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第26話 チェリーブロッサム③


 無数のフラッシュが、白く、音もなく炸裂していた。

 立川総合病院、新棟カンファレンスホール。その空気は、詰めかけた報道陣の熱気と好奇心、そして高性能な空調の低い唸りが混じり合い、まるで嵐の前の静けさのような、独特の緊張感で満たされていた。


 俺は会場後方の壁際に立ち、腕を組んで壇上を見つめる。隣には、普段の快活さを今は仮面の下に潜ませている心桜と、まるで石像のように微動だにしない蓮桜がいる。俺たちの手元には、招待者用の名目で渡された、何の変哲もないペットボトルの水だけがあった。喉は渇いているはずなのに、それを口に運ぶ気にはなれなかった。


 壇上の巨大スクリーンには、明朝体で「緊急記者会見」の文字。その下には、より小さな文字で「EXTRA回復ポーションの安定的供給体制、及び医療連携について」と、事の重大さを示す議題が記されている。


 そもそも、こんな事態になったのは一週間前のことだ。

 俺たちが立川総合病院にEXTRA回復ポーションを卸しているという事実が、どこからか漏れた。最初は小さなネットニュースだった。それが瞬く間に大手メディアに飛び火し、


「奇跡の秘薬、量産化か」


「特定の病院による独占か」


 といった憶測と憶測が絡み合い、世間は一大センセーションに包まれた。病院には問い合わせが殺到し、肯定も否定もできない状況が、さらなる混乱を招いていた。


 その火を消す――いや、コントロールするために、桐生院院長が下した決断が、この記者会見だった。


『――つきましては、ポーションの供給元である探索者パーティー、『チェリーブロッサム』の皆様にも、ぜひご同席いただきたい』


 数日前、院長室で告げられた言葉が、耳の奥で蘇る。当然の要請だった。だが、その提案に静かに首を横に振ったのは、他ならぬ理桜だった。


『院長、そのご提案ですが、パーティーからは私一人が出席します』


『理桜? しかし、それでは君一人に全ての重圧がかかることになる。あまりに危険だ』


『いいえ。これは私の、私たちの戦いです。ですが、黒狐様の存在は『切り札』であり、私たちの力の源泉です。そのお方を、興味本位の視線が渦巻く白日の下に晒すわけにはいきません』


 理桜は、俺の顔を真っ直ぐに見つめて言った。その瞳には、恐怖も迷いもなかった。あるのは、ただ揺るぎない覚悟だけだった。


『それに……これは、私が背負うべきことです。義父である院長の病院を、そして黒狐様の理想を守るためなら、私はどんな矢面にでも立ちます』


 俺が何か言う前に、蓮桜が


「理桜の覚悟は本物だ」


 と短く呟き、心桜も


「……理桜が決めたなら、私たちは全力でサポートするだけだよ」


 と頷いた。俺は、ただ彼女の意志を尊重するしかなかった。仲間が命懸けで守ろうとするものを、無下にはできない。


 ――そして今、その理桜が、たった一人で戦場に立とうとしている。


 俺の仕事は、この発表が滞りなく終わることの確認。そして、万が一の事態――例えば、理桜が狂信的なアンチに襲われるような最悪のケースに備え、彼女を連れて脱出するための最短導線を確保すること。壇上左手、演者用の通用口。右手の非常階段。そして俺たちが今いる後方扉。三つの選択肢を、脳内で何度もシミュレートする。万が一の場合は、蓮桜が壁となり、心桜が攪乱し、俺が理桜を確保する。その段取りは、すでに完璧に共有済みだ。


 やがて、司会者の厳かな声に促され、三人の人物が壇上に姿を現した。

 中央に立つのは、この病院の院長、桐生院俊夫。年の頃は五十代半ば。穏やかながらも、その瞳の奥には鋼のような意志が宿っている。彼の両脇には、病院の広報責任者と法務顧問が控えている。

 そして、その院長の隣に立つ少女の姿に、会場は一瞬、大きくどよめいた。


 桐生院理桜。彼女がその身にまとっていたのは、モノトーンのフォーマルなスーツなどではない。俺たちにとって見慣れた、しかしこの場においてはあまりにも異質な、高校の制服だった。濃紺のブレザーに、清潔な白いブラウス、そしてチェックのスカート。その腰には、場違いなほどに物々しい儀礼用のホルスターに収められた白銀のリボルバー。


 そのアンバランスさが、彼女の置かれた異常な立場を、何よりも雄弁に物語っていた。それは、覚悟の表れか、それとも計算された演出か。いずれにせよ、その表情は硬く、マイクの前に立つ姿は、まるでたった一人で法廷に立つ証人のようだった。


「本日はお集まりいただき、誠にありがとうございます」


 桐生院院長の落ち着いた声が、ホールに響き渡る。理桜の制服姿に対するざわめきが、すっと潮が引くように静かになった。


「単刀直入に申し上げます。すでに報道されている通り、当院は、これまで極めて希少とされてきたEXTRA回復ポーションの、安定的仕入れに成功いたしました」


 その一言で、再び会場がどよめく。焚かれるフラッシュの数が、一気に倍になった。


「供給量は、月に数十本。これは、従来の国内流通量を遥かに凌駕する数字です。これにより、これまで救命の現場で諦めるしかなかった重篤な患者様に対し、限定的ながらも適応を開始いたします。なお、本件に関しては、すでに院内の倫理委員会にて、その安全性と適応基準について厳格な評価を終えております」


 広報責任者が、補足資料をスクリーンに映し出す。品質保証とトレーサビリティに関するフローチャート。すべて、俺と院長が事前に何度も練り直したものだ。寸分の隙もない。


「そして、この画期的な安定供給を実現してくださったパートナーをご紹介します。迷宮探索者パーティー、『チェリーブロッサム』です」


 その名が告げられた瞬間、会場の全ての視線が、壇上の理桜へと突き刺さった。


「また、本日同席しております桐生院理桜は、この『チェリーブロッサム』に所属する現役の探索者であり、私の義理の娘でもあります」


 院長が投下した二つ目の爆弾に、会場は今日一番のどよめきに包まれた。理桜は、その喧騒と無数の視線を、ただ真っ直ぐな瞳で受け止め、制服のまま、深く、静かに一礼した。

 ショーの始まりだ。いや、彼女にとっては、これが戦争の始まりなのだ。


***


 発表が終わると、堰を切ったように質疑応答へと移った。無数の手が、まるで助けを求めるかのように挙がり、マイクを持った記者が次々と質問を投げかける。


「東都新聞です! 院長、その安定供給の鍵とは一体何なのでしょうか! 製造方法や素材について、可能な範囲でお聞かせください!」


「ご質問ありがとうございます。しかし、製造方法、及び素材については、供給元である『チェリーブロッサム』との契約に基づき、企業秘密とさせていただいております」


 予想通りの質問。そして、用意された完璧な答え。院長は、冷静に続ける。


「我々が重視したのは、その製法ではありません。徹底した品質管理です。納品されるポーションは、ロットごとに当院の専門チームが成分分析と効果測定を行い、極めて厳格な基準をクリアしたものだけを、専用の冷蔵施設で保管します。この完璧なトレーサビリティこそが、安定供給の心臓部です」


「週刊メディカルの者です! 桐生院理桜さんにお伺いします! ご自身が所属するパーティーからの仕入れとなると、利益相反行為にあたる可能性はありませんか? いわば、身内びいきではないかという疑念について、お答えください!」


 棘のある、悪意に満ちた質問が、制服姿の理桜に向けられる。俺の隣で、心桜が「むかつく……!」と小さく呟いた。蓮桜は、ただ静かに壇上を睨んでいる。


 理桜は臆することなく、マイクを握った。


「お答えします。私が義娘であること、そしてパーティーの一員であることは、本日ご覧の通り、すべて開示しております。その上で、私は本件における個人的な金銭的利益を一切受け取りません。その旨を記した宣誓書も、すでに公証役場にて作成済みです。また、ポーションの価格設定、院内での臨床判断、そして外部監査機関への報告プロセスにも、私は一切関与しないことをここにお約束します」


 毅然とした声だった。少しも震えのない、揺るぎない、誠実な響きがあった。彼女はただ事実を述べているだけではない。その言葉に、彼女自身の魂を乗せている。


> [パーティーチャット]

> 心桜:理桜ちゃん、すごい……! 震える……! あの制服で、ハイエナみたいな大人たちを相手に……!

> 蓮桜:堂々たるものだ。あの格好で出ると決めたのは理桜自身。腹の据わり方が違う。


 俺はチャットに返信する代わりに、二人の肩を軽く叩き、壇上を指した。まだ終わっていない。本当の敵は、これからだ。


「大手医療サプライ、グローバル・ファーマの者ですが」


 嫌な声がした。いかにもエリート然としたスーツの男が、挑戦的な視線で院長を睨んでいる。こいつだ。事前にリストアップしていた、最も警戒すべき人物の一人。


「企業秘密との一点張りですが、それはあまりに閉鎖的ではありませんか? 真に医療の発展を願うのであれば、その画期的な技術は広く公開し、我々のような実績ある企業が参入できる環境を整えるべきです。特定のパーティーと病院による独占は、必ずや腐敗の温床となり得ます。その『倫理観』とやらは、一体誰が保証するのですか? 閉ざされた身内だけの関係で交わされる約束など、我々市場は何一つ信用できませんな!」


 会場の空気がピリつく。男の言葉は、正論を装った巧妙な揺さぶりだ。院長は、その男を真っ直ぐに見据え、静かに、しかし鋼のような力強さで言い返した。


「それは『秘匿』ではなく、『管理』です。EXTRAクラスのアイテムは、諸刃の剣。その強力すぎる効果は、一歩間違えれば人体に深刻な副作用をもたらす可能性を秘めています。無秩序な採取や、品質の担保されない違法な精製物が出回る事態だけは、絶対に避けねばなりません。信用は、言葉で得られるものではない。我々はこれから、一人でも多くの命を救うという実績をもって、その信用を築いていきます。言葉ではなく、結果で示しましょう」


 見事な切り返しだった。男はぐっと言葉に詰まり、悔しそうにマイクを下ろす。


 最後に、初老の女性記者が、穏やかな口調で理桜に尋ねた。


「桐生院理桜さんは、探索者の間では『魔弾の聖女』という二つ名で知られています。その称号について、差し支えなければ、ご自身はどうお考えですか?」


 それは、これまでの質問とは質の違う、彼女の魂の核心に触れる問いだった。理桜は、一瞬だけ目を伏せた。ほんのわずかな沈黙が、ホールを支配する。そして、再び顔を上げた時、その瞳には深く、そしてどこか哀しい覚悟の色が浮かんでいた。高校生の制服を着た少女が語るには、あまりにも重い現実。


「それは称号ではなく、私が背負うべき責務の呼び名だと認識しています」


 彼女の声は、静かだった。だが、その静けさ故に、ホールにいる全ての者の耳に、心に、突き刺さった。


「私は、癒す者であると同時に、迷宮で害意ある者を撃つ者です。この腰にあるリボルバーの重みは、私が奪う命の重みそのものです。その現実から目を逸らさず、それでもこの手で救える命があるのなら……私は、引き金を引くことを躊躇いません。聖女などでは、ありません。私は、ただの……覚悟を決めた、探索者の一人にすぎません」


 静まり返ったホールに、彼女の声だけが響いていた。撃つことの痛みを知る者だけが持つ、言葉の重みがそこにはあった。俺は、組んでいた腕に、無意識に力を込めていた。


 締めくくりに、院長がマイクの前に立った。


「最後に、患者様、そしてそのご家族へ。我々が行おうとしていることは、魔法ではありません。これは、奇跡に筋道をつけるための、医療です。これまで諦めるしかなかった命の瀬戸際で、新たな選択肢という名の橋を架ける。そのための、ささやかですが、しかし確実な一歩です」


 その言葉は、誰の心にも深く染み渡った。

 会見は、万雷の拍手の中で、ついに幕を閉じた。


> [パーティーチャット]

> 俺:終わったな。予定通り、搬入口Bへ移動する。人混みは絶対に避けろ。




 喧騒が渦巻くホールを抜け出し、俺たちは職員用の無機質な通路を、足音を殺して静かに歩いていた。表舞台の華やかさとは対照的な、消毒液の匂いがかすかに漂う、機能性だけを追求した空間。ここが、俺たちのいるべき場所だ。


 搬入口B。そこは、ひんやりとした空気が支配する、だだっ広いコンクリートの空間だった。大型トラックが着けられるプラットフォームの隅で待っていると、やがて重厚な通用口のドアが開き、理桜が一人で現れた。


「黒狐様。お待たせしてしまい、申し訳ありません」


 制服姿のままの彼女は、壇上にいた時の張り詰めた表情を解き、俺の前に立つと深々と頭を下げた。その声には、極度の緊張から解放された安堵と、そして俺に対する明確な敬意が滲んでいた。


「顔を上げろ、理桜。見事な会見だった」


 俺は、仮面の下で、自分でも驚くほど穏やかな声が出たことに気づいた。


「……すまなかったな、理桜。お前に一人で、あんな場所に行かせてしまった」


「謝らないでください、黒狐様」


 理桜は顔を上げた。その頬は、わずかに上気している。


「私は、あなたの盾になれたことが誇らしいのですから。それに、一人ではありませんでした。会場の後ろに、あなたたちがいてくれる。そう思うだけで、私は少しも怖くありませんでした」


 彼女の言葉が、俺の胸に温かく響く。


「お前の言葉が、一番響いていた。真実の言葉だったからだ」


「……! もったいないお言葉です」


 理桜は嬉しそうに俯くと、壁に設置された認証パネルに手をかざした。重厚な電子ロックが解除され、巨大な冷蔵倉庫の扉が重い音を立てて開く。マイナス20度に設定された冷気が、白い霧となって俺たちの足元に流れ出してきた。


 俺は、背負っていた特殊な保冷ケースを降ろし、中から今月分の第二ロットを取り出す。黄金色の光を放つ十数本の綺麗な小瓶。理桜がバーコードリーダーを手に取り、一本一本、丁寧に検品していく。ピッ、ピッ、と無機質な電子音が、静かな搬入口に響いた。


「表は派手に、裏は静かに。これが俺たちのやり方だ」


「はい。……黒狐様と二人でこうして影の中にいると、なぜか……心が安らぎます。ここが、私の本当の居場所なのだと、そう思えるんです」


 ポツリと漏らされた言葉に、俺は何も答えなかった。彼女の心酔にも似た信頼が、どこか危うい熱を帯びていることには気づいている。だが、今はそれに触れる時ではない。今はただ、この戦い抜いた少女の心を、静かに受け止めてやりたかった。


 検品を終えたポーションが、専用のラックに収められていく。この一本一本が、誰かの命を繋ぐ。その事実だけが、この薄暗い場所で確かな手触りを持っていた。


 すべての作業を終えた時、蓮桜と心桜が小走りでやってきた。


「お疲れ、理桜! めちゃくちゃカッコよかったぞ! 俺、ちょっと感動した!」


「本当、すごかったよ理桜ちゃん! 私、モニター見ながら泣いちゃった! あの意地悪なサプライの男、ぶん殴ってやろうかと思ったもん!」


「二人とも、ありがとう。見ていてくれたのね」


 仲間たちの前では、彼女はまたいつもの冷静な表情に戻る。だが、俺と一瞬だけ目が合うと、その表情がふわりと和らいだのを、俺は見逃さなかった。


 心桜が、どこで買ってきたのか、プリンの入ったコンビニ袋を理桜に差し出す。


「はい、これ! 頑張ったご褒美! 脳みそ使った後は糖分補給しないとね!」


「ふふ、ありがとう、心桜。いただくよ」


 理桜は、少し照れたようにそれを受け取った。


 蓮桜が、壁に立てかけていた細長いケースを肩に担ぎ直した。中身は、先だって購入したばかりの魔鉄の刀だ。


「しかし、これから面倒なことになりそうだな。グローバル・ファーマのあの食いつき方、普通じゃなかった。連中は必ず何か仕掛けてくる」


「ああ。利権、妨害、あるいは……ポーションそのものの奪取。あらゆる可能性を想定しておく必要がある」


俺の言葉に、心桜がげんなりとした顔をする。


「うへぇ、物騒だなぁ。ま、誰が来ても、蓮桜のその……」


 心桜が、蓮桜のケースを指さす。


「……その、巨大なバットで、ホームランだよね!」


「これは刀だ。何度言ったら分かるんだ。それに、俺は野球部じゃない」


「いいじゃん、細かいことは! 明日の訓練、それで素振り千本ね!」


「斬り合いなら、いつでも受けて立つがな」


 いつもの軽口が、張り詰めていた空気を優しく溶かしていく。そうだ、これが俺たちの日常だ。表舞台の喧騒も、裏で渦巻く陰謀も、この四人でいれば乗り越えていける。


 量産の扉は、確かに開いた。EXTRAという奇跡を、管理された日常へと引きずり下ろすための、これは最初の一歩にすぎない。その高揚感と同時に、これから来るであろう激しい軋みを、俺は冷静に感じ取っていた。

 パンドラの箱は、もう開かれたのだ。


 だが、恐れはない。刃が、炎が、癒しが、そして影がここにある。

 俺たちは、『チェリーブロッサム』なのだから。



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