第47話 査察室の対峙
立川JDSビル、6階。
そこにある「特別査察室」は、ダンジョン探索者にとっての地獄の入り口だ。
窓はマジックミラーで遮光され、外界からの光は一切届かない。無機質なコンクリートの壁に囲まれた空間には、尋問用のステンレス製の机とパイプ椅子だけが置かれている。
空調はわざと低く設定されており、肌を刺すような冷気が漂っていた。
「……座れ」
短く、感情のない声が響く。
俺は、大人しくパイプ椅子に腰を下ろした。隣には、不安げな表情の桐生院理桜、手錠をかけられて不服そうに鼻を鳴らす黒鉄蓮桜、そして杖を抱いて不機嫌そうに唇を尖らせている鵺野心桜がいる。
机の向こう側に座っているのは、JDS本部から派遣された特別査察官、二階堂という男だ。
神経質そうな細い眼鏡をかけ、仕立ての良いスーツを着ているが、その瞳には探索者を見下す特権階級特有の濁った光が宿っている。
「単刀直入に聞く。村雨黒桜。貴様は『黒狐』とどのような関係にある?」
二階堂が机の上に一枚の写真を投げ出した。
それは昨日のライブ配信の切り抜き画像だ。画面の隅に、平然と立ち尽くす俺の姿が映っている。
「……何のことですか? 俺はただ、友人が心配でついて行っただけです」
俺は声を震わせ、怯える一般生徒を演じた。
だが、二階堂は鼻で笑った。
「白を切るな。高校生の探索者ごときが、ランクHIGHの精神汚染薬を持った朝霧詩織と、暴走寸前の黒鉄蓮桜を前にして、なぜあそこまで冷静でいられる? 普通なら恐怖で失禁している場面だ」
鋭い。腐っても本部の査察官か。
俺の「異常性」を、状況証拠から正確に嗅ぎ取っている。
「それに、あの配信の手際の良さ。鵺野心桜の潜伏技術。すべてが高校生のレベルを超脱している。裏で糸を引いている者がいるはずだ。……そう、正体不明探索者、『黒狐』とかな」
二階堂が身を乗り出し、俺の目を覗き込む。
「貴様は『黒狐』の連絡係だな? 奴は今どこにいる? 奴の正体は何だ? 素直に話せば、貴様の安全と学籍は保証してやる」
取引の提示。飴と鞭。
俺は膝の上で拳を握りしめ、視線を落とした。
実際には、「黒狐」の正体は俺だ。
そして、世間で「魔弾の聖女」と呼ばれているEXTRA回復ポーションを作っているのも、理桜ではなく俺だ。
だが、俺が表に出れば平穏な日常は終わる。だからこそ、理桜が「聖女」という矢面に立ち、俺が作ったポーションを彼女名義で立川総合病院に卸すことで、世間の目を欺いてきたのだ。
俺がここで口を割れば、その「優しい共犯関係」も崩壊する。
「……知りません。俺たちは、ただ必死だっただけです」
俺は唇を噛み締め、頑なに首を振った。
隣で心桜が
「ホントにしつこいなぁ、おじさんモテないでしょ」
と小声で毒づいたが、二階堂はそれを無視して指をパチンと鳴らした。
「……そうか。交渉決裂だな」
部屋の隅に控えていた部下が、銀色のアタッシュケースを持ってくる。中から取り出されたのは、水晶のような球体が埋め込まれたヘッドギアだった。
「公務執行妨害、およびテロ関与の疑いで、強制的な『マインド・スキャン』を行う」
「なっ……!?」
理桜が息を飲む。
マインド・スキャン。それは対象の脳に直接魔力を流し込み、深層心理や記憶の断片、そして隠蔽されたステータスを強制的に暴く禁断のアーティファクトだ。
本来は凶悪犯罪者にしか使用が許可されていない代物。それを使われれば、俺が黒狐であることも、ポーションの真の製作者であることも、すべてが白日の下に晒される。
「待ってください! 彼は未成年です! 令状もなしにそんなこと……!」
理桜が抗議するが、二階堂は冷淡に見下ろした。
「桐生院さん。貴女は『聖女』として保護対象だが、勘違いするなよ。国家の安全保障に関わる事案だ。一個人の人権など、塵に等しい」
二階堂が俺の頭に手を伸ばす。部下たちが俺の腕を抑えにかかる。
(……やるしかないか)
俺は奥歯を噛み締めた。
鑑定される前に、【現実逃避】スキルでこいつらの脳を焼き切るか? いや、それでは完全に犯罪者だ。だが、正体がバレるよりは――。
俺が「禁忌」に手を染めようとした、その瞬間だった。
「――その汚い手を離しなさい」
部屋の温度が、氷点下まで下がった錯覚がした。
二階堂の手が止まる。抑え込んでいた部下たちが、思わず後ずさる。
理桜が立ち上がっていた。
そこにいたのは、先ほどまで怯えていた少女ではなかった。背筋を伸ばし、翡翠色の瞳に絶対零度の光を宿した、誇り高き「聖女(女王)」がそこにいた。
「き、桐生院さん? これは捜査で……」
「捜査? いいえ、これは恫喝です」
理桜の声は静かだが、部屋の空気を支配する重圧があった。
彼女は二階堂を真っ直ぐに見据え、言い放った。
「いいでしょう。村雨くんを鑑定なさい。……その代わり、覚悟はできているのでしょうね?」
「覚悟……だと?」
「ええ。立川総合病院への、EXTRAポーションの供給停止です」
二階堂が鳩が豆鉄砲を食らったような顔をした。
だが、理桜は畳み掛ける。
「世間では私が『聖女』としてポーションを作っていることになっていますが……その生成には、私の『祈り』と『精神の平穏』が不可欠なのです。私の大切な友人であり、恩人である村雨くんを、あなたが理不尽に傷つけようとしているのなら……私の心は閉ざされ、奇跡は失われるでしょう」
……大嘘だ。
ポーションを作っているのは俺だ。理桜は完成品を受け取って病院に運んでいるだけだ。彼女の精神状態なんて、製造ラインには1ミリも関係ない。
だが、世間的には「桐生院理桜こそが唯一無二の生産者」だ。彼女はその「虚像」を盾にしたのだ。
「二度と、一滴たりとも、ポーションは納品しません」
「な……ば、馬鹿な! そんな理屈が通るか! それは多くの患者を見殺しにする行為だぞ!」
「試してみますか?」
理桜が冷ややかに微笑んだ。その笑みは、美しいが故に恐ろしかった。
「日本中の病院で、現代医学では治せない病に苦しむ患者たちが、私のポーションを待っています。私の『奇跡』が消えれば、どれだけの命が失われるでしょうね? その責任……一介の査察官に過ぎないあなたが、取れるのですか?」
ブラフだ。
だが、あまりにも効果的なブラフだった。
立川総合病院のEXTRA回復ポーションは、今や日本の医療の最後の砦だ。それが止まれば、世論はJDSを許さない。「理桜を怒らせた無能な査察官」として、二階堂は社会的に抹殺されるだろう。
「……くっ」
二階堂の額に脂汗が滲む。
目の前の少年一人の正体を暴くことと、日本中の患者の命を天秤にかけること。
勝負にならなかった。
「……私の友人に、指一本でも触れてみなさい。私は今この瞬間から、聖女であることを辞めます」
理桜の言葉は、最後通牒だった。
二階堂の手が震え、やがて力なく下ろされた。彼はギリギリと歯ぎしりをしながら、ヘッドギアをケースに戻した。
「……今日のところは、見逃してやる。だが、監視はつけさせてもらうぞ」
「結構です。行きましょう、村雨くん、蓮桜、心桜」
理桜は二階堂の捨て台詞を一蹴し、俺の手を引いた。
その手は温かく、そして微かに震えていた。
俺たちは無言のまま査察室を出て、エレベーターに乗り込んだ。
一階に到着し、ビルの外に出た瞬間、理桜の足から力が抜けた。
「……っ」
崩れ落ちそうになる彼女を、俺は慌てて支えた。
彼女の顔色は真っ青で、冷や汗がびっしりと浮かんでいた。
「り、理桜!?」
「あはは……腰が、抜けちゃいました……」
理桜は俺の腕の中で、力なく笑った。
「怖かったです……。あんな怖い人の前で、あんな大口を叩くなんて……」
「お前……あんな嘘、よく言えたな」
「嘘じゃありませんよ」
理桜が顔を上げ、俺を見つめる。その瞳には、先ほどの「女王」の威厳はなく、ただの心優しい少女の色があった。
「村雨くんがいなくなったら、私、本当にポーションなんて届けられなくなります。……だって、あなたがいてくれるから、私は『聖女』を演じていられるんですから」
その言葉が、俺の胸に重く、そして温かく響いた。
彼女は知らない。
俺が『黒狐』であり、本当は守られる必要などないほどの力を持っていることを。
彼女は「村雨くん」という友人を守るために、そして「黒狐」という正体不明の協力者とのパイプを守るために、自ら泥を被る役回りを引き受けてくれたのだ。
(……敵わねえな)
俺は理桜の体を支え直しながら、心の中で苦笑した。
最強のスキルを持っていても、今の俺は彼女の覚悟に守られた。
その事実が、たまらなく愛おしく、そして少しだけ申し訳なかった。
「……ありがとう、理桜」
「いえ。……でも、足が動かないので、少しだけこのままでいさせてください」
夕暮れの風が吹く中、俺たちはしばらくその場に立ち尽くしていた。
蓮桜は
「俺の出番、全然なかったんだけど?」
と文句を言い、心桜は
「理桜ちゃんカッコよかったー! あのドヤ顔、録画しておけばよかった!」
とはしゃいでいる。
そんな日常の騒がしさすらも、今は心地よいBGMだった。
俺の正体はまだバレていない。
だが、俺たちの絆は、この「共犯」めいた秘密によって、より一層深く、強固なものになった気がした。
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