一郎、何を泣きそうになってるの? 男らしくない」
「あれぇ? 涙を流さない人間を諭してくれたのはどっこの誰だったかな?」
僕は泣き虫な自分を殺すように、がちがちの笑みを作る。
「それもそうね」
彼女の険しかった表情が柔らかくなった。
キルシェは魔法のバリアを張り、次の呪文をタイプし始めた。
――乾きと飢えを満たし。
――血の干上がりすら満たせし精霊。
これは傷を快癒させるための呪文。さっき僕がキルシェの頬を傷つけてしまったが、それはおそらく大したことはない。もしかして、いまの炎で本当は負傷したか? そのための回復魔法か?
――水を司りしオンデーヌ。
――乾きし傷に癒しを与えんことを!
タイプライターから水色の光が帯び、その光がなんとドラゴンの右翼へと導かれるように移動し、黒い血液が溢れ出る傷口がみるみるうちにふさがれる。
そういうことだったか。
すると、ダークドラゴンはそこで叫びをあげる。
キルシェはそれから空高く浮遊する。
それを逃がすまいと、ダークドラゴンは、治った右翼と深手を負った左翼を使い、ぎこちない動きで飛び上がり、敵意を持った瞳でキルシェを追いかける。
「棟一郎、左翼を狙って! 初級の電撃呪文を!」
左って回復してないほうの翼だよな。
――それは天蓋を走る光の路。
――それを画くは石火を散らす神剣。
――我に与えたまえヨ・パテルの力。
――雷撃!
稲妻がタイプライターから放たれ、ドラゴンの左翼に命中した。
ドラゴンが苦しみ悶えて顔全体が歪む。
ダークドラゴンがキルシェのほうから、僕のいる場所を見る。
僕はこれでも不十分かと思い、上級電撃呪文をタイプしようと考え、「それは天蓋すらも破砕する……」と打ちかける。
その呪文をキルシェが聞き逃すはずがなかった。ちゃんと耳にしていた。
「余計なことはしないで」
キルシェの声が交錯し、僕の心に釘を刺される。
「初級魔法でいいの、ともかく言われた通りに雷撃して!」
「うん」
――雷撃!
――雷撃!
――雷撃!
僕は同じ言葉を何度もタイプした。こういうのは地味ながら、タイピングの得意技のひとつだ。
電流が何度も空中を走り、左翼に直撃する。
初級魔法であるが、傷口に集中すればドラゴンも苦しむのは理解できる。
ドラゴンが口が裂けるほど大きく開き、喉の奥が蒼く輝くのが見える。
――雷撃!
雷がドラゴンの口腔に入り、叫びにならない叫びをあげ、黒い霧だけが漏れて、ドラゴンの顔が隠れる。
薄くなりかけた霧越しに、ドラゴンは口を閉じるのが見え、左右の翼をちぐはぐに羽撃かせて、飛んで逃げゆく。
方角からして、海へ逃げるようだ。
僕たちはそれを見送った。
そこで気づいた。キルシェが指示したことは、弱い雷撃を傷口に当てることで、ドラゴンを追い返すための方策だったということを。
僕は空を飛ぶキルシェに親指を立てた。キルシェも難題をやり遂げたすっきり顔で親指を突き立てる。
だがそのときだった。糸で釣り上げられたように浮かんでいた彼女が突然落下し始めた。まるで糸が切れたように。
空中浮遊する魔法の効果が切れた!?
もう一度その呪文を……いや、間に合わない。
「キルシェ!」
僕は足が壊れそうなぐらい大腿を酷使して、キルシェの落下地点に走っていった。
しかし、火事場の馬鹿力をもってしても僕の足は遅かった。
キルシェの身体は見る見るうちに落下していく……。




