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エンディングを迎えた私たちに恋愛という二文字は存在するか?

作者: 雪空鈴音


「つまり、犯人は貴方しかいないんだよね」


 華々しい舞踏会の場が騒然となる。

 私が指を突き付けた犯人の男は、唇をわななかせた。すっかり青ざめさせた顔つきをさっと赤くし、激怒を露にする。


「アリアだったか? 一体誰に向かってそんな失礼なことを――」

「私は事実を述べただけだよ。気に食わないのなら私の推理に反論すれば良い」

「このっ……!」


 男は忍ばせていた拳銃を取り出した。

 鈍く光る銃口が、的確に私の心臓を狙う。周囲が悲鳴をあげる。

 銃声が轟いた。


「あぐっ……」


 倒れたのは犯人の男だった。


「確保!!」


 男の拳銃が床に落ちた隙を狙い、騎士たちが取り押さえる。男は暴れるが、屈強な騎士相手では分が悪い。

 呆気なく連行される男を見送り、私は彼を振り返った。


「ありがとう、ロイド君」

「全く。ひやひやさせるなよ、アリア」


 ロイド、私の助手である男は、硝煙を上げる拳銃をくるりと回し、盛大に溜息を吐いたのだった。


「……終わったな」

「終わったね」


 冷静さを取り戻す舞踏会の場を見渡し、私たちは言い合う。

 私がつい先ほど指名した犯人は、長い間未解決であった事件の犯人でもあった。助手であるロイドは、その事件の犯人をずっと追っていたのだ。

 つまり彼にとっては、長年追っていた犯人をついに捕まえた瞬間なのである。

 さてはて。

 推理小説ならばエンディングに突入しているであろう場面にて、私は一つの疑問を抱いていた。


 すなわち――エンディングを迎えた私たちに、恋愛の二文字は存在するのか、と。


◆◆◆


 名探偵アリア。

 この名を知らぬ者は、今この国に存在しないだろう。

 解決した事件は数えきれないほど。しかも、先日は王子暗殺未遂事件の犯人を捕まえたのだ。その犯人は、過去にも何度か殺人事件を起こしている凶悪犯であり、彼が捕まったことは新聞の大見出しとなった。

 勿論、事件を解決に導いた私の名も、だ。


「ないな」


 そんな私は、王都の片隅にあるアパートメントで暮らしていた。

 探偵事務所兼住居兼捜査会議室の三つを取りそろえた部屋は、所狭しに物が置かれている。

 山積みとなった証拠品やら貰い物の中から茶葉を見つけ出すことすら難しい。


「新しく買うしかないか……でもなぁ」


 もう少し探せば見つかるのだろうが、面倒だ。

 これは市場に出て新しく購入した方が圧倒的に楽。そう思っているのだが、


「新しく、買う?」


 背後から聞こえてきた声に、私はぎくりと身を固めた。


「ほう? ほう? 一週間前に大量に買ったばかりなのに、また買うのかアリア名探偵」


 恐る恐る振り返ると、腕を組み仁王立ちする助手、ロイドの姿があった。


「あー、ロイド。一体いつの間に」

「ベルは鳴らした。鍵はかかっていなかった。これ以上の説明はいるか?」

「いいえ」

「ったく。どうせ紅茶を淹れたかったのだろう、探すから待ってろ」


 ロイドは手慣れた様子で、物がぎゅうぎゅうに押し込まれたキャビネットを開け始める。

 私は大人しく窓辺に置かれた一人掛け用のソファに座り、彼の背中を見つめることにした。


 巻き毛の黒髪に、透き通った青い目。端正な顔立ちであるが、少々不愛想なのが玉に傷。しかし公爵家の三男坊という肩書きもあり、女性たちは皆彼の虜となる。

 彼、ロイドは私の助手をしている。詳細を語ると小説三巻分の尺が必要になるので割愛するが、端的に述べると彼の恩師が昔殺されたのだ。

 その犯人が、つい先日逮捕されたあの男。王子暗殺未遂を起こしたあの男は、今後の裁判でこれまでの罪も暴かれることとなるだろう。


「はい」

「ありがとう」


 いつの間にか注がれていた紅茶の香りが鼻をくすぐる。

 私に紅茶を渡したロイドは、自身の分も持って少し離れた場所の椅子に座った。いつもの定位置だ。


「それ、新聞?」


 私は彼が手にしている物を指さす。


「ああ。この前の事件について書かれていたからな」

「ふむふむ」


 私は立ち上がり、彼が広げた新聞を覗き込む。

 ロイドは慣れた様子で少し距離を取り、私が見やすいようにしてくれた。


「裁判の日にちが出たんだ。私たちも証人で呼ばれるかな」

「アリア、つい先日、そのことについて手紙を受け取ったはずなんだが」

「……後で確認しておくよ」


 その他の記事にざっと目を通し、私は元の位置に戻った。


「全く。また適当な所に置いたんだろう」

「うぐ」

「今探すから、目を通しておけ。裁判なんだからきちんとした格好もしなければいけないだろう。その服はあるのか?」

「ロイド、私は君が助手なのか母親なのかよく分からなくなる」

「好きで成人した人間の世話をしている訳じゃないんだけどな」


 呆れた声。

 でも、心底嫌な訳ではないと知っている。

 ロイドは不愛想な人間だが、とても優しい人間なのだと私は知っている。彼と共に在れたからこそ解決出来た事件も多い。これを語ると、小説十巻分の尺が必要なので割愛するが。

 「これか?」「おいこの書類……今はいいか」とブツブツ呟く彼の背中を見つめる。

 紅茶の柔らかな香りが鼻腔をくすぐる。

 温かな紅茶は、ミルクと砂糖までもが私好みに淹れられている。


「うん」


 好き。


「――ん? 今なんか言ったか?」

「いいえ。それよりもまだ書類は見つからないかい?」

「親愛なる探偵殿。探してもらっている側の適切な態度くらい推理してくれませんかね」

「ははは」


 軽口を交わしながら、私はカップを傾けた。

 名探偵と呼ばれる私だが、立派な成人女性である。この甘酸っぱい胸の感触が何か分からないほど、無垢でも無知でもない。


 私は、ロイドが好きである。


 どうして好きかを言うと――彼のくるくるっとした髪や、透き通った青い目。感嘆の声が漏れる銃の腕、私がピンチな時は助けてくれるし、私がどれだけ生活力がなくても見捨てない精神性。

 私は彼を信頼する努力をしている。

 彼も私を信頼する努力をしている。

 それがどれだけ素晴らしいことか、数多くの殺人事件を目にしてきた私は誰よりも分かっている。


 だからこそ、気になるのだ。


「ロイド」

「あった! ったくまた変な所に置いといて……ほらよ。裁判の時間も書いてあるから」

「それはどうでもいいんだ」

「俺はたまに、紳士を辞めたくなる」

「踏み留まってくれてなによりだよ。それより大事な話があるんだ」


 ロイドは書類を机の上に置きながら「なんだよ」と聞く姿勢に入ってくれる。

 そんな些細な動作さえ、私はとても嬉しい。頬が緩んでしまうのだが、今はその場合ではない。


「ロイド、いつまで私の助手をするつもり?」


 ロイドはぽかんと口を開けた。


「君が追っていた事件の犯人は捕まった。君は元々、あの犯人を捕まえるために私の助手になったんだろう?」


 そう。

 公爵家の人間である彼が、平民の私の助手をしているのは、それが理由だ。

 そもそもこの国では、貴族が汗水流して働くことすら良く思われていない。彼らの仕事は机の上で政治の話をすることであり、平民と一緒に働くなんてもってのほかだ。


「……まあ、そうだな」

「目的を達成した今、周囲からも反対されていることを続ける理由はないんじゃないかな」

「前にも言った通り、俺は三男坊だからな。わりと好きにさせてもらえるんだ」

「嘘」


 私は時計を指さした。


「君が来たのは午前十時五分だ。君はいつも午前十時には来ているが、今日は五分遅れている。それにその服、上着が少しよれている。普段は執事がきちんと整えてから送り出してくれているのに、今日はそれが出来なかったという理由だ。つまり君は、出掛ける直前、服を整える余裕がない出来事が起きている」

「それは……」

「君が恩師を殺した犯人を追っていることは、周りも知っていることだ。推理するに、長年追っていた犯人を捕まえたのにも関わらず、私の助手をしに来ることを誰かに言われたんじゃないか?」


 ロイドは黙った。

 しばらく黙秘権を行使した彼だが、観念したように溜息をついた。両手を上げ、降参のポーズを取る。


「言われたよ」

「やっぱり」

「でもな、アリア。俺はまだ事件が終わっていないと思っている。裁判であいつに判決が下るまで、事件は続いている」

「そうだね。でも私の元に来る理由はないんじゃないかな」

「ある。お前は事件が起きるとそっちに夢中になる。俺はお前に裁判できちんと証言してもらい、あいつが正しく裁かれる協力をしてもらわないといけない」


 ロイドは机の上の書類を指で叩いた。


「……君も大変だね。私の世話で」

「自覚があるのなら改めてもらっても良いんですがね」

「これでも頑張ってるんだよ」


 私はため息を吐いた。

 彼の返答に、がっかりしていた。その理由について推理する必要はない。

 私は期待していたのだ。ロイドが、私に会うために来てくれているのではないか、と。


「どのみち、君が私の元へ来る理由はない」


 今は、一緒に仕事をする理由もなくなった。

 貴族である彼は、同じ貴族のお嬢さんと結婚するのが定めだ。名探偵とはいえ平民の私では、身分的に釣り合わない。いずれ彼の両親が、無理やり私たちを引き離すだろう。


「ロイド、私の元へ来るのはいつ止めてくれても構わない。私たちは、恋人同士ではないのだから」


 ロイドは、ひどく渋い顔をしていた。


◆◆◆


 この日、私は王城へ訪れていた。

 通されたのは城の住居部分――王子の私室であった。


「やあ、アリア」


 美しい金色の髪をたなびかせた王子が、私を迎える。


「こんにちは殿下。お加減はいかがですか」

「医者のおかげで、すっかり良くなったよ。もう社交界に復帰出来そうだ」


 この王子は、毒殺未遂事件の被害者である。

 先日逮捕した男は、王子を毒殺し権力を手にしようと画策していたのだ。幸いにも私が毒に気が付き、王子は一命を取り留めることが出来た。


「本来ならばこちらから出向いてお礼を伝えなければいけないのに、呼び寄せてしまってすまないね」

「私は歩くのが好きな探偵なのでお気になさらず。むしろそう思うのでしたら」


 私はちらりと、部屋の隅で待機する騎士に視線を向けた。


「彼らの私への態度、もう少し優しくなるように言ってくれませんか?」


 そう言っている間も、騎士はじろりと鋭い視線を私に向けてきた。

 私が王子に対し気安い態度を取っていることに物申したいのだろう。しかしこちらは平民、これでも精一杯敬った態度を取っていることを汲んでほしいものだ。


「すまないね。後でよく言っておくよ」

「頼みます。それで、私を呼んだ本題は?」


 王子は柔らかく目を細めた。


「よく気付いたね。僕がお礼を言うためだけにきみを呼び寄せたんじゃないって」

「まだベッドの上にいるのならともかく、社交界に復帰出来るほど回復した貴方がお礼を伝えるために謁見の間ではなく私室に呼び寄せた。大抵の人間は、秘密の話があると勘繰りますよ」

「それもそうか。今日は、ロイドは?」

「さあ」

「さあって」


 時刻は十時十五分。家を出たのは九時半だったから、今頃家主のいない部屋の前で悪態をついているか、自分の屋敷で悪態をついているかだ。


「痴話喧嘩?」


 王子は楽しそうに尋ねてきた。


「殿下、私と彼は恋人同士ではないんです。私たちの間に、恋愛の二文字は存在しない」

「ええ」

「無理なことは、貴方がよく分かるでしょう」

「そうだけどねえ。いや、でもそっちの方が良いか」


 王子はうんと一度頷いた。

 その動作の真意を探ろうとすると、彼は立ち上がり私の隣に移動した。

 そして――片膝をつき、恭しく私に手を差し出したのだ。


「アリア嬢。どうか僕と、結婚してください」

「ほう」


 王子は苦笑した。


「僕は今、大抵の女性ならば頬を染めてくれることをしたつもりなんだけど」

「殿下は今、結婚を申し込まれて頬を染める女性をお望みでしたか?」


 片膝を付けば、誰だってプロポーズだと分かる。

 私が大した反応を示さないことを理解したのか、王子は再び着席した。苦笑いは消え失せ、食えない為政者の笑みを浮かべる。


「なるほど、私に結婚を申し込んだのは、この国を改革するためですか」

「流石、話が早いね。きみは今、名探偵と呼ばれるほどの国の人気者だ。君と結婚することを貴族連中は嫌がるだろうが、それ以外の国民は祝福するだろう。陛下も君のことは気に入っているから、許してくれると思うよ」

「殿下は、貴族社会のこの国を変えたいと望んでいると」

「その通り」


 王子が提案したのは、政略結婚ということだ。


「きみは賢いから、王族の振る舞いはすぐに呑み込めるだろう。それに口できみに勝てる人はいないし、きみ自身を暗殺する人を、きみは見抜けるだろう。名探偵だから」

「まあそうですね」


 私は胸を張った。

 他の名探偵は知らないが、私は出来る自信がある。


「それに、きみが王宮に入れば、この国中……いや世界中の謎がきみの元へ集まる」

「いいですね!」


 私は身を乗り出していた。

 世界中の謎。それは良い。王都の片隅で探偵業を営むより、ずっと多くの謎と出会えるだろう。


「そうだろう? ぼくとの結婚、良いだろう?」

「はい、とっても!」

「じゃあ結婚しようか」

「は、おっと」

「あちゃあ、駄目だったか」


 危ない。

 残念そうに笑う王子を前に、理性を取り戻す。いけない、いけない。そんな簡単に判断してはいけない事柄だ。

 むしろ、断る方が良い案件である。

 そう思った私の想いを察知したのか、私が口を開くよりも前に「少し考えて、改めて返事を聞かせてほしい」と言ってきた。


「きみにとって悪い話ではないはずだ。地位も名誉も全て手に入る。謎だって」


 去り際、王子は私にそう言ってきた。

 そうしてまた、私が何か言う前に扉が閉まり。あっという間に私は馬車に乗せられた。

 なんていうこと。流石王子様。

 推理力は私の方が上だろうが、ああいった能力は王子の方が上だろう。優しい王子様が優しいままでいるための努力を感じる。

 彼が王に即位すれば、この国が悪くなることはなくなるだろう。


「……となると私は王妃……?」


 なんて面倒そうな。いや、あの王子のことだ。私が面倒に思わないように画策し、私の探偵振りが上手く活用していくのだろう。


「ううん」


 そもそも、私には好きな人がいる。

 私はロイドが好きだ。好きな人がいるにも関わらず、他の人と結婚するなんてどうなんだろうか。


『ある。お前は事件が起きるとそっちに夢中になる。俺はお前に裁判できちんと証言してもらい、あいつが正しく裁かれる協力をしてもらわないといけない』


 ……しかし先日の発言を鑑みるに、ロイドは私に恋愛感情を抱いている可能性は低いのではないか。

 そもそも彼の態度は、世間一般的な男性が恋する女性に対する態度ではない。

 信頼はし合っている。そこは確実だ。しかしそこに恋愛感情はないだろう。


「それならばいっそ、割り切って結婚出来る殿下の方が良いだろうか」


 王子はきっと、私に好きな人がいることも気にしないだろう。私と彼は、まるで仕事上のパートナーのような関係で一生を終えるだろう。それはそれで楽な気がする。

 やがて数十分かけて馬車がアパートメントに到着する。

 私は御者に礼を述べ、二階へ上がる。と、見知った人間の姿を発見した。


「ロイド?」


 扉に寄りかかるようにして立っていた彼は、私が声を掛けるとぱっと顔を上げた

 安堵の表情。それは一瞬。すぐに怒りの形相で私の前に立ちふさがる。


「アーリーアー」

「なに。きちんと留守にする旨は書いたはずだよ」

「こんなん書かれたら帰れる訳ないだろう!」


 ロイドは私に一枚の紙を突きつける。

 ロイドが来た時用にドアに掛けていったものだ。


『いない』


 これ以上ないほど、端的に留守であることを伝えた文だが。


「不審に思うだろう! なんでいないんだとか、いつ戻って来るのかとか、そもそもどっか行くのなら俺も連れて行けば良いだろう!」

「王子に呼ばれていたからね」


 私は懐中時計を取り出し、時刻をチェックする。

 現在時刻、午後十二時。彼は二時間もここで待っていたのか。


「王子?」


 ロイドは眉を顰めた。

 ひとまず部屋の中に入ろうと、私は部屋に入った。


「うん。話があるってね」

「話って、なんの」

「結婚を申し込まれた」


 派手な転倒音が聞こえた。

 振り返ると、ロイドが玄関にある旅行鞄に躓き転倒していた。慌てて駆け寄ると、ロイドは驚愕の顔だけを上げる。


「なんだって?」

「大丈夫? 結構いい音したけど」

「そうじゃなくて、今なんて言った?」

「結婚を申し込まれた」


 まあ、驚くのは当然だ。

 王族が平民に結婚を申し込むなんて前代未聞だ。驚かない人間の方が稀だろう。

 ロイドは幽霊のように立ち上がると、私の両肩を掴んできた。強い力で思わず顔を顰めてしまうが、彼の蒼白な顔を前に何も言えなくなる。


「……か?」

「え?」

「受けたのか? 結婚」

「考え中になっている」

「考え中って、受ける可能性があるってことか」

「そうだね」


 王子との結婚にはメリットがあるのも事実だ。

 私の性格上、普通の結婚は難しいだろう。親兄弟はいないので、独身のままだと老後は一人が確実。動けなくなった時を考えると、王子と結婚しておくのは一つの手である。

 ……でも。

 私はロイドの顔をじっと見つめる。ああ、格好いいなぁ。


「……好きなのか」


 ふと、ロイドが真剣な顔をしていることに気が付く。

 私は一瞬言葉を失った。というのも、彼に見惚れていたからだ。内心慌てつつ、表は冷静に。私は答えた。


「うん、好きだよ」


 貴方のことが。

 ……。

 …………………………うん? なにか間違えた気がする。


「…………そ、うか」


 しまった。ロイドに見惚れていたせいで、ロイドが好きという感情をそのまま出してしまった。

 文脈を察するに、彼は王子が好きかという意味で尋ねたに違いない。訂正をしないと。


「良かったな。お似合いだと思う」


 言葉が出なかった。


「殿下は良い方だ。お前の問題ある性格も上手く受け止めてくれるだろう。母親みたいな助手の俺よりも」

「ロイ」

「王宮の作法はお前には窮屈かもしれないが、世話してくれる奴はたくさんいる。お前の推理力があれば、まあなんとかやっていけるだろう」

「ロイド」

「おめでとう。心から祝福するよ。助手として」


 ロイドと視線が合わない。

 そもそも何を言ったら良いのか分からない。王子が好きな訳ではないと言いたいのに、何故か頭が真っ白だった。

 どんなに凶悪な犯人と対峙したって、こんなことはなかった。そんな自分の状態を自覚し、より深い混乱に陥る。悪循環だ。


「今日は帰る。殿下の婚約者と二人きりになる訳にはいかないしな」

「ロイド!」


 私は咄嗟に彼の腕を掴んだ。

 彼の青い目に、私が映る。一瞬、その目が驚いたように見開かれたが、彼は私の手を丁寧にどかした。


「誤解ないよう殿下に言ってくれ。俺たちの間に、恋愛の二文字はない」


 扉が閉まった後も、私は動くことは出来なかった。


 ――その後、午前十時の来訪者はいなくなった。


◆◆◆


「アリア嬢」


 衆目も気にせず、王子が駆け寄ってきた。

 私はご機嫌ようと貴族の挨拶――ロイドが以前やっていたーーを真似する。

 裁判を終えたばかりの法廷は、今だ落ち着きを取り戻さない。そんな状況下で麗しい王子の存在は太陽のようだった。


「証言、お疲れ様。裁判はまだ続くけど、この調子なら安心だね」

「そうですね」


 私は頷きながら、ちらりと周囲に視線を向ける。

 ロイドの姿はすぐに見つかった。誰かと話している。

 あれから、ロイドとは一度も話せていない。彼の元を訪ねる勇気はなかったし、会ったら何を話せばいいのか分からなかった。王子が好きだということは否定して、それから?


「アリア嬢。この前の話、考えてくれたかな」


 王子の言葉に、私は口を噤んだ。

 いっそ、結婚してしまおうか。

 碌に紅茶も飲めなくなったせいか、疲れた私の頭はそんな提案をしてくる。

 自棄になってい。冷静な私がそう分析している。


「良かったら、少し話さないか?」


 黙っている私に、王子は手を差し出してきた。


「きみに頷いてもらえるように、提案をしたいんだ。馬車に中で、良ければどうかな」


一瞬、ロイドがこちらを見た気がした。

 けれども本当に一瞬で、彼は気にした様子はない。


「……はい」


 痛む胸を誤魔化すように、私は頷いた。手を取ろうとして、


「……?」

「アリア嬢?」

「申し訳ない、殿下。お話はまた後程」


 私は戸惑う王子に構う余裕はなく、法廷を退出した。

 裁判所を飛び出すと、喧噪が耳に飛び込んでくる。

 王子暗殺未遂なんて大事件は、衆目を集めるには十分だったのだろう。裁判所から出てきた私を興味深そうに見つめる視線もいくつか。

 私は辺りを見渡し、すぐ近くにいた裁判所の衛兵に話しかけた。


 衛兵は戸惑いつつも質問に答えてくれた。私は少し考え、走り出す。

 辿り着いたのは、裁判所の裏手だ。草木が生い茂る場所は、あまり人の手が入っていないように見える。


「こんにちは」


 先客がいた。


「……あんたは」


 大柄の男は、怪訝な顔で私を見つめ返した。

 すぐに思い当たったのか、彼は「探偵か」と忌々しそうに呟いた。私は胸を張って訂正を要求する。


「名、を付けるのを忘れないでほしいな。どうぞ私のことは、名探偵アリアと」

「さっき法廷で証言していたな。ここになんの用だ」

「ここに、ではなく、君に、用があるんだ。記者さん」


 男は警戒を露にした。


「簡単な話だよ。君の指にはタコがある。それはペンを持つ人間に出来やすいものだ。ペンを持つ職業となると色々あるけども、君は全体的に清潔感がある。人と会うことを意識しているね。しかし衣服の布やデザインは動きやすさを重視している」

「……だから俺を記者だと見破ったのか」

「法廷でメモを取ってくれれば、新聞記者だとすぐに分かったんだけどね」


 男はふんと鼻を鳴らした。

 私が小娘だからと侮ってるのがよく分かる態度だ。


「記事にするに値しない裁判だったからな。それだけで名探偵様は俺を疑って追いかけてきたのか」

「いいや」

「じゃあなんだ。用がないなら去ってくれ」

「君が放火しないのなら、去るよ」


 私は彼のポケットを指さした。


「君のポケットの中、酒だね。マッチは上着の内側かな」

「……!」

「君が法廷を出ようとした時、アルコールの匂いがしたんだよ。ポケットの膨らみ具合からすると、先日発売した酒だね。度数がとても高い、火気厳禁だと新聞の広告にあった」

「それを持っているから、放火犯だと?」

「君、今回の裁判の犯人の仲間だね、ジョン・ウォーカーさん」


 記者は固まった。

 彼は私の罠に引っかかってくれたようだ。

その名前は、先日ロイドが購入してきた新聞記事に書かれていた名前だ。彼が担当した記事は、今回の裁判の事件についてだった。

 目の前の彼が別人の可能性もあったが、今告げた名前に反論しない辺り当たりだったようだ。


「今回の事件、その裁判についての記事。違和感があったんだ。新聞というのは事実の羅列のみをするべきであり、個人の感情の記載は基本的にしないようにされている。しかし君の記事は、不自然な箇所があった」

「不自然……?」

「ああ、君の記事はきちんと事実のみが書かれていたよ。だけど所々、文脈が不自然に切れた箇所があった。まるで個人的感情と判断される部分のみを切り取ったかのように」

「……」

「さらにいえば、君が記事の中で選択した言葉は、どこか事件の犯人を庇うようなものだった。察するに、君は犯人を庇うような文面を無意識に書いてしまい、上司からそう判断される部分を切り取るように指示されたんじゃ?」

「だ、だったらなんだ!」

「そんな人間が、火酒とマッチを持って人気のない裁判所の裏手に来た」


 裁判の判決に不服の表明か、はたまた混乱に乗じて脱獄させることを狙ったか。

 動機はどうであれ、放火の可能性は極めて高い。

 私の推理を裏付けるように、記者はため息と共に顔を覆った。


「いつから気付いた」

「普段の私なら、裁判の最中と答えていたけど」


 今回はその余裕がなかった。


「君が法廷を出て行く時、微かにアルコールの匂いがしたから。その時だよ」

「アルコールの匂いがしただけで、か」

「普段の私ならば、法廷で君がメモを取っていなかっただけで分かったんだけどね、不覚だよ」


 別のことに気を取られてしまったせいで、私の頭脳の回転速度は落ちてしまったようだ。

 しかし、問題はない。今この場で犯人を見つけることが出来た。

 しかも、犯行に及ぶ前に、だ。未然に防ぐとは上出来だろう。


「さて、一緒に来てもらおうか。今の君なら厳重注意で済むだろう、し――」


 男はポケットから酒瓶を取り出すと、私に向かって中身をぶちまけた。

 反射的に身を引いたが、一歩遅かったようだ。アルコールの匂いが嗅覚の限界まで広がる。着用している服に染みが広がっていた。


「気に入らなかったんだよな、お前」


 男は虚ろな目を私に向けた。


「あの方が上手くいきゃ、俺は借金まみれになることもなかった。記者として認められ、金も女も手に入る算段だったのによぉ」

「マッチに火を付ければ、君の人生は本当の意味で終わる。牢屋に入る羽目になるし、そもそも火事に巻き込まれ死ぬよ」


 男自身、多少なりともアルコールを被ったはずだ。

 しかし男は一笑し、酒瓶を辺りに放り捨てた。


「構わない。もうどうでもいい。だが、てめえも道連れだ!」

「――」


 男はマッチを取り出す。

 逃げるか。いや、間に合わないし彼も死ぬ。火を消し止めるには私自身がアルコールが掛かりすぎている。

 ふと、どうしてこんなにピンチなのか分かった。

 いつもはロイドがいた。こういう時、ロイドは最悪が起きないように立ち回ってくれたのだ。おかげで私は、凶悪犯と対峙した時だって冷静でいられた。

 だけど、今は。


「終わりだ。アリア名探偵さん」


 マッチが擦れる。赤い炎が見えて、それは――


「アリア!!」


 誰かが飛び出してきた。

 男を突き飛ばす。マッチが地面に落ちるが、火が燃え広がる前に靴底で潰された。


「このっ」


 男が身を起こそうとするが、それよりも先に取り押さえられた。

 男はもがくが、ロイドが男に一発入れたようだ。呻き声が聞こえ、男は脱力した。気絶したようだ。


「アリア嬢、無事か!」

「殿下。どうしてここに」

「ロイドが、きみが犯人を見つけた顔をしていたと言っていたから探していたんだよ。これは、アルコールの匂いか」


 現場を見て、王子はすぐに把握したようだ。お付きの護衛たちに指示を出し、放火未遂の現行犯として気絶している男を捕まえる。


「アリア嬢、怪我はないかい?」

「はい。アルコールを被った程度で無事で」


 す。

 という言葉は腕の中に消えた。

 私は抱きしめられていた。誰に? ロイドに!


「良かった」


 掠れた声が、耳元で聞こえる。

 温かなぬくもりに安心してしまいそうになる。が、今の私はアルコールまみれだ。ロイドは気が付いていないのだろうか?


「ロイド、離れて。今アルコールまみれだから」

「うるせえ」


 不機嫌そうに一蹴された。


「犯人見つけたからって無闇に突撃するなって言ってるだろう。まずは俺に連絡。それから警察に連絡。推理の披露は大勢の前で。いつも言ってるだろうが」

「そ、うだけど今回はまだ犯行に及ぶ前だったから」

「じゃあせめて俺に言うべきだろう」

「君、最近うちに来なかったじゃないか!」


 言って、ハッとした。

 彼に来る理由はないと言ったのは私だ。それなのにこの言い草。まるで面倒な女の供述だ。


「ごめん、その、今のは」

「……分かってる」


 心から私を理解している。そう言わんばかりの声色に、私は安堵した。

 それから、視界の端にいる金色に気が付く。

 王子だ。

 王子と残った護衛騎士が「あらやだ」という様子で私たちを見ている。あまりよろしくない状況だ。


「ロイド、離れてくれ。殿下が見ている」

「…………」


 腕の力が強くなった。

 なんだこれは。初めてのロイドの態度に、私はどうしたら良いのか分からなくなった。これまでも危機を乗り越え、ハグを交わしたことがない訳ではなかったけど、今回のはどうも違う。


「……殿下は」


 ロイドはここで、初めて私以外の人間に話しかけた。私を抱きしめたまま。


「こいつのこと、好きなんですか?」

「人間としては好ましく思っているよ。彼女を迎え入れれば、この国の強い階級意識も少しは良くなると思っている」

「殿下の目的は階級意識の改善ですか」

「意識改革はすぐに効果は出ない。だけど、一歩目を踏み出す人間は必要だ」

「じゃ、いいですね」

「うん?」

「身分差結婚がされればいいんですよね。じゃ、俺でもいいですよね」

「ロイド!?」


 思わぬ提案に、私は叫んだ。

 ロイドはようやく私から離れたと思うと、王子を強く睨む。そして今度は、私の手をしっかり掴んだ。


「申し訳ないですが、引く気はないので。例えアリアが殿下のことを好きだろうと――」

「え? アリア嬢が僕のことを?」

「あ、それは間違いです。殿下のことお慕いはしていません」

「は?」


 ロイドが目を丸くして私を見る。

 そうだ、訂正しておかないと。殿下にまで誤解されるのはごめんだ。


「私、あの時好きって言ったのは殿下のことじゃないよ」

「はあ!? じゃあ、誰だったんだよ!」

「そりゃあ、あの時は君のことを考えていたからね。当然」


 そこで私は口を止めた。

 ……ここ最近、どうして私の口は上手く回らないのだろうか。犯人と対峙していた時はあんなにも滑らかに回るというのに。アルコールのせいで滑らかになり過ぎたのだろうか。


「当然?」


 ロイドが続きを促してくる。じっとこちらを見つめる視線は、彼が酔っぱらった時を想起させる。


「ええと」

「当然、なんだよ」

「黙秘権を行使しよう。ここは裁判所だ、私には黙秘する権利があると主張する」


 私は視線を逸らした。その先に、微笑ましそうな王子の姿がある。

 居た堪れない。

 視線を地面に落とすと、突然強く引っ張られた。ロイドは私が止めるのを聞かず、歩き出す。


「殿下、結婚の話はなかったことで」

「そのようだね」


 やれやれ、と肩をすくめる王子の姿が見えた。

 あっという間に私は馬車の中へ放り込まれ、住居であるアパートメントに辿り着く。

 ロイドはずっと無言。ただ私を掴む手は強くて、かつ私に痛みを与えないように配慮されている。


「まずは着替え」


 部屋に入った私は、シャワー室へ押し込まれた。

 そういえばアルコールを掛けられたんだった。濡れた服を脱ぎ、シャワーを浴びる。ロイドは私の普段着を脱衣所に置いてくれた。

 彼が助手として働き始めた当初は、私の衣服に触れるのを強く抵抗していたというのに。


「今はむしろ私の方が……だ」


 少々気恥しい気持ちを抱えつつ、私はロイドの元へ戻った。


「ほら、これ」


 ロイドは紅茶を淹れてくれていたようだ。数日飲んでいなかっただけだというのに、とても懐かしく感じる。

 差し出された紅茶に頬を綻ばせていると、ロイドは何故か私からカップを取り上げた。

 取り上げられたカップはシンクの上に置かれる。一体どういうつもりだろうか、と怪訝な眼差しを送ろうとして、熱を帯びた彼の目に言葉を失った。


「誰?」

「え?」

「誰が好きなの。お前」


 ロイドの瞳の奥に、喜びのような色を感じた。


「黙秘権」

「裁判は終わった。ここは家だ」


 ロイドは分かっている。分かっていて聞いているのだ、彼は。私はいじけた子どものような気持ちで、彼の視線から逃げた。


「君ね、さっきから私に聞くばかりじゃないか。助手といえども、少しは考える力も必要だよ」

「……」


 意地悪ぽく伝えた言葉に、彼は少し考える素振りを見せた。それから。


「そうだな」


 私の手を取って、甲にそっと口付けた。伏せた睫毛の長さと唇の小さな温度に、私の心臓は止まった気がした。


「好きだ。アリア」

「――」


 気のせいではなく、本当に止まった。

 頬が熱い。思考が上手くまとまらなくて、困る。


「お前の助手になったのは、恩師を殺害した奴を見つける手伝いをしてもらいたかったからっていう打算的な理由だった」

「う、ん」

「正直、お前は推理力はあるけどだらしないし部屋は汚いし買う必要ないのに買おうとするし面倒臭いと大切なことも省こうとするけど」

「……反省はしている」

「犯罪を許さない姿勢は格好いいと尊敬しているし、貴族だろうが孤児だろうが王族だろうが目の前の人間を尊重している所は、たまに嫉妬しているけどアリアの魅力だと思っている」

「ええと、ありがとう?」

「あと紅茶飲むときに美味しそうにする姿は可愛いし、俺が助けた時に安心してふにゃって笑うのも可愛い。俺を突き離そうとしている時に寂しそうにしているのも可愛いし」

「ろ、ロイド。待って。君は何が言いたいんだ」

「俺がアリアを好きになった根拠を述べている」


 私は息を止めた。ロイドはそんな私を見て、愛おしそうに笑う。だから余計、息が上手く出来なくなった。


「アリア」


 自分の名前は、こんなに砂糖菓子を煮詰めたような響きだっただろうか。


「俺は目的を達成した。俺たちは、例えるのならば、エンディングを迎えた」

「そう、だね」

「そんな俺から、アリア名探偵に最後に尋ねたい」


 胸が震える。

 紅茶の香りが鼻腔をくすぐる。心臓の音がうるさいのに、彼の声以外聞こえなくなる。

 私は、これまでの彼との思い出を振り返っていた。たくさんの難事件を解決した。後味の悪い事件もあれば、良い事件もあった。

 私は彼とたくさん歩いてきた。詳細を語ろうとすれば、小説本難十冊もの尺が必要になるほど、たくさん。


「エンディングを迎えた俺たちに、恋愛の二文字は存在するか?」


ここまでお読みいただきありがとうございます。

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