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第3話 社長秘書としての彼

 その日の昼休み、真奈美はランチでもしようかと近くのレストランに入った。彼女の勤めている会社はビジネス街にあり、他の企業の社員も同じビジネス街にあるレストランに多く詰めかけている。

 真奈美はおひとり様には慣れていた。カラオケも焼肉も、自由で気楽だから好きだ。

 とは言っても孤立しているわけではなく、単にひとりで行った方が気楽という話だ。カラオケもひとりなら歌う順番や店員が入ってくるタイミングなど気にしなくて済むし、焼肉も自分が食べたいだけ自由に焼いて食べられる。流石に遊園地をひとりで楽しむのはハードルが高いので行ったことはないが。


 まあそういった経緯で、そのとき真奈美はひとりでレストランに来て食事をしていた。

 店内は白と黒を基調にしたシックな雰囲気で、清潔感がある。厨房の奥からは「じゅわぁっ」と食材の焼ける音が聞こえ、バターとニンニクの香ばしい香りが漂ってくる。

 鉄板の上では肉が踊るように焼かれ、料理人たちの掛け声と笑い声が店内のざわめきに溶け込んでいた。

 グラスの中で氷がカランと鳴り、給仕がテーブルの上にワイングラスを置く音がする。人々の談笑が波のように押し寄せ、心地よい喧騒の中で、真奈美は一人静かに食事を楽しんでいた。


 隣のテーブルでは楽しげな会話が交わされ、カトラリーと皿の擦れるカチャカチャという音が響いている。真奈美のもとに運ばれてきたのはクリームたっぷりのカルボナーラ。早速フォークでパスタを巻くと、卵をふんだんに使った黄色いパスタソースが麺に絡んで湯気を立てており、口に含むと濃厚な味で満足感があった。あとから香る胡椒のスパイシーな辛味もいいアクセントだ。

 店は混んでいるので、順番待ちしている客のためにも手早く食事を済ませてパパッと出よう、と思いながら料理を食べていると、ふと視界に見慣れた色を見かける。色素の薄い、灰色の髪。目をこらすと、思った通り鷹夜がいた。


 レストランの喧騒で何を言っているかは聞き取れないが、男性ふたりと一緒に3人で何やら談笑しているらしい。鷹夜の隣に男性ひとりと、向かいの席に男性ひとり。彼は社長秘書と言っていたので、おそらく隣にいる黒髪の若い男が社長なのだろう。向かいの席の男性は真奈美の位置からは背中しか見えないが、金髪の白人のようだった。

 真奈美がカルボナーラを食べながら観察していると、鷹夜が視線に気づいたらしく、彼女の方を見て一瞬驚いた顔をしたが、すぐに笑顔になる。

 そのまま彼は向かいの席の男と一通り話をしたあと、隣の男になにか話して席を立った。鷹夜は真奈美の席に向かってくる。


「驚きました。真奈美さんもこちらにいらっしゃっていたのですね」


「偶然ですね。お仕事ですか」


「ええ。フランスからいらっしゃった方と、少し商談を。本場のマカロンを作る繊細な技術を我が社に取り入れたいという社長の希望で」


 すると、白人の男が席を立ち、鷹夜になにか声をかけた。彼もそれにすぐに応対したが、真奈美には聞き取れない言葉だった。フランスから……ということは、おそらくはフランス語で会話しているのだろう。

 白人の男がレストランのドアを開けて去っていく。鷹夜は少し顔を赤くしていた。


「どうかしたんですか?」


「い、いえ、その……」


 鷹夜はしばらく言い淀んでいたが、観念したように口を割る。


「……可愛らしい彼女だね、と」


「あら」


 真奈美は他人事のように返事した。自分のこととはいえ、どうにも現実味がない。鏡を見ても、可愛いというよりは『凛々しい』や『カッコいい』のほうがしっくりくる顔立ちだ。友人にも、『真奈美って宝塚にいそうだよね』と言われたことがある。

 だが、外国人から見ると印象が違うのかもしれない。日本人女性は総じて可愛く見える、とどこかで聞いたことがある。そう考えれば納得できる話だ。

 それにしても、鷹夜のような端正な顔立ちの男が、真奈美のことを可愛いと言われて照れるとは――なんだか妙な気分だった。


「鷹夜さんって外国語喋れるんですね」


「ええ、まあ。英語、中国語、フランス語、ドイツ語、アラビア語あたりは」


「……え?」


「ですから、英語、中国語――」


「いやいやいや……ちょ、ちょっと一回整理させてください。いくつ喋れるんですか?」


「五か国語程度です」


「今、『程度』って言いました? それ、普通の人は一生かかっても身につかないレベルですよ!」


「必要に迫られて勉強しただけですよ」


「どういう必要ですか!? 普通、仕事でもせいぜい英語+αくらいでは?」


「……まあ、語学は好きなので」


「好きなだけで五か国語……」


 社長秘書とはいえ、もはや通訳レベルである。

 そこへ、食事を終えたらしい社長と思しき人物が歩み寄ってきた。


「鷹夜、そろそろ行くか」


「かしこまりました。それでは、真奈美さん。ごゆっくり」


「お仕事のお邪魔して申し訳ございません」


 真奈美がぺこりと頭を下げると、社長らしき人物は朗らかな笑みを浮かべて軽く手を振り、鷹夜を引き連れレストランを出ていった。

 しばらくレストランのドアをぼうっと見つめる。

 ついさっきまで彼がいた場所には、もう彼の姿はない。まるで蜃気楼のように消えてしまった気がして、少しだけ不思議な気分になった。

 だが、腕時計を確認すると、昼休みの終わりがすぐそこに迫っている。


「……あっ」


 我に返り、慌ててフォークを手に取る。すっかり冷めてしまったカルボナーラを一口。

 ひんやりした口当たりに、一瞬がっかりしたものの、後からクリームのコクがじんわり広がる。


「……うん、冷めても意外と美味しい」


 そんなことを考えながら、店を出る準備を始めるのだった。


〈続く〉

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