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第6話 世界屋製菓とマルナガヤ

「え、私がプロジェクトリーダー、ですか?」


 真奈美は突然の昇進に、自らを指差して驚いていた。


 彼女の所属する製菓企業、『世界屋製菓』は伝統的な製法で昔ながらのお菓子を作ることにこだわっている、創業120年の老舗である。

 真奈美は世界屋製菓では企画開発部に籍を置いていたが、主な仕事は商品を販売したあとの分析だった。販売状況に常に目を光らせ、売れ行きをチェックしたり、顧客からの問い合わせや相談、アンケートなどによるフィードバック、さらに競合商品の動向などを調査・分析する仕事。それもやりがいはあって楽しいのだが、やはりお菓子を試作するチームは楽しそうだな、と思ってしまう。

 真奈美はそんな商品を実際に開発するプロジェクトのリーダーに抜擢されたのだった。


「いきなり配置換えでリーダーなんて、よろしいんですか?」


 彼女がきょとんとしながら上司の狸山(たぬきやま)課長に尋ねると、彼は「冴原さんは長いこと分析をやっていたから、ある程度売れ線のお菓子は把握していると思う。その経験を活かして、新感覚のお菓子を開発してほしい」とうなずく。


「まあ、プロジェクトリーダーなんて、あれこれ指示を出して試作品を試食する美味しい仕事だから大丈夫。大船に乗った気で安心したまえ」


 ガハハ、と笑う狸山。

 そんな調子で始まったプロジェクトだが――実際のところは、もちろん、そんなにうまい話ではない。

 まずは新商品開発プロジェクトに集まったメンバーと意見交換をし、どんなお菓子を作るか話し合う。

 チョコレートにするかクッキーにするか、フルーツを使うか、和風がいい、形状は丸か、四角か、いや動物型がいい。

 食感はサクサク、もちもち、しっとりのどれにするか。

 ターゲット層は子供にするか、いや大人を狙ったほうが、どうせならお菓子好きな女性をターゲットに。

 目的はおやつ、いやプレゼント、それよりパーティーサイズがいいなど、ブレーンストーミングでバラバラの意見を好き放題しゃべるメンバーの意見をリーダーとしてまとめ上げなければいけない。それだけでも経験のない真奈美はクタクタだった。


「冴原さん、大丈夫ですか?」


 後輩の長谷川(はせがわ)が真奈美に声をかけてくれる。

 彼は入社して2年ほどの若手であるが、企画開発部の商品開発には入社してから携わっているため、その方面に関しては真奈美よりも経験者だ。そんな理由から彼女のサポート役に任命された。


「俺、できる範囲で手伝いますから、困ったら何でも言ってくださいね」


「ありがとう、長谷川くん」


 真奈美がお礼を言うと、彼は喜色満面で「はいっ!」と元気よく答える。

 なんだか、尻尾を振って喜んでいる柴犬のような印象だった。


「長谷川、冴原さんは彼氏いるぞ~」


「懐くのはいいけど横恋慕すんなよ~」


 真奈美の同僚たちにそうからかわれて、顔を赤く染めているところも正直で可愛らしい。

 そういえば、長谷川くんも結構幼い顔つきをしているな……と思い当たり、彼女は微笑ましく思っている。なんというか、まさに柴犬の子犬っぽい。

 もちろん、鷹夜から鞍替えする気も浮気するつもりもないのだが。


「真奈美さん、最近お忙しそうですね」


 真奈美の家を訪れて夕食を作ってくれた鷹夜が心配そうに彼女の顔を覗き込む。

 彼は既に真奈美の家の台所事情を知っていて、週末には泊まっていく代わりに美味しい料理を作ってくれるのだった。

 真奈美も決して料理ができないわけではないのだが、どうしても男の料理というべきか、野菜や肉を大きめに切ったワイルドなものになってしまう。

 反対に、鷹夜は気配りの届いた、繊細な仕上がりの料理を出してくれるのである。


「まあ、最近、色々配置換えがありまして……」


 真奈美は言葉を濁した。

 鷹夜は違う製菓企業に属しているという。ならば、自社の機密はうっかり口に出してはいけない。

 彼もそのへんは承知しているようで、「お仕事に張り切るのはいいですが、心配なので無茶はしないでくださいね」と詳細は聞かず、眉尻を下げて微笑みながら、テーブルにつく真奈美の前に食器とカトラリーを並べてくれる。


「気をつけます。……うん、いい香り」


「よかった。お口に合うといいのですが」


 これまでに鷹夜の料理を食べてきて、好みに合わないものはなかったな、と思いながら、真奈美は鶏の照焼を口に運んだ。

 甘辛いタレが鶏肉に絡んで旨味が口の中いっぱいに広がる。思わず笑顔がこぼれるほどの美味しさだ。

 そんな真奈美の明るい顔を見て、鷹夜も安堵のため息を漏らす。

 ふたりはこれからも、こうしてささやかな幸せを享受するはずだった。


 プロジェクト発足から2週間がたち、ある程度意見をまとめた真奈美は、会社のデスクで新商品の企画書を作成している。

 マカロンのような形をした、さっくり食感のクッキー。中にはクリームが詰め込まれており、一口噛めば幸せが溢れ出す――そんなコンセプトで、伝統的なお菓子にこだわる世界屋製菓が珍しく冒険していると自信を持って言える、そんなお菓子だ。

 これから試作を重ねて、上手く作れれば社内で試食会。その後、製造部門と協力して生産、2ヶ月後の展示会では業界のバイヤーやメディア関係者の前でプレゼンテーションをしながら試食や商談が行われる、という流れを、真奈美はプロジェクトを任されてから初めて知った。

 不安と緊張は感じるが、せっかく任された大役を成功させたい、という気持ちのほうが強い。


「やっとるかね」


 企画書をパソコンに打ち込んでいる途中、狸山課長が様子を見にやってきた。


「今週中に企画書をまとめて提出します」


「ああ、頼むよ。俺はパソコンとかスマホがさっぱりでな。メールの読み書きは、なんとかできるんだが」


 課長は苦笑いをしたあと、「9月の展示会では、『マルナガヤ』もプレゼンテーションを行うそうだ」と不意に真剣な表情を浮かべる。


 マルナガヤ、という社名に、真奈美は少し身を固くした。

 その会社は、世界屋製菓にとっては犬猿の仲とも言える天敵だ。

 伝統的な味を守る世界屋製菓に対して、マルナガヤはここ数年で頭角を現した新興企業である。

 革新的な技術を利用し、近未来的なフォルムのお菓子を製造・販売しており、若者に人気があった。

 マルナガヤの代表的な主力商品は『フレーバーキューブ』という、様々なフレーバーがあるキューブ状のお菓子。フレーバー同士を同時に口にいれることで、無限の味を楽しめる、がコンセプトだ。

 そんな新興企業を、どうして世界屋製菓が目の敵にしているかと言うと――。


「マルナガヤには気をつけろ。うちの情報をどこからか入手しているらしいからな。まったく、油断ならない奴らだ」


 狸山課長は憤りで鼻から息をつく。

 そう、ここ最近、世界屋製菓とマルナガヤの販売するお菓子は、不自然なほどにジャンルが被っていた。

 世界屋製菓がチョコを出すと、なぜか同じ時期にマルナガヤも似たようなチョコを出す、といった具合に。

 しかも、マルナガヤのほうが新技術を使っているので、後者の方が人気になることがしょっちゅうである。

 ネットでは「世界屋製菓とマルナガヤで似たような商品が立て続けに出ているけど、マルナガヤのほうが目新しい」「世界屋製菓っておじいちゃんおばあちゃんが好きなお菓子だよね」といった評価を得ていた。

 もちろん、そんな噂が立てば世界屋製菓の社員としては面白くない。

 よって、このふたつの企業はライバル――というより仇敵として相対している。

 正直なところ、真奈美にとっては、どうしてマルナガヤに情報が漏れているかのほうが気になるのだが。


 ――もしかして、世界屋製菓のなかに、情報を流出させている社員がいる?


 あるいは、「横流し」。同じ会社の中に裏切り者がいるとは考えたくないが。

 真奈美はそんなことに思いを馳せながら、企画書の準備を着々と進めていくのであった。


〈続く〉

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