第36話 桐生院理桜②
訓練場から戻ってきた心桜が、その成果を披露してくれた時、私は素直に賞賛の言葉を送った。彼女の周囲に、まるで衛星のように百を超える火の玉が浮かび、その意志のままに宙を舞う。その光景は、圧巻の一言だった。
「素晴らしいわ、心桜。まるで星空を従える夜の女神のようね」
「えへへ、ちょっと褒めすぎだよ、理桜ちゃん!」
はにかむ親友の姿に、私の口元も自然と綻ぶ。
(素晴らしい! 実に素晴らしいわ! これで心桜が後方からの広範囲制圧を担当してくれるのであれば、私は前衛で孤軍奮闘される黒狐様の背中を完璧に守護するという役割に、より一層専念できる! まさにwin-winの関係ね! ……でも、待って。これでは、足りない。心桜がチーム全体の戦術レベルを向上させるという貢献をしたのに対し、私の貢献度は現状維持。このままでは相対的に私の価値が目減りしてしまう。もっと直接的に、もっとパーソナルに、黒狐様個人のお役に立たなければ、私のチームにおける存在価値が、ひいては黒狐様の隣に立つ資格が危ういのでは……!?)
そんな焦燥にも似た思考に囚われていた、その時だった。
ポケットに入れていたスマートフォンが、静かに震えた。画面に表示されたのは、養父からの短いメッセージ。
『萌音、明後日、退院が正式に決定した。迎えに来てやってくれ』
その一文を目にした瞬間、私の胸に温かい光が灯る。妹が、あの愛おしい萌音が、ついに家に帰ってくる。この上ない吉報。その幸福感が、私の暴走しがちな思考回路に、最高品質のハイオクガソリンを惜しみなく注ぎ込んだのだった。
「私も、黒狐様の隣に立つにふさわしい力を手に入れなければ……!」
決意を固めた私は、心桜と入れ替わるようにして、一人JDSの魔力訓練場へと向かった。
私のスキルは、攻撃用の【魔弾】と、回復用の【EXTRAヒール】。一見すると、この二つに直接的なシナジーは無いように思える。素人判断だわ。愛があれば、どんなスキルだって最高のコンビネーションに昇華させることができるのよ。
(まず、現状の課題を整理しましょう。近接戦闘で傷を負った黒狐様。私が駆け寄って治癒するには、貴重な戦闘時間をロスするし、私自身が危険に晒されるリスクも伴う。これではサポート役として三流だわ。ならば、答えは一つしかない)
私が後方から安全に、かつ即座に黒狐様を回復させればいい。
これ以上に合理的で、愛に満ちたサポートがあるかしら? いいえ、ないわ。
私は訓練場の中央に立つと、目を閉じ、意識を集中させた。黒狐様からもらった【EXTRA魔力操作UP】のスキルを最大活用し、【EXTRAヒール】の魔力を、掌の上で丁寧に、しかし超高密度に凝縮していく。本来なら霧のように拡散するはずの優しい治癒の魔力が、私の強い意志と愛によって形を成し、緑色の淡い光を帯びた特殊な弾薬――「【EXTRAヒール】弾薬」として、私の手の中に生成された。
「ふふっ……名付けて、【愛のセラピー・バレット】よ……!」
誰に言うでもなく、私は満足げに呟き、その成果を愛銃である白銀のリボルバーに一発ずつ、丁寧に装填していく。
カチャリ、という小気味よい音を立ててシリンダーを戻し、前方に設置された人型のターゲットに銃口を向けた。
パーン!
発射音は、通常の弾丸と変わらない。放たれた弾丸は、正確にターゲットの胸部に着弾した。もちろん、ターゲットは生命体ではないので、損傷箇所が治るわけではない。ただ、着弾点がポワッと緑色の優しい光を放ち、すぐに消えた。
「……成功ね。これなら、黒狐様がどれだけ無茶をして深手を負っても、私が遠距離からこの弾丸(愛)を撃ち込み続けてあげられるわ」
私は一人、自らの天才的な発想に悦に入った。これで、黒狐様は不死身の騎士となるのよ。私という専属の女神に守られて。
ふと、我に返る。
(待って。これ、いくら治癒の魔力を込めているとはいえ、物理的な衝撃はあるのでは? 回復する前に「痛っ!?」とはならないかしら? 万が一、万が一にも黒狐様に『理桜、俺を撃ったな…』などと、あの美しい瞳で誤解されたら、私、ショックで立ち直れないかもしれない。……いえ、これは試練よ。神が私にお与えになった試練に違いないわ。この小さな痛みを乗り越えてこそ、私と黒狐様の絆は、血と硝煙の戦場でより一層強固なものになるのよ……!)
一人で脳内会議を開き、一人で完璧な結論を導き出し、私は満足して訓練を終了させた。
完璧な新戦術を編み出し、意気揚々とパーティールームに戻ると、ソファで黒狐様が一人、寛いでいる姿を発見した。チャンスだわ。これは、神が、いえ、運命が私に微笑んでいるに違いない。
私は完璧なポーカーフェイスを維持したまま、優雅な足取りで彼に近づき、声をかけた。
「黒狐様。少し、よろしいでしょうか?」
「ああ、どうした? 理桜」
仮面越しでも分かる、穏やかな声。心臓が少しだけ、速く脈打つのを感じる。落ち着きなさい、私の心臓。今はまだその時ではないわ。
「近々、妹の萌音が退院するの。それで、そのお祝いのプレゼントを買いに行きたいのだけれど……護衛、とは言わないわ。ただ、男物のプレゼントの選定に、あなたの意見を聞かせていただけないかしら」
(完璧な口実! 萌音は女の子だけど、そんな些細な事実はこの際どうでもいい! 重要なのは、黒狐様を合法的に二人きりの空間へとお誘いするための、この高等戦術よ! これで断る理由は、どこにもないはず!)
私の完璧な作戦に、黒狐様は一瞬「男物?」と訝しげな顔をしたが、すぐに
「ああ、分かった。いいぜ。いつだ?」
と快く承諾してくれた。
やった! やったわ!
私は内心で勝利のガッツポーズをしながらも、クールな表情を一切崩さず、静かに告げた。
「ありがとう、黒狐様。では、明日の午後1時、立川駅の時計台の前で」
そして、翌日。
私はクローゼットに眠る全ての服を吟味し、戦場に赴く以上の覚悟でコーディネートを完成させ、完璧な状態で待ち合わせ場所へと向かった。
(これが、黒狐様との初デート……! まずは、駅前のカフェで軽くお茶をしながら、お互いのパーソナルな部分を少しずつ開示していく。その後、映画館へ。アクション映画なら黒狐様も楽しめるはず。その合間に、自然な流れでプレゼント選びを挟み込む。ディナーは、少し奮発して夜景の見えるレストランを予約済みよ。完璧なプランニングだわ……!)
胸を最高にときめかせながら、約束の時間の5分前に、私は時計台の前に到着した。
そして、約束の時間きっかり。私の前に現れたのは――
漆黒の戦闘服に身を包んだ、私の理想の男性ではなかった。
そこにいたのは、見慣れた制服姿で、気まずそうに寝ぐせのついた頭を掻いている、クラスメイトの村雨黒桜君だった。
「よ、よう桐生院。わりぃ、クロの奴、なんか急用ができたとかでさ。代わりに俺が来たんだ」
私の思考が、完全にフリーズした。
数秒後、システムが強制的に再起動する。
(……は? 誰ですの、この寝ぐせのついたジャガイモみたいな男は。……ああ、そういえばクラスメイトに村雨君という方がいたわね。知っているわ。それにしても、なぜ? なぜ黒狐様との神聖なるアポイントメントの場所に、あなたが? 代わりですって? ふざけないでいただきたい。黒狐様の代わりが務まる人間など、この銀河系のどこを探しても存在しないのだけれど? ああ、でも、ここでこの作戦を中止しては、このジャガイモ君に申し訳ないわね。彼に罪はない。罪があるのは、ドタキャンをした挙句、代役をよこした、どこかの誰かさんなのだから。仕方がない。これはデートではない。あくまで『妹へのプレゼント選び』という名のミッション。そう、ミッションよ……!)
私は、内心で燃え盛る絶望と怒りの炎を、完璧に押し殺し、氷のように冷静な、しかし絶対零度の声で応じた。
「そう。事情は理解したわ、村雨君。よろしく頼むわね」
こうして、私の甘く完璧なデートプランは、開始わずか5秒で木っ端微塵に崩壊し、波乱に満ちたショッピング(という名のミッション)が、静かに幕を開けるのだった。




