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第31話 偽りの取引(フェイク・ディール)


 俺が『協力者』にメッセージを送ってから、わずか三分後のことだった。沈黙を保っていた私用の端末が、再び静かに振動した。ソファに深く身を沈めていた俺は、仮面の位置を微調整しながら、その暗号化された返信を開く。


> [協力者]: 発信源の特定は困難。複数国サーバーを経由した高度な偽装を確認。ただし、通信パケットの微細なラグを解析した結果、物理的な発信拠点は立川から半径5km圏内と推定。これ以上の追跡は時間を要する。直接接触が最も効率的。必要であれば、対象エリアのデジタルインフラの限定的掌握をサポートする。


 簡潔かつ、恐ろしく有能な返答だった。通信のわずかな遅延から、敵の物理的な距離を割り出す。もはや神業の領域だ。俺は画面をオフにすると、個室から出てきたメンバーたちに向かって静かに告げた。


「敵は、すぐ近くにいる。ならば、こちらから誘い出してやる」




 がらんとしたパーティールームの中央に置かれたローテーブルを、俺たちは囲んでいた。俺は先ほどの敵からのメッセージアプリを開き、指先で短い文章を打ち込む。


「話を聞こう。場所と時間を指定しろ」


 送信ボタンを押すと、即座に既読がついた。まるで、こちらの返信を待ち構えていたかのように。


「クロ、本当に大丈夫なの? こんな、あからさまな罠にこっちから乗っかるなんて……」


 心桜が、不安げな表情で俺の顔(仮面だが)を覗き込む。


「罠には罠を仕掛ける。それが定石だ」


 俺は冷静に告げ、作戦の骨子を説明し始めた。


「これから始まるのは、偽りの取引――フェイク・ディールだ。敵の目的は理桜の身柄と、ポーションの情報。その二つを餌に、奴らの本体を釣り上げる」


 俺はメンバー一人一人の顔を見渡し、それぞれの役割を明確に告げた。


「まず、俺が交渉役として表に出る。敵の注意を俺一人に引きつけ、可能な限り情報を引き出す。表向きの宭だ」


「蓮桜。お前は強襲・遊撃役だ。俺が敵と対峙している間に、心桜のナビゲートで敵の死角に潜み、戦闘開始と同時に敵の退路を断つ。お前の身体能力がこの作戦の鍵になる」


「おう、任せとけ!」


 蓮桜が、自信に満ちた笑みで拳を握る。その目にはすでに狩人の光が宿っていた。


「そして心桜。お前は現場管制官コントローラーだ」


「え、私が?」


 意外そうな顔をする心桜に、俺は頷きかける。


「お前には、俺の『協力者』から提供される戦術データリンクをリアルタイムで分析し、俺と蓮桜にインカムで指示を送ってもらう。現場の監視カメラ映像、敵が使用する通信周波数の傍受データ、赤外線センサー情報……それら全てがお前の目となり、耳となる。お前が、この作戦の頭脳だ」


「わ、わかった……! やってみせる!」


 心桜の瞳に、不安と、それを上回る興奮の色が浮かんだ。彼女の情報分析能力と状況判断の速さは、すでに何度も俺たちを救っている。今度はそれを、リアルタイムの戦闘指揮に応用してもらう。


「最後に、理桜」


 俺が名を呼ぶと、理桜は背筋を伸ばし、まっすぐに俺を見つめ返した。


「お前は、この拠点に残って後方支援に徹してくれ。万が一、俺か蓮桜が負傷した場合、即座に治療できるのはお前だけだ。お前の【EXTRAヒール】が、俺たちの命綱になる。最も重要な役割だ、頼んだぞ」


「……はい! 黒狐様。皆様の御武運を、心よりお祈りしております」


 理桜は深々と頭を下げた。彼女の存在が、俺たちが無茶をできる最大の理由だった。


 その時、俺の端末が短く震えた。敵からの返信だ。


「深夜2時、多摩都市モノレール線沿い、第7地区郊外立体駐車場、最上階。一人で来い。余計な真似をすれば、『聖女』の友人たちの身の安全は保証しない」


 脅迫の文句まで添えられた、典型的な罠への誘い文句。だが、そのありきたりな内容が、逆に奴らの油断を示していた。

 俺がその場所を地図アプリで表示すると同時に、心桜のタブレットに『協力者』からの新たなデータが着信した。


「クロ、これ……!」


 心桜が息を呑む。彼女のタブレットには、指定された立体駐車場の詳細な設計図、全ての監視カメラへのリアルタイムアクセス権、さらには周辺エリアの信号機や街灯の遠隔制御プログラムまでが表示されていた。


「すごい……何このチートツール……。これなら、あの場所を私たちの『箱庭』にできるよ、クロ!」


 心桜の指が、興奮に打ち震えながらタブレットの上を滑る。今や、敵が指定した戦場は、完全に俺たちの支配下に置かれたのだ。




 深夜1時45分。

 廃墟同然の立体駐車場は、死んだように静まり返っていた。割れた蛍光灯が不気味に瞬き、冷たいコンクリートの匂いが鼻をつく。俺は黒いロングコートのフードを深く被り、単身、螺旋状のスロープをゆっくりと登っていた。


 だが、俺の意識は一人ではなかった。

 スキル【EXTRA気配察知】を最大レベルで展開し、建物全体の構造と、そこに潜む敵意の全てを立体的に把握している。


(……屋上にスナイパーが2名。赤外線スコープを使用。各階層の階段の踊り場に伏兵が1名ずつ、計4名。そして、最上階にリーダー格と思われる強い気配が1つと、その周囲に兵士が6名……前回、学校を監視していた連中より数も装備も上か。舐められたものだ)


 俺の耳に装着された、極小のインカムから心桜の冷静な声が響く。


『クロ、敵の配置、気配察知のデータと完全に一致。連中、自前の通信網を使ってるみたいだけど、周波数は「協力者」さんからの情報通り。会話、筒抜けだよ』


 一方、別のルートから潜入している蓮桜は、すでに敵の布陣のど真ん中に到達していた。


『蓮桜、次の柱まで5秒でダッシュ。監視カメラが切り替わる一瞬の死角を突いて!』


『……ッ、クリア』


 インカムから聞こえる心桜の的確なナビゲートと、蓮桜のかすかな息遣い。彼はまるで影のように、音もなく敵の警戒網を突破し、退路を断つための最適なポジションへと潜り込んでいく。完璧なコンビネーションだった。




 最上階にたどり着くと、そこは不自然な光に満ちていた。数台のSUVが円を描くように駐車され、そのヘッドライトが中央の一点を、まるで舞台のスポットライトのように照らし出している。

 逆光の中に、一人の男が立っていた。ミリタリージャケットにカーゴパンツ。その筋骨隆々とした体躯と、何人もの人間を殺めてきたであろう瞳の光は、彼がただのチンピラではなく、本物の戦場を経験したプロであることを物語っていた。周囲には、最新式の防弾ベストとアサルトライフルで武装した兵士たちが、一切の隙なく俺に銃口を向けている。その装備は、民間の軍事会社――PMCのそれだった。


「黒狐、だな。噂通りの不気味な仮面だ」


 リーダー格の男が、嘲るように言った。


「単刀直入に言おう。『聖女』をこちらに渡せ。そうすれば、お前の命だけは助けてやってもいい」


「お前たちの雇い主は誰だ?」


 俺は、男の言葉を無視して問い返した。


「それを正直に話せば、お前たちの命は見逃してやる。仲間が一人も死なずに済むぞ」


 俺の挑発に、男の眉がピクリと動く。


「減らず口を……。いいか、我々の目的はあくまで『聖女』――桐生院理桜の身柄の確保だ。彼女が持つ【EXTRA回復ポーション】の生成スキルは、金や権力などでは計れない価値がある。おとなしく渡せば、お前のようなしがない探索者崩れには、一生遊んで暮らせるだけの金をくれてやる」


 男の言葉の端々に、奇妙な違和感が混じる。彼らはポーションの情報を欲しているだけではない。まるで、理桜という存在そのものに、異常なまでの執着を見せている。それはまるで、伝説の聖遺物を求める狂信者のような――。


 俺が沈黙していると、男は痺れを切らしたように舌打ちした。


「交渉は決裂、か。まあ、いいだろう。お前をここで殺し、聖女様は我々が丁重にお迎えするだけだ」


 男が、右手を静かに挙げる。それが、合図だった。


「――やれ」


 兵士たちのライフルの安全装置が、一斉に外される金属音が響き渡る。絶体絶命。だが、俺の心は氷のように冷え切っていた。


 インカムから、待ちわびた心桜の声が届く。


『クロ、準備完了。「協力者」さんからのプレゼント、いつでも使えるよ!』




 無数の銃口が火を噴く、その寸前。

 俺は、静かに呟いた。


「……時間切れだ」


 その言葉が、反撃の狼煙だった。


 瞬間。

 心桜が、拠点から『協力者』のプログラムを発動させた。

 ガツン、という鈍い音とともに、立体駐車場の全ての照明、そして俺を照らしていたSUVのヘッドライトが一斉に消え失せ、世界が完全な暗闇に支配された。

 同時に、敵の無線に強力なジャミングがかかり、兵士たちが装着していた暗視ゴーグルの視界が、砂嵐のような激しいノイズで塗りつぶされる。


「なっ!? どうした!」


「ライトが消えた! 敵襲か!?」


「くそ、サーマルも使えん! 何が起きてる!」


 視覚と聴覚を同時に奪われた兵士たちが、混乱の声を上げる。訓練されたプロといえども、予期せぬ完全な情報遮断には対応できない。その動きが一瞬、完全に停止する。


 ――その、コンマ数秒の隙。


 暗闇の奥、兵士たちの背後から、蓮桜が動いた。

 彼の手には、ダンジョンで手に入れた魔鉄製の長刀が握られている。退路を塞いでいた敵のSUVに向かって、無音の疾走。


「――オラァッ!!」


 気合一閃。スキル【EXTRA剛力】を最大限に乗せた刃が、分厚い鉄板をバターのように切り裂いた。

 ギャリリリリッ、という耳障りな金属音と轟音とともに、巨大な車体が火花を散らしながら綺麗に両断される!


 そして俺は――。

 暗闇をものともしない【EXTRA気配察知】で、混乱する敵の位置、向き、呼吸のリズムまでを完璧に捉えながら、コートの懐から抜き放った短剣を握りしめ、最も近くにいた兵士に音もなく肉薄していた。狙うは命ではない。情報を吐かせるための、無力化。

 俺の刃が、アサルトライフルを握る兵士の右手の甲を、外科手術のように正確に切り裂いた。


「――ッぐ!?」


 短い苦鳴。ブチッ、と腱が断ち切れる鈍い感触。兵士の手から力が抜け、ずしりと重いライフルがコンクリートの床に落下し、ガシャン!とけたたましい金属音を立てた。

 それを皮切りに、四方八方からパニックに陥った兵士たちの銃が乱射され、コンクリートの壁や柱に弾丸が突き刺さる甲高い音が響き渡った。

 暗闇に木霊する、銃声と怒号、そして武器を奪われ無力化されていく者たちの苦悶の声。


 静かな交渉の時間は終わった。

 ここからは、一方的な狩りの時間だ。


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