第49話 極上の祝宴と次なる壁
網の上で、極上の霜降り肉がチリチリと軽快な音を立てて爆ぜている。
滴り落ちた上質な脂が炭火に触れ、芳醇で暴力的なまでの香りが個室いっぱいに広がった。
「……生きててよかったぁぁっ!」
焼き上がった特上カルビを白米と一緒に口へ放り込んだ蓮桜が、天井を仰ぎ見て感極まったような声を上げた。その目には本気でうっすらと涙が浮かんでいる。
「ちょっと蓮桜、うるさい。他のお客さんに聞こえるでしょ」
「仕方ねえだろ心桜! さっきまであんなヘドロみたいな泥水の中にいたんだぞ!? この肉の旨さは、俺たちへの正当な報酬だ!」
「ふふっ。でも、蓮桜の言う通りね。本当に美味しいわ」
立川駅前にある会員制高級焼肉店『極』。
完全に防音されたVIP用の個室で、俺たち『チェリーブロッサム』の四人は遅めの打ち上げを行っていた。
私服に着替えた俺たちは、どこからどう見てもただの高校生の集まりにしか見えないだろう。数時間前まで、立川ダンジョンの第12階層でスライムの内臓をえぐり出し、巨大な爬虫類の化け物を乱獲していた狂気の集団だとは、誰も思わないはずだ。
俺は網の端でじっくりと焼いていたハラミを箸でつまみ、タレにくぐらせて口に運んだ。
……美味い。
肉の旨味が口の中で溶け出し、疲労した脳髄に直接栄養が叩き込まれるような感覚だ。
(今頃、JDSの連中は血眼になって俺たちを探してるんだろうな)
コーラで肉の脂を流し込みながら、俺は冷徹な優越感に浸っていた。
ダンジョン内で完全に俺たちを見失った監視員たちは、今頃本部で油を絞られているはずだ。理桜という「聖女」を保護・管理下におきたい組織の思惑を、俺たちは物理法則を無視した次元跳躍によって完全に嘲笑ってやったのだ。
俺はテーブルを囲んで無邪気に笑い合う仲間たちの顔を眺めた。
高級肉を前に子供のように目を輝かせる三人を見ていると、俺の胸の奥底に、不思議と静かな安らぎが広がっていくのを感じた。
肉の皿が次々と空になり、追加のオーダーが運ばれてくる頃には、話題は血生臭いダンジョンの攻略から、他愛のない学校生活や日常の出来事へと移り変わっていた。
「そういえば理桜ちゃん、萌音ちゃん、退院してからの調子はどう?」
心桜が網に野菜を乗せながら尋ねると、理桜の表情がパッと明るく華やいだ。
「ええ、すっかり元気よ。EXTRA回復ポーションのおかげで後遺症もなく全快して、今は家の中を走り回ってるくらい。この前みんなでお祝いした時の快気祝いのケーキ、また食べたいって騒いでるの」
「ははっ、そりゃよかった! じゃあ次遊びに行く時は、俺がまた駅前のケーキ屋で一番デカいやつ買ってってやるよ」
「ふふ、ありがとう蓮桜。萌音も絶対喜ぶわ」
理桜は嬉しそうに微笑んだ後、ふと居住まいを正し、俺の方へ真っ直ぐに向き直った。
「すべては、黒狐様が作ってくださったポーションのおかげです。本当に、いくら感謝してもしきれません」
理桜が深々と頭を下げる。
世間では、彼女自身の祈りが生み出した奇跡だと思われているポーション。だが、その真の製作者が俺であることを、この場にいる全員が知っている。
理桜は俺の身代わりとして「聖女」という重い仮面を被り、世間の羨望と、JDSのような組織からの生臭い干渉を一身に受け止めてくれているのだ。
「頭を上げろ、理桜。俺は俺のやりたいようにやっただけだ。お前が聖女として矢面に立ってくれているおかげで、俺も自由に動けている」
「でも……」
「それに、お前はもうただの庇護対象じゃない。立派な俺たちのパーティーメンバーだ」
俺がそう言うと、理桜は少しだけ頬を赤らめ、はにかむように笑った。
「……私、学校でも病院でも、いつも『完璧な聖女』でいなきゃいけない気がして、息が詰まる時があるの。でも……」
理桜は手元のウーロン茶のグラスを両手で包み込み、愛おしそうに呟いた。
「こうして四人でいる時だけは、ただの『桐生院理桜』に戻れる。お肉を美味しいって笑って、蓮桜にツッコミを入れて、心桜と他愛のない話をして……。黒狐様がいてくれるこの場所が、今の私にとって、世界で一番安心できる居場所なんです」
その翡翠色の瞳には、俺に対する絶対的な信頼と、崇拝という言葉だけでは片付けられない、一人の少女としての熱を帯びた感情――微かな恋心が揺らめいているように見えた。
俺はあえてその視線を正面から受け止めず、
「……そうか。なら、たくさん食え」
とだけ短く返し、新しい肉を網に乗せた。
宴もたけなわとなった頃。
俺はコーラのグラスを飲み干し、氷がカランと鳴る音を合図にするように、静かに口を開いた。
「さて。腹も膨れたところで、次の目標を確認するぞ」
俺の一言で、場の空気が一瞬にして「日常」から「戦場」へと切り替わった。
蓮桜も心桜も箸を置き、真剣な眼差しで俺を見る。
「今日の探索で、俺たちは環境耐性のEXTRAスキルを手に入れた。11階層から続く湿原エリアの攻略に、もう障害はない。……次は、第15階層のボス、『キングリザードマン』だ」
第15階層。そこは、これまでのボスとは格が違う強力な個体が待ち受ける、中層への大きな壁だ。
「キングリザードマン……。今日倒したやつの、親玉ってことだよな」
「ああ。巨体に見合わない異常な素早さと、一撃で岩盤を粉砕する筋力を持ってる。生半可な防御力じゃ、即死するレベルの強敵だ」
俺がそう告げると、蓮桜は自分の両手を見つめ、ギリッと強く拳を握りしめた。
「俺、さっきの戦いで分かったんだ」
蓮桜の低い声が、個室の中に響く。
「クロが作ってくれたEXTRAスキルのおかげで、俺のステータスは馬鹿みたいに跳ね上がった。でも……力や防御力が上がったからって、それで『強い』わけじゃないんだよな」
蓮桜は、昼間のリザードファイター戦を思い返しているようだった。
圧倒的な力でねじ伏せたように見えたが、蓮桜自身は自分の動きの無駄や、スキルの出力に振り回されている感覚に気づいていたのだ。
「スキルに頼りきりじゃ、本当の強敵には勝てねえ。俺は、理桜を、心桜を、そしてお前を絶対に死なせないための『盾』になりてえ。だから……もっと強くなる。ステータスだけじゃない、俺自身の技術を磨く」
その顔は、無邪気に肉を頬張っていた少年ではなく、確固たる信念を持った一人の武人の顔だった。
「私も、自分の火力のコントロールが甘いって気づいたわ」
心桜が箸をクルクルと回しながら言う。
「EXTRAファイアーボールは強力だけど、今のままじゃ乱戦になった時、前衛の蓮桜を巻き込んじゃうかもしれない。……もっと精緻に、針の穴を通すような魔法のコントロールを身につける。私が、絶対にみんなの背中を守るから」
二人の言葉に、理桜も静かに、しかし力強く頷いた。
俺は目を細めた。
ただ俺に助けられ、俺の指示に従うだけの集団だった彼らは、今、自らの意志で牙を研ぎ、己の弱さと向き合っている。
ここはもう、ただの仲良しグループではない。お互いの命と人生を預け合う、完全なる「運命共同体」なのだ。
「……いい覚悟だ。なら、俺の無茶苦茶な特訓にもついてこれるな?」
「望むところだぜ!」
「手加減なしでお願いね」
三人の頼もしい笑顔を見て、俺の唇も自然と凶悪な弧を描いていた。
「お会計、お願いします」
食事が終わり、俺は店員を呼んで探索者カードを提示した。
数時間で飲み食いした金額は数十万円に達していたが、俺にとっては端金に過ぎない。カードリーダーを通す電子音が、今日のささやかな祝宴の終わりを告げた。
店を出ると、まだ冷たい夜風が火照った体を撫でた。
立川駅前のネオンサインが、冬の澄んだ空気の中でチカチカと瞬いている。行き交う人々の喧騒に混じりながら、俺たちは駅へと向かって歩き出した。
蓮桜と心桜が少し前を歩き、くだらない冗談を言い合って笑っている。
俺のすぐ隣を歩いていた理桜が、ふと、俺のコートの袖口を小さな手で、きゅっと掴んだ。
「……どうかしたか?」
俺が足を止めずに横目で尋ねると、理桜は少しだけ歩幅を俺に合わせながら見上げてきた。
「……いえ。ただ、少しだけ」
そう言って、理桜は俺の袖を掴んだまま、嬉しそうに足取りを軽くした。
その微かな温もりが、春の寒さの中でひどく鮮明に感じられた。
(15階層……そこが、俺たちの本当の始まりだ)
俺は街の眩い灯りを見つめながら、心の中で静かに呟いた。
JDSの監視も、サンクチュアリの暗躍も、この先待ち受ける未知の強敵も。
俺が、俺たちで、すべてを蹂躙し、喰らい尽くしてやる。
夜の帳に消えていく三人の仲間の背中を追いかけながら、俺は誰にも見えない暗闇の中で、不敵な笑みを浮かべた。
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