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第2話 迷宮探索者資格試験

 あの屈辱的な全裸帰還から数日。俺、村雨黒桜(むらさめくろう)は、固い決意を胸に、迷宮探索者協会(通称JDS)立川支部の前に立っていた。今日は週に一度の探索者資格試験の日。十六歳の誕生日まで一ヶ月を切った俺に、ようやく受験資格が与えられたのだ。

 この日のために、付け焼き刃ではあるが、参考書を読み漁って最低限の知識は頭に叩き込んである。


 見上げる立川支部は、ガラス張りの近代的な高層ビルだった。ビジネスマンや買い物客が行き交う駅前の喧騒の中で、そこだけが異質な空気を放っている。

 中へ入ると、吹き抜けの高い天井と磨き上げられた大理石の床が印象的な、ホテルのロビーのようなエントランスが広がっていた。だが、人の姿はまばらだ。きっと今頃、多くの探索者たちはダンジョンで命懸けの汗を流しているのだろう。


 発券機から番号札を受け取ると、ほとんど待つことなく番号が呼び出された。カウンターの向こうには、絵に描いたような笑顔の素敵な受付嬢が座っている。


「本日はどのようなご用件でしょうか?」


 柔らかな声、優しげな眼差し、完璧なスマイル。うっ……直視できない。


「あ、あの、し、資格試験の、申し込みを……」


「はい、承知いたしました。こちらの書類にご記入をお願いしますね」


 差し出された書類を受け取る指先が、微かに彼女の指に触れた。それだけで心臓が跳ね上がる。ぽーっと見惚れていると、彼女が不思議そうに小首を傾げた。


「お客様……? どうかされましたか?」


「い、いえ! なんでもないです! すぐ書きます!」


 慌てて記入を終え、再びカウンターへ。すると、彼女は俺の提出した書類に目を通しながら、ふと顔を上げた。


「村雨……黒桜さん、ですか。素敵なお名前ですね」


「え、あ、ありがとうございます! 立川のダンジョンの桜が由来でして……」


「まあ、そうなんですか。頑張ってくださいね。試験会場はこちらの通路をまっすぐ進んだ突き当りです」


 女神か。ここに女神がいた。

 俺は鼻の下を伸ばし、だらしない笑みを浮かべたまま、ふらふらと試験会場へ向かった。


 しかし、そんな天国気分は、会場の扉を開けた瞬間に霧散した。

 すでに十数人の受験者が、緊張した面持ちで席に着いている。俺が部屋に入ると、何人かの視線が突き刺さった。その中で、ひときわ冷たく、鋭い視線があった。

 部屋の中ほどに座る、俺と同じくらいの歳の少女。切りそろえられた黒髪、透き通るような白い肌、そして意志の強さを感じさせる涼やかな目元。まるで人形のように整った顔立ちだが、その瞳は俺のだらしない表情を正確に見抜き、あからさまな軽蔑を浮かべていた。


(うっ……なんでそんな目で見るのさ……)


 俺は蛇に睨まれた蛙のように固まり、慌てて彼女から一番遠い席に腰を下ろした。

 やがて、試験官が入室し、重々しい口調で試験の開始を告げた。


 筆記試験は、驚くほど簡単だった。


『ダンジョンシーカーは、初級、中級、上級の三つの等級に分かれている。〇か×か』


『等級を上げるためには協会への貢献度ポイントが必要であり、規定ポイントに達した者は昇級試験を受けられる。〇か×か』


 といった、参考書の一ページ目に載っているようなマルバツ問題ばかり。これなら一夜漬けの俺でも全問正解できそうだ。恐らく、ここで落ちる人間はいないだろう。重要なのは、この後の実技試験だということだ。


「筆記試験はここまで! 全員、荷物を持って私についてこい!」


 無骨な男性試験官に促され、俺たちはビルの内部を移動し始めた。連れてこられたのは、巨大な吹き抜け空間の中心。そこには、信じられない光景が広がっていた。


 一本の、巨大な桜の木。


 幹回りは二十メートルを超え、天を突くように伸びるその巨木は、一年中、漆黒の花を咲かせている。ビルの中心を貫くように存在する、立川ダンジョンの入り口だ。


 俺の名前、黒桜の由来となった、この世ならざる桜。実物を見るのは初めてだったが、その圧倒的な存在感に息を呑んだ。

 幹には直径十メートルほどの巨大な『うろ』があり、その内部はゼリーのようにグニャグニャと空間が歪んで見えた。


「さあ、恐れずに入れ。これが現実だ」


 試験官に背中を押され、俺は恐る恐る歪んだ空間に手を伸ばす。指先が触れた瞬間、グニュン、と腕が吸い込まれた。抵抗する間もなく、全身が奇妙な浮遊感と共にうろの中へと引きずり込まれる。

 視界が反転し、気づくと俺は、だだっ広い草原の真ん中に立っていた。

 見上げれば青空に白い雲。見渡せば地平線の彼方まで緑の草原が続いている。振り返ると、そこには先ほどまでいたビルはなく、代わりに例の巨大な黒桜の木が一本、ポツンと立っていた。


 ここがダンジョンの第一階層。


 続々と転移してくる受験生たちが、皆、俺と同じように呆然と周囲を見回している。


「整列!」


 ダンジョン内で待機していた別の試験官たちの号令で、俺たちは受験番号順に並ばされた。偶然にも、俺の隣にはあの黒髪の少女が立っている。気まずさから視線を合わせられずにいると、試験官が実技試験の内容を発表した。


「これより、隣にいる者とペアを組んでもらう! 課題は、害魔獣ゴブリン一体の駆除、および死体から魔石を回収するまでの解体作業だ! これは探索者の基本中の基本であり、最初の試練でもある! できない者は即不合格だと思え! まずはあそこから武器と防具を選べ!」


 指し示された先には、簡易的なテーブルの上に、ショートソードやスピア、革鎧や防刃ベストなどが並べられていた。

 俺がどれにしようか迷っている間に、隣の少女は装備には目もくれず、腰に下げたホルスターを確かめている。自前の装備か。


「使い慣れた自分の武器がある者は使用を許可する! 各自、悔いのないように準備しろ!」


 試験官の言葉に、俺は慌ててスタンダードなショートソードと防刃ベストを手に取った。

 少女が装備していたのは、一丁の拳銃だった。流れるような動作で、状態を確認して再びホルスターに収める。その所作は、とても素人とは思えなかった。


(銃……カッコいいな……)


 それに比べて、借り物の剣をぎこちなく構える俺のなんと情けないことか。

 一人の試験官が少女に気づき、感心したように声をかけた。


「ほう、【魔弾】のスキル持ちか。良いスキルを手に入れたな。期待しているぞ! 今回の受験生は当たりだ!」


 ハッハッハー、と豪快に笑いながら、試験官は俺のことなど存在しないかのように通り過ぎていく。期待されていないのは百も承知だが、せめて「君も頑張れ」くらい言ってくれてもいいじゃないか。


 隣から突き刺さる冷たい視線に、俺は「コワイ、ニラマナイデクダサイ」と心の中で悲鳴を上げた。


 こうして、俺と彼女、そして試験官の三人一組での実技試験が始まった。

 広大な草原をしばらく歩くと、試験官が不意に足を止めた。


「止まれ。あそこにゴブリンがいるのが見えるか?」


 指さす方向、二百メートルほど先に、緑色の肌をした小学生くらいの大きさの人型生物が棍棒を手にうろついている。


「さて、どちらからやる?」


 試験官の問いに、少女がちらりと俺を見た。その視線が「どうせアンタじゃ無理でしょ?」と語っているように感じた俺は、虚勢を張った。


「えっと……レディーファースト、で」


 断じてビビったわけじゃない。これは紳士としての嗜みだ。


「……最低ね」


 吐き捨てるように呟き、彼女はゴブリンの方へ向き直ると、ホルスターから流麗な動きで拳銃を抜いた。両手でしっかりとグリップを握り、狙いを定める。その構えは、映画のワンシーンのように美しかった。

 ゴブリンがこちらに気づき、奇声を上げて突進してくる。距離が五十、四十、三十メートル……!

 次の瞬間、銃口が閃光を放ち、甲高い炸裂音と共に光の弾丸が撃ち出された。スキル【魔弾】。それは魔力を弾丸に変換し、物理法則を超えた威力と速度で撃ち出すスキルだ。

 光線は一直線にゴブリンへと伸び、その頭部をトマトのように破裂させた。


「う……」


 脳漿と血飛沫が飛び散る光景に、思わず胃液がせり上がってくる。

 彼女は顔色一つ変えず、硝煙の匂いが残る銃を構えたままゴブリンの死体に近づくと、足で軽くつつき、絶命しているのを確認。腰のナイフを抜き、躊躇なくその胸を切り裂くと、手際よく心臓近くに埋まっていた赤い魔石を抉り出し、試験官に差し出した。


「……よし、合格だ。見事な手際だな。解体の経験もあるのか?」


「はい。養父に教わりました」


 そっけない返事と共に、彼女は魔石についた血を布で拭い、俺の隣に戻ってきた。


「ほら、次はお前の番だぞ! 行け!」


 試験官に尻を叩かれ、俺は覚悟を決めた。

 しばらく歩き回ると、新たなゴブリンが一体、茂みから姿を現した。


「は、はい! うぉおおおおー!」


 緊張と恐怖で、作戦も何もない。とにかく気合を入れようと大声を上げ、がむしゃらに駆け出した。完全に素人丸出しの突撃だ。

 ゴブリンは、俺の姿を認めると、醜い顔をニヤリと歪ませ、涎を垂らしながら迎え撃ってきた。

 その下卑た表情に、俺の足が竦む。恐怖でスピードが緩み、もつれた足が最悪のタイミングで地面を蹴った。


 ズザザーッ!


「うわっ!?」


 ゴブリンの目の前で、俺は盛大にすっ転んだ。手から滑り落ちたショートソードが、カランと音を立てて数メートル先へ転がっていく。


「何をやっている! 早く剣を拾って立て!」


 試験官の怒声が飛ぶが、体が動かない。呆然と尻餅をつく俺に、ゴブリンは容赦なく飛びかかってきた。


「ぐっ!」


 馬乗りになられ、全体重をかけられる。腥い息が顔にかかり、ゴブリンが振り上げた錆びた剣が、鈍い光を放っていた。

 とっさにその手首を両手で掴み、全体重をかけて抵抗する。ギリギリと骨が軋む音が聞こえた。


 ヤバい、ヤバい、ヤバい! どうすればいい!?


 死の恐怖が脳天を突き抜け、不思議と頭がクリアになっていく。

 武器はない。スキルはあるが、あんなふざけた名前のスキルがこの状況で役に立つのか?


「おーい、坊主、ギブアップか? それならすぐに助けてやるぞー?」


 遠くから、試験官のどこか楽しんでいるような声が聞こえた。

 命大事。ギブアップするのが賢明だ。


「ぎ、ギブ……」


 俺がそう言いかけた時、試験官は嘲るように言葉を続けた。


「なんだ? 本当にギブアップか? 情けないな。そこの嬢ちゃんみたいに、お前にはスキルなんてないんだろうが……もう少し根性見せたらどうだ?」


 その言葉が、俺の中の何かに火をつけた。


(スキルが、ない……?)


 違う。俺にだって、あるじゃないか。

 根性はない。でも、スキルなら、ある。

 俺は、ゴブリンに押さえつけられながら、最後の望みをかけて呟いた。


「――現実逃避」


 視界が歪む。肉体が霧散し、意識だけがふわりと宙へ浮き上がった。

 眼下には、俺の体を押しつぶそうとしていたゴブリンと、その下にあるはずの俺の体が消えたことで、前のめりに地面へ突っ伏すゴブリンの姿があった。

 近くに転がる、俺のショートソード。


(あれを……!)


 意識体である俺に、剣は掴めない。だが、あの日の練習を思い出す。このスキルを操るのは、筋力じゃない。イメージの力だ。


『掴め! 動け! あのゴブリンの背中に突き刺され!』


 生き残りたいという強烈な意志が、超常の力を引き出す。

 現実世界では、不可解な現象が起きていた。

 突如として姿を消した少年のいた場所に、転がっていたはずのショートソードが独りでに浮き上がり、地面に突っ伏したゴブリンの背中目掛けて、まるで意志を持ったかのように突き刺さったのだ。


「ギッ!?」


 悲鳴を上げる間もなく、ゴブリンは絶命した。


 それと同時に、俺の意識が急速に現実へと引き戻される。MP切れだ。


「うぐっ……」


 ゴブリンの死体のすぐそばに、俺の肉体が再構成される。もちろん、全裸で。


「な……なんで、裸……!? 最低ね……」


 隣の少女から、心の底からの軽蔑を込めた声が聞こえた。

 全身の力が抜け、俺は恥ずかしさも忘れて大の字に倒れ込む。情けないことに、ぷらんぷらんしているモノを隠す気力もなかった。


「……とりあえず、服を着ろ」


 呆れ果てた試験官が、ゴブリンの死体の下から俺の服を引っ張り出し、放り投げてくれた。


 実技試験を終えた者から、順次面接が行われる。俺が面接室に入ろうとすると、入れ違いに出てきた黒髪の少女に、またしてもゴミを見るような目で見られた。


「……変態」


 ボソッと呟かれたその一言が、俺の心を深く抉った。


 面接室で待っていたのは、迷宮探索者協会立川支部長、その人だった。ずんぐりむっくりのオヤジを想像していたが、そこにいたのは、シャープなスーツを着こなした、いかにもキャリアウーマンといった風情の美女だった。


「こんにちは。立川支部長の間宮(まみや)(しおり)と申します。どうぞ、お座りください」


 知的な眼鏡の奥から、冷静な瞳が俺を射抜く。


(間宮……栞さん……! なんて素敵なお名前!)


 あまりの美しさに、俺はまたしても넋を失い、ぽーっと見惚れてしまった。


「オホン。席にお座りください、村雨黒桜君」


 咳払いで我に返り、俺は慌てて自己紹介をする。


「む、村雨黒桜です! よろしくお願いしましゅ!」


 また噛んだ……。

 栞さんは俺の失態など気にも留めず、淡々と面接を進める。


「それではまず、志望動機をお聞かせください」


 そう言いながら、彼女は目の前で長い脚を組み替えた。スリットの入ったタイトスカートから覗く、滑らかな曲線美。


「えっと……お金が、欲しいからです!」


 脚線美に完全に意識を奪われ、俺はバカ正直に本音をぶちまけていた。


「……ほう。一攫千金を夢見て、と?」


 栞さんの目が、キリッと鋭くなる。その凄まじい迫力に、俺はタジタジになりながら、自分の家庭の事情を正直に話した。平凡なサラリーマンの父、パートの母、そして高校生活で必要になるであろう、自分の力で稼ぎたいお金のこと。

 話を聞き終えた彼女は、厳しい表情のまま、ふっと息を吐いた。


「……そうですか。ご両親は、君が探索者になることに賛成を?」


「い、いえ……猛反対されてます」


「そうでしょうね……まあ、その話は今は置いておきましょう。私は【鑑定】のスキルを持っています。これは受験者全員にお願いしているのだけれど、君のスキルを鑑定させてもらってもいいかしら?」


 隠してもバレる。俺は正直に、数日前に祖父の形見のスキルクリスタルを使い、【現実逃避】というスキルを覚えたことを話した。


「あの……探索者になる前にスキルを覚えるのって、違法じゃ……」


「法律上はグレーゾーンね。ですが、数日前なら問題ないでしょう。それでは、鑑定します」


 栞さんが真剣な眼差しで俺を見つめてくる。


(そんな熱い目で見られると……照れる……)


 次の瞬間、彼女は「プッ」と吹き出した。


「く……失礼。本当に……『現実逃避』なんてスキルがあるなんて……ふふっ」


 笑われた。完全に笑われた。しかも、綺麗な顔が笑いを堪えてプルプル震えている。


「あ、あの……」


「ご、ごめんなさい。新発見のスキルとして登録すれば、報奨金が出ますから。プププッ……」


「報奨金! い、いくら貰えるんですか!?」


 金の話に、俺の目は輝いた。


「そうね……確か、一万円だったかしら? 試験に合格したら、帰りに受付で貰っていってちょうだい。プッ……」


 最後まで笑いをこらえきれない支部長に見送られ、俺は面接室を後にした。


 結果として、俺は無事に探索者資格試験に合格した。

 手にしたばかりの探索者免許証と、報奨金の一万円札。得たものと、失ったもの(尊厳)を天秤にかけ、俺は深くため息をついた。

 変態と呼ばれ、スキル名を笑われ、散々な試験デビューだったが、それでも俺は、確かに非日常への扉を開けたのだ。

 村雨黒桜、十六歳目前。

 退屈だった現実から逃避して始まった俺の探索者生活は、どうやら前途多難らしい。


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