11.メアリー2
名前を呼ばれている気がした。
ぼんやりとした意識が浮上し、
アリシアはゆっくりと目を開ける。
「王妃様……?」
少し心配そうに見つめるメアリーの顔が、視界に入る。
「王妃様、申し訳ありません。寝ているところを起こしてしまって……」
メアリーの声は、柔らかく、そしてどこか遠慮がちだった。
ああ、こうやって私のことを気にかけてくれる彼女なのに、私はひどいことをしてしまったのね……と、改めて実感し、胸が苦しくなった。
メアリーは申し訳なさそうに頭を下げ、そっと尋ねてきた。
「夕食の時間ですが、どうなさいますか?」
アリシアはゆるりと身を起こし、
重たいまぶたをどうにか開け、
少し乱れた髪を手ぐしで整えてから、彼女に答えた。
「ごめんなさいね、寝てしまったみたい。いただくわ」
その言葉に、メアリーはほっとしたように小さく息をついた。
「いえ、きっとお疲れがたまっていたのでしょう」
「そうかもしれないわね」
アリシアは笑顔を浮かべ、準備をお願いと軽く頷いた。
メアリーは「かしこまりました」と礼儀正しく一礼し、少しぎこちない動きで食事の準備を始める。
テーブルに並べられた料理は、豪華とは程遠く、質素なものだった。
以前は、この料理を見て、
歓迎されていないと思い傷ついた。
王妃になったというのに、
こんな簡素な食事なんて——と。
けれど、本当にそうだろうか。
この国は魔素の影響で、ほとんど作物が食用に向かない。
もしかすると、これが「普通」なのかもしれないとアリシアは思った。
……いや、そう思いたいだけかもしれないけど。
「いただきます」
アリシアは食事に手を伸ばし、ゆっくりと口に運ぶ。
メアリーは少し離れた場所から、
まばたきもせず彼女を見守っていた。
……そんなに見られると、逆に緊張するのだけれど…
アリシアは心の中で苦笑しながらも、
表情には出さずに食事を終える。
そして、食後の紅茶が出された。
「ありがとう、メアリー」
カップを手に取り、一口飲んだ瞬間——
「……っ!」
口の中に広がる予想外の渋みに思わずむせてしまう。
この味……そういえば……
以前、紅茶を淹れてくれるのは別のメイドだった。しかし、私につくのを嫌がったのか姿を見せなくなり、その代わりに紅茶を淹れてくれるようになったのがメアリーだった。
彼女の紅茶は—— とんでもなく渋かった。
「大丈夫ですか、王妃様!」
メアリーが慌てて声をかけてくる。
私はなんとか笑顔を作り、
ごめんなさい、むせてしまって、と答えた。
「い、いえ……申し訳ございません、私……紅茶を淹れるのが苦手で……。」
しゅん、と肩を落とすメアリー。
まるで叱られるのを待つ子犬のようだ。
「いいえ、大丈夫よ」
アリシアは微笑んで、カップをそっと置いた。
「確かにこの紅茶は……そうね、とてもエッジが効いているというか……まあ、伸びしろを感じるわ。これからも精進してちょうだい。」
メアリーは驚いたように目を見開き、
そして、涙を堪えるように小さく頷いた。
「ありがとうございます! これから、もっと頑張ります!」
彼女はぎゅっと握り拳を作り、
まっすぐな眼差しでアリシアを見つめる。
その飾らない姿に、アリシアは自然と笑顔になった。
「ええ、期待しているわ」
アリシアの言葉に、メアリーは「はい!」と元気よく答えるのであった。
——しかし、メアリーのポンコツぶりは紅茶だけではなかったのだ。
その後、入浴の準備も手伝ってくれたのだが……。
湯加減を確認してくれるのはいいけれど、洗面器をひっくり返して床を水浸しにするし、さらには風呂上がりに髪を梳かしてくれようとしたのはいいけれど……
「メアリー、痛いわ。」
「あっ、ご、ごめんなさい!髪が絡まってしまって……!」
——そして、就寝前の紅茶の時間。
メアリーは何やら カチャカチャ と音を立てながら、異様なまでに緊張して紅茶を淹れている。
アリシアは思わず声をかけた。
「メアリー、大丈夫よ。もっと肩の力抜いて落ち着いてちょうだい」
「は、はい!」
メアリーは元気に返事をするが、改善される気配はない。
そんな様子を、アリシアは苦笑しながら見守った。
そして、今メアリーは 不安そうに眉を下げながら、私の顔をじっと見つめている。
まるで「お願いだから、今回は大丈夫であってほしい」と祈っているかのように。
私はカップを手に取り、紅茶を口に運ぶ。
……うん。 相も変わらず、渋い。
けれど、私は微笑んだ。
「そうね……さっきよりは、成長を感じるわ。」
「ほ、本当ですか!?」
「ええ、きっと少しずつ上達しているわ。」
そう言うと、彼女は 明らかに『本当に?』と疑っている顔 をしながらも、「もっと頑張ります!」と意気込んでいた。
「ええ、そうね。頑張ってちょうだい。今日はどうもありがとう。もう下がっていいわよ。明日からもよろしくね」
そう言うと
「はい!ありがとうございました!よろしくお願い致します。おやすみなさいませ!」
メアリーは深々と頭を下げ、
意気揚々と退出していった。
その後——
「……なあ。」
聞き慣れた声が響く。
振り向くと、暖炉の前でくつろいでいたルトが、半眼でこちらを見ていた。
「なにかしら?」
「……あのメイド、メイドに向いてねえな。」
私は思わず くすっと 笑ってしまう。
「ええ、そうね。まったく同意見よ。」
そう言って、苦笑しながら紅茶を口に含んだ。
「……しぶい」