第8話「コートとケンカ」
匂いが呼び起こす記憶は……
すれ違ったまま迎える冬……街中の喧騒はどこか他人事で。
しばらく砂浜を歩いて、駐車場まで戻った頃には、さっきの緊張も少しだけ溶けていた。
「送ってくね」
「……ありがとうございます」
帰りの車の中では、怜央さんもあまり話さなかった。
でも、その静けさがちょうどよくて、私はまた少しだけ眠ってしまい、気づいたときには、家の前だった。
「……着いたよ」
ぼんやりとした頭のままお礼を言う。
「暖かくして寝てね。おやすみ」
去り際まで……なんて……もう怜央さんのイメージ通りで……
今あったことは夢なんじゃないかと、ふらふらしながら部屋に向かう廊下で、
「……! あっ……!」
コート。借りたまま――返してない。
……また、次に会う時に返せばいいよね。
家に戻り、借りたコートをハンガーにかける。
ふわりと、さっきと同じ香りが鼻先をかすめた。
セナ君とはまた違う匂いが、部屋を包み込む。
『ごめんなさい、コート借りたままでした。いつ返したらいいですか?』
怜央さんにLINEのメッセージを送る。
さっきまで……怜央さんの車でも寝ちゃったのに……課題もやらないとなのに、うとうと微睡んでしまう。
怜央さんとお台場に行った4日後。 指定された時間に、コートを返しに事務所を訪れた。
紙袋には、借りたコートとお礼のクッキー。 中身を確認しながらエレベーターを待つ。
チンッ。
開くエレベーターから出てきたのは、セナ君だった。
コツッとブーツの音を鳴らし、エレベーターを降りて私の正面に立つ。
ドアの前に立たれてしまい、乗り込めず見逃してしまう。
「どした?今日は」
「あ……えっと、怜央さんに借りた服を返しに」
「はぁ!?レオの服??なんで??」
いきなりの剣幕に、ビックリしてしまう。
「え? 車でお台場に連れて行ってくれて…」
「は?レオの車?車に乗ったの!?で、お台場!!??」
え……? 何……? 何かおかしい??
「……知ってる?あのランドクルーザーに乗せて落ちなかった女いないんだぜ」
確かに…乗り心地もよくて、運転する怜央さんはすごくサマになっていた。
あの横顔と、車をバックさせる時の仕草は反則だと思う。
本当にドラマのワンシーンみたいだった。
「で、車乗って、好きになっちゃって、お台場に泊まっちゃったわけだ」
はぁぁぁ!!?? なんでそんな話になるの??
あまりにも突然の言いがかりに、言葉を失う。
「……怜央さんの話なんてしてないじゃん……」
何も悪いことをしてないのに、責められてる気がして怒りがこみ上げてくる。
「自分なんて、元カノさんにあんな酷い態度取ってるくせに!!」
「はぁ!?元カノのことがなんで今出てくるんだよ!」
「怜央さんは私をドライブに誘ってくれただけなのに!怜央さんのことまで悪く言うなんて酷くない!?」
そもそもが……そもそもさぁ……
チンッ。
エレベーターの扉が開いて、今度は怜央さんが降りてくる。
「あ、いたいた。そろそろ来るかと思ったけど、遅いから……」
もう言い出したら止まらなくなってしまって、
「セナ君、別に私の彼氏でもないのに……私が誰の車に乗ろうが勝手じゃない!?」
「~~~~っ!じゃあ勝手にしろよ!」
「っ! 言われなくても、勝手にするけど!?」
私とセナ君のただならぬ雰囲気を察して、怜央さんが口を挟む。
「ちょっと二人とも落ち着いて……セナも……お前、何やってるんだよ」
「別に……なんも……」
“別に、なんも”って……なんもじゃなくない!!??
私、めちゃくちゃ酷いこと言われた気がするんだけど!?
怜央さんに紙袋を渡す。
「コート!ありがとうございました!お礼のクッキー、後で食べてください!!」
セナ君をキッと睨む。何か……何か一言言ってやりたい……!
「~~~~~~~!!っセナ君の……あ、あんぽんたん!!!」
「はぁ!?あんぽんたんって、おま……」
セナ君が何か言いかけてるけど、もう聞かずに外に走り出す。
もうっ……知らない……ケンカなんてするつもりじゃなかったのに。
怜央さんとのことで、変なことを勝手に想像して……!!!
「奏ちゃん!」
少し走って立ち止まり、呼吸を整えていると、後ろから怜央さんの声が聞こえた。
「良かった追いついて。遠くに行っちゃってたらどうしようかと思った」
怜央さんが私の手を引く。
「もう日が短くなってきたよね。夜、危ないから送るよ」
私が世界で一番好きな手は、ママのキレイな手。
細くてしなやかで、爪は伸ばせないけれどいつも手入れされていて、 弦を持った時にキレイに塗られたネイルがとても映える。
次に好きなのは、パパの手。いつも私を守ってくれる優しい手。
怜央さんの手は……少しパパの手に似ている気がした。
セナ君の手は……誰とも似ていない気がした。
送ると言っていた怜央さんだけど、この後雑誌の撮影があることを思い出したらしく、 タクシーで帰宅することに。
セナ君といい怜央さんといい……過保護すぎない?
……初めて、パパとママ以外の人とケンカしたかも。
少し憂鬱な、重い気持ちになる。 きっともうすぐ期末テストだからだ。
色々なことに気が付かないふりをして、鍵盤と机に向かう。
期末テストの追い込み中、ふとSNSを覗くと、 『#椿翔平誕生祭』のハッシュタグが目に飛び込んできた。
え!?今日って椿さんのお誕生日だったの!?
アイドルにも誕生日があることに今更気づき、慌ててグループLINEにお祝いのメッセージを送る。
『椿さん、お誕生日おめでとうございます。直接お祝いしたかったんですが、期末テストが近くて……LINEですいません』
椿翔平:ありがとう。気持ちだけで嬉しいよ。テストがんば。
豊田遊里:ボクの誕生日はね~3月7日だよ!
柊真央:遊里ずるい!僕は6月3日やけどね。
御影怜央:真央もちゃっかり言ってるじゃん、俺は1月12日。
井上信:7月10日。浅草寺で、この日に参拝すると46,000日分の功徳があると言われています。
天野蓮:いや、信こわいって!ちなみにおれは10月14日!
次々に教えてもらったみんなの誕生日をカレンダーに入力していく。
セナ君からのメッセージは……無い。
そっとWikipediaを開いて調べてみる。
『諏訪セナ 誕生日2月5日(20歳)』
既読は7。けれど、届かないメッセージに胸がチクリと痛んだ。
そうだ……キーボードを買う予定だったお金で、来年はみんなにプレゼントを買えたらいいな。
セナ君にも……買えるかな。
そんなことを思いながら、再び机に向かって勉強を再開する。
「はぁ……やっとテストが終わった……」
すっかり12月になり、街はクリスマス一色に。
スターライトパレードのみんなとのLINEグループを見ると、年末年始の撮影が始まっていて、みんな大変そう。
豊田遊里:もーやだーゲームしたいー
柊真央:また言うてるやん、それ
椿翔平:おまえは22時には帰れるだろ……
御影怜央:今、撮影現場の暖房壊れてるってどういうこと……?
井上信:しかも次、外ロケだってさ。雪降りそうなくらい寒いんだけど
天野蓮:コンビニでカイロ買ってきたけど、全然追いつかん
椿翔平:「気合いでどうにかしてください」ってスタッフに言われた
豊田遊里:年末進行まじで地獄
柊真央:ほんま、冬ってだけで疲れ倍増するよなぁ
御影怜央:え、俺もうカレンダー見てない。心の平穏が保てない。
椿翔平:心の平穏とか言いながら、今日の髪型ガチすぎてビビったぞ
井上信:ワイプでいじられてたね
椿翔平:やめろww
ふふっ…… 『みんなお疲れ様。私も今日期末テストが終わりました♪』
っとメッセージを送ると、すぐにパパパッと労いの返信が届く。
既読の数はやっぱり7。でもメッセージは6件。
誰から来ていないのか、すぐにわかってしまって、少し胸が痛んだ。
ぼんやりスマホを眺めていると、遊里君から個別のメッセージが届く。
『来週から、ボクと真央だけレッスンヤダーーー!!』
テストも終わったし……来週からは午前授業なんだよね。
『良かったら差し入れ持って行くから、がんばって!!』
すぐに既読になり、「わーい」と書かれた可愛いスタンプが表示される。
さてと……
テスト中は開いていなかったノートPCを立ち上げ、メールチェックをする。
ママからは、相変わらず業務連絡のようなメール。
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件名:年末年始の予定について
奏へ
年末年始の予定について連絡です。
12月下旬から1月初旬にかけて、ヨーロッパ各地でのコンサートやリハーサルが続くため、引き続きフランスを拠点に動きます。
12月20日~1月6日頃まではほぼ毎日スケジュールが入っており、あちこち移動することになりそうです。
パパは12月23日頃にこちらに来る予定です。年明けには一緒に戻ると思います。
クリスマスプレゼント、もし欲しいものがあれば早めに教えてください。
あまり時間は取れないけれど、できる範囲で探します。
寒くなってきたので、体調には気をつけて。
ママより
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クリスマスプレゼントかぁ……
モニターにうっすら映る自分を見ながら、ママに返信する。
『メールありがとう。
来年は私もパパとそっちに行こうかな。
プレゼントはお化粧品を揃えてみたいです。
帰国したら一緒に見に行きたいな。
ママも体調には気を付けてね』
っと。
スターライトパレードのみんなは、プレゼント交換とか……しちゃうのかな。
ファンからのプレゼントとか…もらったりするのかな。
ファンじゃない女の子……からも、もらっちゃうのかな……
「いやいや、何考えてるの私……」
少し心に風が吹いたような気がしながら、メールの確認を進めていく。
最後まで読んでいただきありがとうございました!
「……知ってる?あのランドクルーザーに乗せて落ちなかった女いないんだぜ」
この一言に怜央のできる男感と、セナの焦りが集約されている気がしますね。
よかったら、引き続きお付き合いください。
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次回はアンサーストーリーをお届けします【8月15日(金)夜】に更新予定です!
ぜひまた覗きに来てくださいね!