第一章 4(中)
僕とキルシェが綴る呪文はタイプライターにかけられている魔術式のおかげで、互いに心の耳で聞き取ることが可能だ。
その術式の組成は現場へ迎う前に、家でキルシェにやってもらった。
キルシェはタイプし始める。確かに術式が利いている、タイプする呪文が僕の心に反響した。
――琴も声も奏でよ奏で。
――世に満ちたれ風師の聖楽。
――悪辣の瘴気を吹き払え!
――瞋恚の邪炎を吹き払え!
後ろから風が駆け抜ける。嵐の暗雲も吹き飛ばす勢いで風は流れていった。ダークドラゴンが吐き出した黒い霧を払い退け、蒼い炎が消える。くすぶった煙だけが残る。
倒れている自警団員がいないことから、死者重傷者ともいない。街の建物も多少焼けたが、表面の壁が焼け焦げた程度で済み、被害はそれほど相当なものではなかった。よかった。
「追い風があるうちに行くわよ!」
「ああ」
僕とキルシェは風が進むままに走った。
焼けた石畳の道は靴越しに熱気を感じたが、それでも走る。
ダークドラゴンは炎を吐き出しても無駄だということを察知したか。ただ口を閉じ身構えているのみ。次の動きを見せない。
「棟一郎、私の身体を飛翔させる呪文は知ってる?」
「あれでしょ、ええと……枷を解きて鎖を外せ……っていう」
「じゃあ、それを打ち込んで!」
僕はいつもの調子を取り戻すよう、指を暖めるウォーミングアップがてらにタイプする。
――枷を解きて鎖を外せ。
――痛み苦しみの全てを忘れん。
――風師セルフィドはこれなり。
――自由な心のごとく飛翔せよ!
キルシェの身体が浮かび上がる。キルシェは何度もその魔法を使ったことだろう、身体が浮かび上がっても「怯え」ひとつ見せない。
僕はこの魔法を自分にかけるのがまだ怖い。高所恐怖症ではないけれど、絶叫マシーンに乗るのがいまだに嫌いだから……。
ドラゴンが空中を飛ぶ彼女をなぞるように、視線を移動させた。
さきほどの追い風が弱まり、ドラゴンがその隙を見て、口を大きくゆっくりと開ける。
ところでキルシェは、僕が空中浮遊の呪文をタイプし始めていた時点から、キー上でピアノを弾くように、素早く指を滑らせた。
キルシェがかけた術式は間に合わせだったのだろうか。彼女のタイプと呪文の聞こえに時間差がある。
――風が運びし種を御身に守る。
――それは豊穣を与えし土精霊ノム。
この冒頭で始まる呪文は確か、炎や吹雪、そして物理攻撃などから身体を守る魔法バリアだ。
ドラゴンが上方に首を伸ばして、おぼろげに光る眼でキルシェを見る。
硬質な音を立てて、タイプは続く。
――稚児を護りし母がごとく。
――我に大地の盾を……ッ
爆炎!
轟音……。
首を伸ばしてドラゴンが黒霧と蒼い炎を吐き、キルシェの身体が見えなくなった。
炎の熱気が広がって、僕の顔と身体が、夜中に太陽が現れたかのように照りつけた。まぶしくて目が霞む。
しかし、それを気にしてる場合ではない。呪文の続きが炎の轟音によってかき消えた。まさか、キルシェは呪文が言い終わる前に炎に巻き込まれ……?
僕の心が、蝋燭の糸のように細くなった。
まさか、キルシェ……。




