プロローグ
少女は駆け出す。
透き通るような銀髪が
陽の光を受けてきらめいていた。
「アリシアお嬢様!」
後ろから侍女の声がするが、少女は振り返らない。
「お庭に行ってくる!」
そう言い残し、勢いよく扉を開け放った。
心地よい風が頬を撫で、草花の香りがふわりと広がり、まぶしいほどの青空の下、
少女は庭の奥へと向かい、お気に入りの場所にたどり着いた時――
仰向けになって、お腹をさらけ出している
岩のように大きく、丸い生き物がいた。
柔らかそうな毛に覆われたお腹が、
ぽこっと膨らんだりしぼんだりしており、
半開きな口や、時折ピクッと足が動いている姿は完全に気を抜いた状態だ。
恐る恐る近づき、そっと指でつついてみるがぬくもりはあるのに、反応はない。
「……寝てるの?」
もう少し強めに押してみると、
「ぐぅ」と低い寝息が聞こえてきた。
見た目は硬そうだったが、
意外にもふわふわとしていて心地よい。
少女は思わず、その手を止められなくなってしまう。
すると――
ぴくり、と耳が動いて、
次の瞬間、ゆっくりと瞼が持ち上がり、
何を考えているのかわからない黒い瞳と、
好奇心を宿した紫の瞳が、まっすぐとぶつかり合った。
「……お前、誰だ?」
低く、静かな声。
少女は目を見開き、驚きの声を上げる。
「しゃ、喋った……?」
「騒がしいやつだな。わずらわしい」
生き物は面倒くさそうに低く呟いた。
「ごめんなさい……!」
少女は慌てて口元を両手で押さえるが、
興味津々といった表情だ。
「わ、私はアリシア。あなたは?」
恐る恐る名を名乗ると
「オレか? オレは……ルト」
ルトと名乗った生き物は、
眠たげな目でアリシアを見つめる。
「ルトはどうして喋れるの?」
「ふん、オレ様は精霊だからな」
その言葉に、アリシアは一層瞳を輝かせる。
「すごい! 精霊に会えるなんて!」
ルトはまんざらでもなさそうに目を細め、
そこから、二人の会話が始まった。
アリシアは楽しそうに話す。
「お母様はね、とっても優しくて綺麗なの! 焼いてくれるクッキーもすごくおいしいんだから!」
「ふうん」
「それでね、私、お庭で遊ぶのが大好きなの! だって、きれいなお花も咲いてるし、小鳥もいるでしょ。ルトは、何が好き?」
「……寝ること」
「ええっ、それだけ?」
「それだけで十分だ」
あまりにもはっきりした答えに、
アリシアは目を瞬かせてしまう。
「じゃあ、なんでここで寝てたの?」
「気持ちよかったから」
「ふーん……精霊って、みんな寝るのが好きなの?」
「オレはオレだ。他のやつは知らん」
ルトの言葉に、アリシアはしばらく考え込むような顔をしたが、やがて嬉しそうに笑った。
「なんだかおもしろいね、ルトは!」
「そうか?」
「うん! あ、そうだ!ねえ、クッキー食べない?はい、とってもおいしいクッキー!」
アリシアはそう言って、
小さな手で包みを取り出し、ルトに差し出すとルトは不思議そうにそれを受け取り、
そっと鼻を近づけ、ふんふんと匂いを嗅いだ。
まるで小動物のような仕草に、
アリシアは思わず「……かわいい」と呟き、
口元がふっと緩んでしまう
ルトは気づかないまま、クッキーを口に運ぶ。
もぐもぐ……
頬のあたりの髭が、ふるふると揺れており、
アリシアはそれをじっと見つめてしまう。
「……」
やっぱり、かわいい!
胸の奥がくすぐったくなるような気持ちでいるアリシアに
「……うまい」
ぽつりとルトが呟いた。
「えへへ、それね、お母様が作ってくれたの。世界一おいしいのよ!」
誇らしげに嬉しそうに胸を張るアリシアを、ルトは静かに見つめていた。
「アリシアお嬢様……どちらにいらっしゃいますか?」
アリシアを呼ぶ侍女の声がし、段々と近づいてくる。
ルトは、ふと身じろぎし
「……探してるぞ。オレももう行かないと」
「え……」
寂しさを顔に滲ませるアリシアに対して
ルトは彼女を見つめ、ぼそりと呟いた。
「……世界一のクッキーをくれたお礼だ。お前が困った時、助けてきてやる」
そう言い、次の瞬間には、ふっと姿を消した。
キョロキョロと辺りを見回すアリシアに
侍女が近づいてきた。
「こんなところにいらしたのですね」
優しく微笑みながら
服についた草を払う侍女に
「ねえ! さっき精霊さんに出会ったの!」
と目を輝かせながら話すアリシア。
そんな彼女を、ルトは空の上からじっと見つめていた
「……シーファ、なんだかお前に似ていたぜ」
懐かしそうに呟き
そして、そっと目を閉じると――
「……またな、アリシア」
そう言い残し風と共に、その姿は消えていった。