勧誘と暴力
玲奈を手に入れるには、ただ「好き」と言うだけでは足りない。
大学時代、何度も経験したことだ。
どれだけ想いを募らせようが、どれだけ優しく接しようが、彼女が自分に振り向くとは限らない。
むしろ、大学時代の自分は彼女の世界に入ることすらできず、ただ外から眺めることしかできなかった。
玲奈が他の男と笑い合う姿を何度見たか。
そのたびに、胸の奥に黒い何かが広がっていった。
——もう、同じ過ちは繰り返さない。
白は強く思う。
ただ彼女に優しくしたり、彼女の好きなものを把握したりするだけでは不十分だ。
玲奈の「世界」に入り込み、その中心に自分がいるようにしなければならない。
そして、そのためには「人」が必要だった。
玲奈は一人ではない。
周りには友人がいて、クラスメイトがいて、さらには親しい男子までいる。
その中で白が埋もれないためには、玲奈の近くにいる人間たちを自分の手の中に収める必要があった。
大学時代の白は、周りに何の影響力も持たなかった。
だからこそ、玲奈を手に入れることができなかったのだ。
——今回は違う。
白は自分の中に「時間逆行」という絶対的なアドバンテージを持っている。
未来を知っているという圧倒的な強み。
これを利用すれば、あらゆる人間関係を操ることができる。
だが、ただ玲奈の周囲に気に入られるだけでは駄目だ。
それでは、また別の男に彼女を奪われる。
必要なのは、玲奈の周りの人間を「味方」ではなく「駒」にすること」。
玲奈のそばにいる人間が、無意識のうちに自分の意図した行動を取るように仕向ける。
そうすれば、玲奈が誰かと親しくなりそうになった時、その関係を自然に崩すこともできる。
クラスメイトを味方につけるのは当然として、もっと”便利な存在”が欲しい。
「手を汚せる人間」が必要だ
玲奈に近づく邪魔な存在を排除する必要がある。
だが、自分で手を下すのは賢明ではない。
白は手を汚す役割の人間を確保することを考えた。
何か問題を起こしても、白自身はクリーンな立場を保つ。
すべては、別の誰かが勝手に動いているように見せかける。
そのためには、利用できる”使い捨ての駒”が必要だった。
白は、学校内で問題を起こしているようなグループの存在を思い出した。
——そういえば、校舎裏の廃材倉庫でタバコを吸っていた連中がいたな。
火事を起こして退学になった生徒がいたという話を聞いたことがある。
つまり、火事が起きるまで、彼らの存在は誰にも知られていなかったということだ。
逆に言えば、「火事さえ起きなければ、誰にも気づかれずに動ける連中」だということでもある。
白は、ふっと小さく笑った。
——まずは、彼らを手に入れよう。
そのためには、手っ取り早く「力関係」を明確にする必要がある。
相手に選択肢を与えるのではなく、こちらが主導権を握り、逆らえない状況を作る。
暴力がすべてではないが、暴力の”匂い”は時として効果的だ。
白はポケットの中にあるボールペンを指で転がした。
5人程度のグループなら問題ない。
自分にとって「価値のある人間」と「捨ててもいい人間」の違いを、そろそろはっきりさせる時だ。
西日が射し込む校舎裏。
誰もいないはずの廃材倉庫の方から、くぐもった笑い声が聞こえた。
「やっぱりな」
白は目を細めながら、ゆっくりと倉庫へと向かう。
この場所でタバコを吸っていた生徒たちは、火事を起こすまで見つからなかった。
つまり、火事にならない限り、ここで何をしていようが教師には気づかれない。
ならば、この場所は「誰にも邪魔されない空間」ということになる。
白はスマホを取り出し、録画を開始すると、何の迷いもなく倉庫の扉を押し開けた。
「あーあー、先輩たちこんなことしてもいいんですか?」
白が倉庫の扉を閉めると、カチリと鍵をかける音が静かに響いた。
それと同時に、5人の男子生徒が白の方へと視線を向ける。
「……なんだ、お前?」
リーダー格の男が、不機嫌そうに煙を吐きながら目を細めた。
濁った灰色の煙が、ゆらりと倉庫内に広がる。
「こんなとこに1年が迷い込んでくるなんて、物好きだな?」
白は扉に背を預け、ゆったりとした口調で言った。
「いやいや、驚いちゃいましたよ。まさかこんな場所で先輩たちがタバコを嗜んでるとは思わなくて」
「……で?」
リーダー格の男が、煙草を指で弾きながら、じろりと白を睨む。
他の4人も、薄ら笑いを浮かべながら白を見ていた。
まるで、突然現れた”カモ”をどう料理するか考えているかのように。
白はそんな彼らの様子を楽しむように眺めながら、スマホを片手に持ち上げた。
「バッチリ撮っちゃいましたからねー」
その瞬間、リーダー格の男の目がわずかに細まった。
他の男子生徒たちも、一瞬、表情をこわばらせる。
「……撮った?」
白はにっこりと微笑みながら、スマホの画面を向けた。
そこには、タバコを咥えてくつろぐ彼らの姿が鮮明に映っている。
「まぁ、証拠としては十分ですよね?」
リーダー格の男が、鼻で笑った。
「だから何だ? そんなもん消させりゃ済む話だろ?」
その言葉と同時に、男がゆっくりと立ち上がる。
他の4人もそれに倣い、白を取り囲むように立ち上がった。
白はポケットにスマホをしまいながら、微笑を崩さない。
「うーん、それってつまり、俺をどうにかしようってことですよね?」
「分かってんじゃねぇか」
リーダー格の男がニヤリと笑う。
次の瞬間、男の手が白の襟首を掴もうと伸びてきた。
⸻
白はその動きを見逃さなかった。
すっとポケットに手を滑らせ、指先に感じた細長い感触を握る。
そして、リーダー格の腕が伸びきる直前——
白はその腕の動きを掻い潜るように身を捻り、ボールペンの先をリーダー格の肋骨の間に突き立てた。
「ッ……!」
鈍い衝撃が手に伝わる。
ボールペンの芯は、皮膚を貫くには至らなかったが、確実に内部の神経を刺激した。
リーダー格の男は、息を詰まらせ、ぐっと身を丸める。
突如として襲ってきた激痛に、しばらく動けないようだった。
白は冷静にペンを引き抜くと、足を半歩引いて距離を取る。
だが、他の4人はすぐに状況を理解し、怒りに燃える目で白を睨んだ。
「てめぇ……!」
「やっちまえ!!」
一斉に襲いかかってくる4人。
だが、白の表情には微塵の焦りもない。
——遅い。
白は素早く体を捻り、一番近くにいた男の腕を掴むと、力を逃がすように体を後方へ流す。
その勢いのまま、ボールペンの先を相手の脇腹に突き立てた。
「ッ、ぐぁ……!」
2人目が膝をつく。
それを見た残りの3人が、さらに勢いを増して襲いかかってくる。
白は冷静に後退しながら、次々とボールペンを突き立て、痛みで戦意を削いでいく。
腕、脇腹、太腿——どの攻撃も致命傷にはならない。
だが、確実に相手の動きを鈍らせ、戦えなくさせるには十分だった。
やがて、全員が倉庫の床に転がり、息を荒くしながら苦痛に顔を歪めていた。
⸻
「話をしましょうか?」
白はゆっくりと歩み寄ると、足元に落ちていたまだ火のついたタバコを踏み潰した。
パチッと小さな火花が散る。
そして、蹲るリーダー格の男の前で膝を折り、目線を合わせる。
「ねぇ、先輩たち」
柔らかい声で話しかける白の表情には、笑みが浮かんでいた。
「俺の話、聞いてくれますよね?」
男たちは息を荒げながら、白を見上げる。
その目には、怯えと警戒の色が滲んでいた。
白はゆっくりと口を開く。
「先輩たち、学校でいろいろ問題を起こしてるんですよね?」
「……っ、それがどうした」
「俺、そういう人たちと仲良くなりたいんです」
にっこりと、白は優しげに微笑んだ。
「だって、先輩たちは”必要”ですから」
柔らかな声とは裏腹に、白の瞳には冷たい光が宿っていた。
この瞬間から、彼らは「白の駒」として動くことになるのだから。