第二話 悪い龍神、の昔話
<むかしむかし――、ある街とその一帯の村落郡に飢饉があった。それを引き起こしたのは、近くにある霊山に住まう【悪い龍神】であるとして、人々は救いを求めて神仏に祈ったのである。
その甲斐あって、神仏は一人の旅の仙人を霊山のふもとの村に送ったのである。――その仙人は尊称を【鵬雲道人】、本名を【雷夫】といった>
「ああ、鵬雲道人様――。どうか悪しき龍神を封じて我らをお救いくだされ」
「むう――、悪しき龍神、か……」
村長の屋敷に案内された雷夫は、そう呟きながら短いあごひげを撫でる。
自分の前には、最近のこの村ではほぼ見ることが出来ない、質素な食事が置かれていた。それを横目で見ながら雷夫は困った顔をしてため息を付いた。
(近くにあるお山――、霊山から妖気らしきものは感じる――、しかし、それほど強烈なものでもない気がするんだが)
雷夫はそう首をひねりながら考え込んでいると、村長が静かに語り始める。
「霊山に住まう龍神は――、人の子供の姿をなして人を騙します。近づけば、大抵何かしらの術らしきもので追い出されるのです」
「ほう――、追い出す、のか……」
「はい……。それが住み始めたのはわしが子供の頃で――、元々は、どこかの龍神が自身の妻に内緒で人間の女に産ませた【半龍神】らしく――、その出自から来る呪から【悪龍】となって祟りをなした……と」
妙に詳しいな――、と雷夫は疑問に思いつつ静かに彼の語りを聞く。
「今の霊山に至ったのも――、元々住んでいた土地を追われたから――、とか」
「む――」
そこまで聞いて、本格的に疑問が頭に擡げてきた。それを口に出す雷夫――。
「妙に詳しいね――、村長?」
「ああ……それは」
村長の語る疑問への回答は――。
「龍神の母の、その身内を名乗る旅人?」
「ええ、どこぞの領主様の家臣だとかで――、霊山に住まう龍神は我家に祟りを成した――とか、語っておりました」
「……」
何やら感じることがあって雷夫は黙り込む。彼はそのまま食事に手を付けずに立ち上がった。
「あの――、食事を……」
「いや……、仙人は霞しか食わないからね。それはお前の孫にでも与えるといいぞ」
そう言ってにこやかに笑ってその場を去った。村長は涙を眼に貯めて、雷夫に深く頭を下げたのである。
◆◇◆
「ふう……、やはりそうか――」
一人、風水盤を手にした雷夫は村の中を歩いている。その顔には困惑の色がはっきりと出ている。
そうして歩く間にも、村人たちが自分に向かって手を合わせて、「どうか悪しき龍神を退治してください」――と声をかけてくる。
それを、苦笑いで受け流しながら村中を周回し――、最後に村の端にあった切り株に腰をおろした。
「……はあ、そうか」
すべての状況を理解した雷夫は困った顔で頭をかく。――ため息を付く彼に、不意に話しかけてくる幼い声があった。
「あ、あの……」
「え? 君は……」
その彼女に見覚えがあった。――かの村長の孫娘である。
「あ、あの……、ありがとうございます」
「む? ああ、食べ物のことか? まあ、子どもには、今の状況は辛いだろうし、な――」
「……」
少女は黙り込んで――、涙目で俯く。その様子に何かを察した雷夫は優しい笑顔で彼女の頭を撫でた。
「どうした? 何かあったのか?」
「あ……あの、仙人様は――、悪い龍神を退治しに来たんですよね?」
「む? ……あ、まあな――」
そう言って頷く雷夫を見た少女は、一息深呼吸すると――、その場に土下座したのである。
「む? は? 何を?」
「龍神様を許してあげて!!」
「!!」
その少女の言葉に驚きを隠せない雷夫。彼女は目に涙をためて、――必死に頭を下げて言った。
「仙人様! 龍神様を退治しないでくださいませ!!」
「……」
必死に訴える少女の肩に手をおいた雷夫は、静かに優しく言葉をかけた。
「ああ、いいさ――、理由を聞いていいかな?」
その言葉に――、少女は頷いて語り始めた。
――それは、一匹の【臆病な龍神】と少女の些細な交流の物語だった。
◆◇◆
<――村で聞き込みを行った仙人様は、意を決して【悪い龍神】退治に挑みます。
霊山に入り――、深い森を抜けて――、その先へと進んだ仙人様は、ついに【悪い龍神】の巣にたどり着いたのでした>
人が住めるかのわからない、ボロボロの屋敷が建っている。その奥に妖気を感じ取った雷夫は、静かに奥へと歩んでゆく。そして――、
「……そう、ついに来たのじゃな?」
その屋敷の最奥の一室の、古い寝台にうずくまる一人の少女を雷夫は見つけた。――静かに雷夫は語りかける。
「お前が……、霊山に住まう龍神か――」
「そう……、祟をなし――、飢饉を引き起こした【悪い龍神】――。それがわしじゃ――」
「……」
黙って雷夫は少女を見つめる。少女は薄く笑って――、そして懇願するような声音で言った。
「さあ、……仙人よ――、【悪い龍神】を退治するが良い――。わしは――」
「なんだと?」
「わしは、ほとほと疲れたのじゃ……」
その少女の言葉に――、雷夫は大きなため息で答えた。
「祟りをなしてもいない――、お前のような幼い半龍を手にかけることなど出来んさ――」
「?!」
その言葉に驚きの目を向ける少女。――雷夫は静かに語り始める。
「今ここら一帯を襲っている飢饉は――、お前のせいじゃない」
「な……何を」
狼狽える少女に歯を見せて笑いながら雷夫は言う。
「一応、俺は仙人だからな――、どこに土地の病の根源があるかは理解できる」
「あ……」
「【悪い龍神】の祟? ――大きな不幸があって、近くに未知の存在があったから、勝手に関連付けただけの話だ――」
そこまで言った後、心底困った表情で雷夫は首をひねる。
「……と、まあ、その話は村でしてきたんだが――。【悪い龍神】の祟を信じて譲らなくてな――、最後には【悪い龍神】に恐れを抱いたのではないか、とか言われちまった――」
「それで……、ここには何をしに来たというのじゃ?」
雷夫は優しい笑顔を浮かべながら一歩少女に近づく。それに敏感に反応して少女は後ずさった。
「ああ、安心しろ――、乱暴などせんさ……。ここに来て、それまでに色々考えていたが、この屋敷の有り様を見て決心はついた」
「え?」
雷夫は歯を見せて言う。
「ここから出よう! 辛気臭いこんな屋敷に引き篭もるのはやめよう。――俺が、新しい家をどっかに見つけてやる」
少女は、その雷夫の顔を驚きの眼で見て――、その手を見つめて――、そして……。
「いやああああああああああ!!」
いきなり悲鳴をあげだした。
「うお?! おい?! そんなに俺はキモいか?! 別に俺は……」
狼狽えた顔で慌てる雷夫の耳に、――少女の絶望の声が聞こえてくる。
「いやじゃ!! 出ないのじゃ!! 出たくないのじゃ!! 誰にも会いたくないのじゃ!!」
「お……おい」
「痛いのはいやじゃ!
怒鳴られるのはいやじゃ!!
……ヤダあああああああ!! そんな眼で見ないでええええええ!!」
あまりの絶叫に……、雷夫はただ黙って少女を見つめる。
「わかっておる!! わしはいないのじゃ!! 存在しないのじゃ!! 存在してはいけないのじゃああ!!」
「お前……」
「母上……、父上……、もういなくなるから――。わしはいなくなるから……。どうかわしを許して……」
あまりの事態に――、雷夫は唇を噛み、黙って拳を握った。
「わしはいないのじゃ……、もうどこにもいかぬのじゃ……、静かに野垂れ死ぬのじゃ……、だから安心して――」
「もういい!! ……もういい!! お前を苦しめる奴はここにはいない!!」
雷夫は必死に訴える。そうするうちに少女は落ち着きを取り戻した。
「あ……、すまぬ。――無様な姿を……」
「……」
「……だから、疲れた――。わしは疲れたのじゃ。誰もわしを見ることはない――、ただ否定するだけじゃ。だからこの世から消えたいのじゃ……」
雷夫は心底困った表情で頭を掻いて、そして言った。
「誰もお前を見ていない――、それは勘違いだ」
「む?」
雷夫は優しい笑顔で話し始める。
「お前を正しく見ている者はいるぞ?」
「そのような者」
「お前……、森で迷って、怪我して泣いてた娘を助けたんだろ?」
その雷夫の言葉に少女は目を見開く。
「その娘は言ってたぜ……。龍神様は悪くない、いい人だって。それをみんなに訴えたけど、誰も聞いてくれなくて……。その娘は泣いて謝ってたぞ――、自分は子供だから……龍神様を助けてあげられない、って……」
「そ、それは……、屋敷の近くに人が現れて――、鬱陶しくて……」
「嘘だな」
そう言って雷夫は笑う。
「そもそもお前は優しいんだよ――。そんな境遇を生きて、ここに引き籠もって……、世界を恨んで、自分を苦しめた全てを憎んで――、本当の【悪い龍神】に成ることだって出来たろうに……、お前はそれをしなかった。――いや出来なかった」
「わしは……」
「泣くのは苦しいから……、辛いから――。その娘が泣いているのも放おってはおけなかったんだろ?」
雷夫は少女に近づいて――、そしてその頭に手を置く。
「辛かったな……、だから――」
「……」
「やっぱりここを出よう……」
その言葉に少女は首を横に振る。雷夫は優しくそして強く呼びかける。
「なあ……、多分お前……、一度も人に甘えたことないんだろ? 一度も人に我儘言ったことないんだろ?」
「やだ……、外に出たく――」
「……だったら、俺に甘えろ……、俺に我が儘を言え――」
その言葉に少女は顔を上げて、――目前の男を見た。
――そこには【優しい苦笑い】をした一人の厳つい大男がいた。
「お前がそれをぶつけて来る分だけ――、俺はお前に想いを返すから……」
<【悪い龍神】と仙人様との戦いは三日三晩続きます。しかし、その果てに仙人様は必殺の秘術を撃つのです。――そうして決着はつきました。最後に断末魔の悲鳴をあげて【悪い龍神】はこの世から消え去ったのです>
「う、うううううう……、ああああああああああ……」
少女はそして涙を流す。……優しく大きな腕にすがりついて涙を流す。
それは――今までとは違う……、まるで赤子が生まれる時のような、皆が嬉しくなるようなそんな温かい涙だった。
「え――と、お前の名前を聞いていいか?」
「うう……、無い」
「はあ?! マジかよ糞が!! お前の実家教えろ……、殴りに行く!!」
その言葉に少女は首を横に振る。雷夫はため息をついて言った。
「わかった……、お前が俺の弟子になった――、その記念に――」
――せいぜい良い名を付けてやるさ。
<【悪い龍神】は退治され――、そして温かな太陽が空に生まれます。それはもはや死を呼ぶ灼熱ではなく、そして、その霊山には二度と【悪い龍神】は現れないでしょう。
喜ぶ村人に背を向けて、そして、正義の仙人様は再び旅へと帰ってゆきます。その先にはさらなる悪者との戦いが待っているのです。
――その隣に温かな太陽を引き連れて――>
◆◇◆
「師匠!! 早くせんか!!」
「おい……、急いでも意味ないだろ。泠煌――」
「何を言うか!! 次の街の焼きまんじゅうは昼までに売り切れるのじゃ!!」
プリプリ怒りつつ叫ぶ可愛い弟子を見て――、雷夫は深くため息をつく。
「……ああ、わかったよ。急げばいいんだろ……」
「そうじゃ師匠!! 焼きまんじゅうが待っておるぞ!!」
<――そして仙人様と温かな太陽の旅は今日も続きます。
――めでたし、めでたし――>
<作者解説>
おそらく、今後描写がないであろう謎を解説いたします。
さて今回のお題は「いったい誰が【泠煌の母親の家】に祟りを成したのか?」です。
作中、泠煌と名付けられる予定の【捨てられた半龍の娘】が、全てから否定されて育ったらしいという内容が描かれました。
まあ、普通、人の家に【龍神の霊威を得て生まれた娘】ができたら、喜ばないまでも存在否定はせず、そもそも何かしら利用するなりするでしょう。
でも、娘は普通にすべてを否定され、名すら与えられず中途半端に言語を理解できる程度で存在を否定された。
なぜ? その答えは「【泠煌の母親の家】に、確かに祟りはおこった。そしてそれは生まれた娘が起こしていると解釈された」からです。無論、生まれたばかりの娘は龍神としても目覚めてはおらず、祟ることなど不可能で、なら一体誰が祟りを成したのか?
それを「娘のせい」と歪ませたのは誰なのか? ヒントは以下の村長のセリフ。
「はい……。それが住み始めたのはわしが子供の頃で――、元々は、どこかの龍神が自身の妻に内緒で人間の女に産ませた【半龍神】らしく――、その出自から来る呪から【悪龍】となって祟りをなした……と」
まあ、誰が何をしたのか? ここまで解説すれば理解はできるでしょう。まさに「嫉妬は恐ろしや」ですね。