8.信じるよ?
馬車に乗り込むと、アリシアは静かに深呼吸をした。寒さが身体に染み込む。
座席には柔らかな膝掛けが丁寧に畳まれて置かれていた。足元には、ほんのりと温かい魔石が埋め込まれた小箱があり、伝わるぬくもりに、アリシアは自然と手を伸ばす。
ふっと笑みがこぼれた。きっとリーシェが用意してくれたのだろう。王宮の中で気を遣ってくれるのは、彼女くらいのものだ。あの王がそんなことを指示するとは思えない。その温かさが、冷えた指先までじんわりと染み渡った。
心の奥に、ふいに静かな灯がともる。
これまでは、ないものばかりを見ていた。
けれど――これからは、あるものに、目を向けていきたい。
前と同じでは、何も変わらない。
時を巻き戻されても、自分が変わらなければ、また同じ未来を繰り返すだけだ。
アリシアは、改めて自分を省みる。
かつての彼女は、自分のことで精一杯だった。冷遇され、孤独に苛まれ、差し伸べられた善意に気づく余裕すらなかったのだ。
「愚かだったわね……」
小さくつぶやいた言葉は、白い息とともに消えた。
けど、これからどうすればいいのか不安は募る。態度を改めたところで、結局離宮で朽ちていくだけなのではないか。考えれば考えるほど、未来が霞んでいく。
馬車の窓の外の冷たい景色は無機質に流れていくばかりで、アリシアの表情は曇っていく。
──その時
「おいおい、もしかしてビビってんのか?」
不意に、からかいを含んだ軽い声が響いた。驚いて顔を上げると、向かいの席にルトが無造作に寝転がっていた。
思わずため息が漏れた。
「そんなことないわ。」
アリシアは冷静を装い、表情を引き締める。けれど、ルトが現れると、どこか心が落ち着く自分に気づき、ほんの少しだけ自分の弱さが恥ずかしかった。
「なんだよ、せっかく心細いかと思って、姿表してやったのに。」
ルトはポリポリとお腹をかきながら、馬車の揺れに身を任せている。そのふてぶてしい態度に、アリシアの口元がわずかに緩む。
「ありがとう、ルト。」
小さな声でつぶやくと、心の中に温かなものが広がっていく気がした。
しばらくの静寂の後、アリシアはぽつりと口を開く。
「ねぇ、ルト……リーシェとの再会で、本当に時が巻き戻ったんだって実感したわ。でも、それからどうすればいいのか、全然わからないの。」
言葉にすると、心の中に溜まっていた不安が雪解けのように溢れ出してきた。
「正直言うと……不安なの。」
「未来を変えるって決めたけど、態度を改めても、結局離宮で朽ちていくだけなんじゃないかって、どうしても思ってしまう。」
ルトはしばらく目を閉じたまま黙っていたが、やがて片目を薄く開け、アリシアをちらりと見てから、いつもの調子で言った。
「はぁ、しょうがねーな。オレ様に任せとけ、大丈夫だ……たぶん。」
「た、たぶん?」
ルトの曖昧な言葉に、
アリシアの不安はさらに膨らむ。
「ルトは、どうにかできる力を持ってるってこと?」
「そんなわけねえだろ。」
あっさりと言い捨てるルトに、アリシアの眉が下がる。不安な気持ちを隠せないまま、唇を噛んだ。
「オレはきっかけを与えるだけだ。どうにかするかはお前次第だよ。」
そう言うと、ルトは再びお腹をかきながら、気の抜けた声で付け加えた。
「まあ、夜まで待っとけ。」
「夜まで……?」
「だから、そんな顔すんなよ。オレを信じろ、オレを。大丈夫だ……たぶん。」
アリシアは小さく笑った。ルトの頼りなさげな言葉が、なぜか彼女の心を安らげた。
曖昧な言葉に、まだ疑念は拭えない。それでも、今まで何度も彼に救われたことを思い出し、信じるしかないと自分に言い聞かせる。
(大丈夫、大丈夫よね?……たぶん。)
温かな膝掛けをぎゅっと握りしめながら、アリシアは静かに未来への一歩を踏み出す覚悟を固めた。