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委員会予定外

春の空気は、まだ少し冷たい。

だが、校舎の中は窓を開け放たれ、どこかざわざわとした熱気に包まれていた。


今日は年に一度の身体測定。

授業はすべてカットされ、各自が自分のペースで保健室や理科室、視力検査室へと移動していた。

教室に残る者は少なく、階段も廊下も、普段とは違う空気が漂っている。


白は静かに並んでいた。

男子生徒の列に混じり、肩を竦めるでもなく、気負うでもなく。

視線は前方の壁に貼られた身長測定の手順に向いているが、意識はそこにはない。


(この時期、この空気。懐かしさすらある)


だがそれは単なる“再体験”ではなかった。

あの時の自分は、ただ流されるままに並び、言われるままに測定を受け、何の感情も持たずに席へ戻っていった。


今の自分は違う。

視界に入るものすべてを“情報”として処理し、記憶に刻み込んでいる。

誰が身長を気にしているか、誰が女子の視線を意識しているか、どのグループがどの順番で動いているか。


「お前さ、結構背高いよな」


唐突に肩を軽く叩かれ、白はそちらに視線を向ける。


春木はるき れん

バスケ部、髪は軽く茶色がかっており、笑うと口角が鋭く上がる。

クラスでは“陽キャ”の部類だが、あくまで中堅止まり。だが悪い奴ではない。


「うちの男子で一番じゃね? 何センチ?」


「179.4。去年の測定結果だけど」


「ほーん、でけぇな。俺172しかねーし、マジうらやま」


軽口まじりのその言葉に、白は作り笑いを返した。

以前の白なら、こうしたやり取りにさえ気後れしていただろう。

だが今は違う。白は“こうした立ち位置”に自分を置くことを選んでいる。


彼の後ろには、佐々ささき 祐真ゆうま長谷部はせべ 一誠いっせいの姿。

どちらも運動部所属で、明るくて調子が良く、誰とでもそれなりに仲良くできるタイプ。


(この3人の輪に入っておくのは悪くない。上級下位の陽キャ枠、居心地は悪くないし、情報も手に入りやすい)


自分の“社会的立ち位置”を俯瞰的に捉えながら、白は列の順番が進むのを待った。



身長測定を終え、白たちは制服を整えながら教室へ戻る。

途中の廊下で、祐真がふと思い出したように口を開いた。


「なあ、お前ら女子だったら誰がいい?」


春木が「いきなり何の話だよ」と笑いながら乗っかる。


「いやいや、身体測定とかで思ったけどさ。なんか、やっぱスタイルとか目に入んじゃん?」


「なるほどなー。じゃあ誰だ? 一番いいの」


「俺は杏菜っしょ」


すかさず名前を挙げたのは春木だった。

鳳城杏菜ほうじょう あんな。玲奈の同じグループで、クラスの中でもモデル級のスタイルとルックスを誇る女子だ。


「あいつは反則だろ。あの顔にあの体とか……漫画かよ」


「あと胡桃。あいつも可愛い。しかも性格いいし、人懐っこいし。話しやすいしなー」


「胡桃は分かる。なんか、付き合ってて疲れなさそう」


男子たちは緩やかに盛り上がり、話題は“誰と付き合いたいか”という方向へとシフトしていく。


「白は?」


唐突に名前を呼ばれ、白はほんの一瞬だけ間を置いてから、静かに言った。


「夜桜 玲奈」


数秒の沈黙。

そして祐真が苦笑しながら反応した。


「えっ、あの……地味な?」


「悪くはないけど、あんまり喋ってるとこ見たことないよな」


「でもまあ……大人しいってだけで、性格は良さそうじゃね?」


彼らの言葉に悪意はない。

ただ、玲奈は“目立たない女子”として見られている。

その評価は、間違っていない。今の玲奈は、確かにそうだ。


だが白は知っている。

──その静けさの下に潜む、あの異様なほどの“美しさ”と、深く澄んだ思考と、揺れやすく壊れやすい心を。


─────


午後の授業が終わり、担任の一声で生徒たちは一斉に伸びをしたり、椅子の上で姿勢を崩したりと、緊張の糸を緩める。だが、次に告げられた言葉が、その空気をもう一度引き締めた。


「それじゃあ、今日のホームルームでは、今年度の委員会を決めていきます」


教室の前方、ホワイトボードにはすでにいくつかの委員会名がマーカーで書かれている。風紀、美化、体育、図書、保健──ごく普通の、高校の“日常”の一部。生徒たちの間に、微妙なざわめきが広がる。


(この瞬間だ)


白は、周囲のざわつきの中にあって、まるで独りだけ静止しているかのような集中力をもって、ホワイトボードを見つめていた。


(前回……玲奈と聖人が関係を深めたのは、美化委員会での活動がきっかけだった)


記憶の中にある“過去”が、今の白にとっては確かな指針だった。誰がどのタイミングで手を挙げたか、その結果どのようなペアが組まれ、関係が生まれ、どう進展していったか──その細部まで、白は覚えている。


(だから、俺がここで先に入ればいい)


「じゃあ、まずは図書委員から。希望者は挙手してね」


担任がそう告げると同時、白はすっと手を上げた。

一拍、早かった。周囲がまだ様子を伺っている中、ためらいなく上げられたその手に、ちらちらと視線が集まる。


担任が「黒上君ね」と確認する。ホワイトボードに“美化:黒上”と書かれたのを見て、白はゆっくり手を下ろす。その目線は無意識のふりをしながら、前列の女子生徒──玲奈を一瞬だけ捉えていた。


だが──その次に名前を呼ばれたのは、予想していた“玲奈”ではなかった。


「他に図書委員、やりたい人ー? ……あ、鳳城さん?」


声に応えて手を上げたのは、玲奈の隣の席の女子──鳳城杏菜だった。


(……あれ?)


一瞬、思考が揺れる。杏菜が美化委員に立候補?

確かに彼女は玲奈の親友で、社交的で、場を読む力にも長けている。だが、白の記憶の中では、杏菜が美化委員になる展開は存在していなかった。


そして、その数分後――

「図書委員……じゃあ、橘君と、夜野さんね」


静かに告げられたその言葉が、白の中で確かに“未来とのズレ”を決定づけた。


(……聖人と、玲奈がペアじゃない……?)


思わず拳を軽く握る。

しかし表情には、何ひとつ変化を浮かべない。

ここで動揺を見せるわけにはいかない。


(……でも、悪くない)


杏菜がパートナーなら、玲奈との接点は自然と増える。

むしろ、玲奈との関係を急激に進展させる“橘”との接点が減ったことで、自分に割り込める余白が増えた可能性すらある。


教師がホワイトボードに全ての委員会メンバーを書き終える頃には、白はもう、次の一手を考えていた。



ホームルームが終わり、ざわつきながら机を動かす生徒たちの声が教室内に広がる。

白の机の周囲にも、何人かの男子が自然と集まってきていた。


「おいおい、黒上ってけっこう行動早いタイプだったっけ?」

「美化委員って地味だけど、女子と組みやすいから選んだんじゃね?」

「うわ、もしかして杏菜狙い?」


からかうような声が飛び交う。

白はそれに対して、ただ曖昧に笑ってみせる。


「いや、たまたま。他が埋まってそうだったし」


軽く受け流す。だが、内心は冷静だった。

この“冗談を冗談で返す感覚”は、以前の自分にはなかった。


(俺の立ち位置は、今このグループの中で“上級下位”──目立ちすぎず、埋もれもしない)


程よくノリに付き合い、深く関わりすぎず、誰かの敵にもならない。

高校生活を再構築するうえで、最も都合の良いポジションだった。


「それにしてもさ、さっきの委員会の話、女子の方で一番美人って誰だと思う?」


ふいに、隣の男子がそんな話題を投げる。白はまたこの話題か、と内心ゴチる。


「やっぱ杏菜じゃね? スタイルも顔も良いし」

「いやいや、俺は胡桃派だな。明るくて話しやすいし」

「玲奈ちゃんは? あの子、いつも静かだけど……」


その名が出た瞬間、数秒だけ沈黙が落ちる。


「玲奈? んー……可愛いけど、ちょっと地味じゃね?」

「喋ったことないし、よくわかんねーな」

「まぁ、杏菜の友達ってだけで得してる気はするけど」


白は、机に肘をつきながら、その言葉の一つ一つを噛みしめるように聞いていた。

視線は何気ない素振りで黒板のほうを向きながらも、その内心は冷たく、深く、動いていた。


(玲奈の“価値”を知らないのは、お前らの目が節穴なだけだ)


言葉にはしない。だが、静かに、強く思う。



放課後。

それぞれの委員会の集まりがあり、図書委員会は自己紹介や委員長副委員長などを決め、その日は解散となった。

下校の準備をしている最中、白が廊下に出ると、ちょうど前方から杏菜が歩いてくるところだった。

彼女は制服のスカートの裾を揺らしながら、スニーカーの音を軽く響かせて近づいてくる。


「やっ、黒上くん」


彼女はにこやかに手を振った。

玲奈ほど整った無表情ではなく、明るく愛嬌のある笑顔だった。


「美化委員、よろしくね」


「うん、こっちこそ」


白は、なるべく自然に、口角を上げて返す。

杏菜の方が一枚上手なのか、彼女の笑顔には壁を作らせない“力”があった。


「なんか意外だったな。黒上くんって、あんまり前に出るタイプに見えなかったし」

「たまたまだよ。他が埋まりそうだったから、先に出ただけ」

「ふーん……」


杏菜はその返答に納得したような、していないような表情で微笑んだ。


「ま、玲奈と橘が図書委員になったのも意外だったけどね。玲奈って本とか読まなさそうじゃん?」


(やはり、意識していたか)


白はその一言で、彼女がクラスの人間関係に敏感であることを再確認する。

玲奈と杏菜が仲が良いという事実は、白にとって“使える要素”だった。


「これから、ちょいちょい一緒に活動することになりそうだし、よろしくね」

「……うん、よろしく」


一歩、踏み出す。

玲奈に近づくための、小さな足場が、今確かに築かれた。


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