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第1話 退屈の終わりと、奇妙な始まり

 退屈だ。

 窓の外で鳴くカラスの声も、液晶画面に映し出される派手なエフェクトのスマホゲームも、これから始まる高校生活という未知への期待さえも、俺の心を覆う薄っぺらな膜を突き破ってはくれない。


 村雨黒桜むらさめ くろう、十五歳。この春から高校生。どこにでもいる、平凡な少年。それが俺の世界における立ち位置だった。


「ただいまー」


 リビングのドアが開き、母さんがパート先のエプロンを畳みながら入ってくる。スーパーの総菜コーナーの匂いが、ふわりと鼻をかすめた。


「あら、黒桜。またゲーム? もうすぐ高校生になるんだから、少しは勉強したらどうなの」


「してるって。ちゃんと課題も終わらせてる」


 口ではそう答えながら、俺の視線はテレビに釘付けになっていた。画面の中では、日本が世界に誇るトップシーカー、『雷獣』と呼ばれる男が、インタビューに答えている。彼が身につける装備は高級外車が何台も買える値段で、年収は天文学的な数字だと特集されていた。


 19XX年、世界中に突如として『ダンジョン』が出現した。


 それは洞窟や塔、あるいは空間の亀裂のような形で現れ、内部は異次元に繋がっていた。そして、なぜか日本は世界で最もダンジョンの発生数が多い国となった。


 当初、政府は自衛隊を派遣したが、銃火器の効かない『害魔獣』の前に多大な犠牲を払った。しかし、その混乱の中で発見されたのが『魔石』と『スキルクリスタル』だ。


 魔石は新たなエネルギー資源となり、社会を一変させた。

 この魔石を使った発電システムは、今までの発電プロセスを大きく変える。

 今までの火力発電なら火を燃やし、水を蒸発させその力でタービンを回し発電に至っていたのを、魔石は中に内包されている魔力を直接電気に変換できたのだ。


 ダンジョンの低階層に出てくる害魔獣のスライムやゴブリンから採れる魔石1つで、なんと1万キロワットの電力に変換できる。

 これは約3333世帯分の1日分の電力量になるという。


 そして、害魔獣を駆除した死体から、ごくまれに魔石以外のスキルクリスタルと言われる物が採れる。


 これを口に入れて摂取する事によって、スキルを覚えられるのだ。

 それはダンジョン内で新たに見つかった未知のエネルギー、魔力を使い起こせる現象で、御伽噺や漫画などに出てくる魔法そのもの。


 炎を出せるようになったり、身体を強化できるようになったりと様々な恩恵が与えられる。


 人それぞれ適正があるスキルしか覚えられないが、種類は多く、今までに数百種類のスキルストーンが見つかっている。


 この他にも、ダンジョン内で採掘される鉱石はレアメタルや未知の鉱物が見つかったり、時折出現する謎の箱に、現代技術では再現不可能なアイテムや道具が入っており、ダンジョンの有用性から日本政府は、日本迷宮探索者協会(JDS)を立ち上げ、国民から広くダンジョンシーカー(探索者)を公募した。


『雷獣』は言う。


「危険はありますが、それに見合う夢がある仕事です」


 夢、か。

 俺はテレビを消し、大きくため息をついた。


 俺の現実は、夢とはほど遠い。父さんはごく普通のサラリーマンで、毎日満員電車に揺られて会社へ行く。母さんはパートと家事をこなし、夕飯の献立に頭を悩ませる。

 それが俺の日常。二人が必死に築き上げてくれた、平凡で、安全で、そして……息が詰まるほど退屈な日常。


「なあ、母さん。俺、探索者の資格、取ろうと思うんだけど」


 夕食の食卓で、俺は意を決して切り出した。箸が止まる。父さんの眉間に、深い谷が刻まれた。


「……何を馬鹿なことを言っているんだ」


「馬鹿なことじゃない。十六歳から資格は取れる。春休み中に講習を受けて、誕生日が来たらすぐに登録するつもりだ」


「ふざけるな! あの仕事がどれだけ危険か、お前だって知っているだろう!」


 父さんの怒声が飛ぶ。母さんは心配そうに俺の顔を見ていた。


「黒桜、どうして急にそんなことを……。お父さんの言う通りよ。毎年何人もの人が、ダンジョンで命を落としているのよ」


「金だよ」


 俺はぶっきらぼうに答えた。


「高校に入ったら、色々金がかかるだろ。友達と遊びに行ったり、欲しい服やゲームを買ったり。それに……小遣いだけじゃ、何もできない。バイトするより、探索者の方がずっと効率がいい」


「金のためだけに命を懸けるというのか! 俺たちは、お前にそんな危険なことをさせるために育ててきたんじゃない!」


「俺の人生だろ! 退屈な毎日をただ過ごすなんて、死んでるのと同じだ!」


 売り言葉に買い言葉。俺は椅子を蹴立てて自室に閉じこもった。

 わかっている。両親が俺を心配してくれていることくらい。でも、このままじゃダメなんだ。この灰色の日々から抜け出すには、何か特別なきっかけが必要だった。

 ダンジョンの向こう側にあるという、莫大な富と、非日常。それが、今の俺にとって唯一の光に見えた。


 数日後、両親との冷戦が続く中、俺は自室の片付けをしていた。高校の教科書を本棚に並べるため、古い漫画や雑誌を段ボールに詰めていく。その時、クローゼットの奥に、埃をかぶった小さな桐箱があるのに気がついた。


 なんだ、これ?


 記憶にないその箱を、そっと開けてみる。中には、ビロードの布に包まれて、消しゴムほどの大きさの結晶体が一つ、静かに鎮座していた。

 陽の光を受けて、それは淡い紫色の光を内包しているように見えた。


「スキルクリスタル……?」


 まさか。うちは探索者とは無縁の家系だ。こんな高価なものが、なぜここに?

 後で母さんに聞けば、それは昔、病気で亡くなった祖父の形見だという。祖父が若かりし頃に探索者としてダンジョンに潜り、手に入れたものらしい。しかし、祖父はその探索で仲間を失い、二度とダンジョンに近づかなかったそうだ。そして、このクリスタルも、適性者がいなかったため、いつしか忘れ去られていたのだという。


 運命だ、と思った。

 これは、俺が探索者になるための天啓なのだと。

 俺は両親に内緒で、そのクリスタルにそっと指先で触れた。


 ――ジワッ。


 心臓が跳ねた。クリスタルが、紫と黒が混じり合ったような、怪しくも美しい光を放ったのだ。適性がある!


「やった……!」


 声にならない声が漏れる。あとはこれを食べるだけ。そうすれば、俺もスキルホルダーになれる。

 ゴクリと唾を飲み込み、震える手でクリスタルを口に運んだ。味はない。ただ、舌の上でジュワッと溶け、冷たい液体が喉を滑り落ちていく感覚だけがあった。


 その直後だった。


 ズキンッ!


 金槌で脳を直接殴られたような、凄まじい頭痛が俺を襲った。視界が白く点滅し、意味不明の情報が洪水のように脳内へ流れ込んでくる。まるで、分厚い辞書を無理やり頭に詰め込まれているかのようだ。


「ぐっ……あ……ぁぁっ!」


 俺は床にうずくまり、頭を抱えて痛みに耐えた。どれくらいの時間が経ったのか。永遠にも思える苦痛が嘘のようにスッと引いた時、俺は汗だくで荒い息を繰り返していた。

 そして、理解した。俺の脳に、新たな知識として焼き付けられたスキルの正体を。


「このスキルは……【現実逃避】……?」


 なんじゃそりゃあ!

 俺は思わず叫んだ。期待していたのは、炎を操る『ファイアーボール』や、身体能力を高める『フィジカルブースト』のような、戦闘で役立つカッコいいスキルだった。なのに、なんだ【現実逃避】って。ただのネガティブな四字熟語じゃないか。


 スマホで既知のスキルリストを検索してみるが、そんなふざけた名前のスキルはどこにも載っていない。まさか、誰も発見したことのない『ユニークスキル』なのだろうか。だとしても、名前がひどすぎる。

 落胆と困惑が胸の中で渦巻く。しかし、手に入れたからには、試してみるしかない。

 俺は深呼吸を一つして、脳に刻まれた起動コマンドを口にした。


「――現実逃避」


 瞬間、世界がぐにゃりと歪んだ。

 全身が粘土のようにこねられ、引き伸ばされ、そして一点に圧縮されるような、強烈な吐き気を伴う浮遊感。

 次の瞬間、俺の意識は、ふわりと天井近くまで浮き上がっていた。


「うおっ!?」


 眼下には、さっきまで俺がいた自分の部屋が広がっている。机も、ベッドも、床に転がった漫画雑誌も、全てがミニチュアのようだ。


「す、すげぇ……浮いてる……」


 感動したのも束の間、俺はとんでもない事実に気づいた。

 自分の体がない。いや、あるにはあるのだが、半透明で、しかも……全裸だった。


「なっ、なんで裸!? しかも俺の服、ベッドの上に脱ぎ捨ててあるぞ!?」


 パニックに陥りながら、俺は部屋の中をふわふわと飛び回る。どういうことだ。幽体離脱? でも、肝心の俺の肉体はどこにも見当たらない。

 まるで、体だけがこの現実から消え去り、意識だけがここに残されたかのようだった。


 OK、落ち着け、俺。村雨黒桜。これはスキル、【現実逃避】の効果だ。

 俺は必死に自分をなだめ、この現象を考察し始めた。

 幽体離脱とは違う。これは、肉体ごと現実とは別の位相空間かどこかへ『逃避』し、意識だけがゴーストのように現実世界を観測できるスキルなのではないか。


 一つの仮説にたどり着いた時、新たな欲求が湧き上がってきた。

 ――空を飛びたい。

 この状態でなら、自由に移動できるのではないか。俺はクロールのように腕をかいてみたが、その場で虚しく手足が空を切るだけだった。

 おかしい。さっきは無意識に部屋の中を動き回れたはずなのに。


 あれ? そう言えば、いつもはどうやって動いてたんだっけ?


普段、歩行原理を理解して歩いている人間がどれ程いるだろうか?


 身体に作用している重力を、足によって生み出す適切な反力のやり取りによって二足足歩行は完成するのだが、その力を制御する為の運動指令を行う複雑な神経回路は、二足足歩行に適した人間の身体があってこそ効力を発揮する。


 例えば、完璧に人間そのままの歩行プログラミングを組めたとしても、ロボットの構造が人と同じでなければ人間の様に歩ける完全な二足足歩行ロボットになる事は無い…


 世に出回っている二足足歩行するロボットは、そのロボットの構造にあった歩行プログラミングを人間が作り上げているだけ、つまりは、スキル、現実逃避状態の現状の構造に合った動かし方をしなければ動けないということだった。


 ここで、俺の今の姿を確認してみる。


 この意識体とでもいう存在には、神経回路はもちろん、筋組織や骨格などありはしない。


 いくら普段通りのやり方で、身体を動かそうとしても違う物体なので動く訳がないのだ。


 いずれにしても、科学的に物体と定義できるかは疑わしいが…


 これってさ… 幽体離脱ってのとは違って、俺の身体自体が現実とは違う世界に居るって事?

 ダンジョンが有り、スキルなんて物が存在しているのだ。

 この仮説は、恐らく間違ってはいないであろう。


 ツンツンと自分の透けた身体をつつきながら気づく、手をツンツンと動かす事ができるのだ!


 先程、移動できなかった時と、今、手をツンツンと動かした事の違いは何か?


 簡単に言うと、先程の俺の行動は移動をする為に意識を割いたのではなく、クロールをして泳ぐという事で前に進めると勘違いをした結果、その場で浮いたままバタバタとクロールをするだけに終わったのである。


 当然であろう、このフワフワと浮いている意識体には、物体としての体積も容積もなく、空気抵抗など起こりうる術がないのだから、いくら手を漕いだところで前に進める訳がない。


 要するに、この意識だけがある現実逃避をした存在は、イメージが全てなのだ。


 手を動かしたければ、手を動かすイメージ、移動したければ、速さなどを考慮してA地点からB地点まで意識自体を動かすイメージが必要になる。


 試行錯誤の末に、僕は部屋の端まで移動するイメージを試みる。


『あそこへ移動する』


 そう強く念じた。

 すると、俺の意識体は、コマのように高速回転しながら壁に向かって突進し――ズボッ!――いとも簡単に壁を通り抜けた。


「うわあああああっ!?」


 制御不能のまま家の外まで飛び出してしまった俺は、見慣れた住宅街の上空で静止した。夜空には満月が浮かび、街の灯りが星のように瞬いている。

 すごい。本当に飛んでいる。

 恐怖よりも先に、心を占めたのは圧倒的な高揚感だった。退屈だった灰色の世界が、今は足元で宝石箱のように輝いている。これが、非日常。俺がずっと求めていたもの。


 だが、その感動も長くは続かなかった。

 再び、あの身体が引き伸ばされるような奇妙な感覚が襲う。体中のエネルギーが、まるで栓を抜かれた風呂の水のように急速に失われていくのがわかった。


「まずい……これが、MP切れってやつか……!」


 視界が暗転し、俺の意識は現実世界へと強制的に引き戻される。


 ドサッ!


 鈍い音と共に、俺の体は路上に出現し、重力に従ってアスファルトに叩きつけられた。全身を襲う虚脱感で、指一本動かせない。

 肩で息をしながら、なんとか顔を上げる。見慣れた我が家の壁が見えた。

 そして、月明かりに照らされた自分の姿が目に入る。


 ……フルチンだ。


 最悪だ。スキルを発動した時、着衣ごと『逃避』するイメージをしなければ、体だけが異空間へ飛んでしまうらしい。なんて厳しい仕様なんだ。


 情けない自分の姿に、思わず乾いた笑いがこぼれた。

 金のため、退屈な日常から抜け出すため。そんな動機でなろうとした探索者。手に入れたのは【現実逃避】なんていう、ふざけた名前のスキル。


 でも、と俺は思う。


 このスキルは、本当にハズレなのだろうか。

 あの空を飛んだ時の、万能感。世界を支配したかのような、あの感覚。

 この力は、使い方次第で、無限の可能性を秘めているのではないか。


「金のため、だけじゃないな……これは」


 俺は、スッポンポンのまま夜空を見上げた。

 まだ誰も知らない、未知のスキル。それは、俺の退屈な現実を、根底からひっくり返してしまうかもしれない、とてつもない可能性の扉だった。


 村雨黒桜、十五歳。

 かくして、俺の奇妙で、波乱に満ちた探索者生活は、史上最も情けない形で幕を開けたのだった。

 まあ、まずは家に忍び込むために、鍵の開いている窓を探すのが先決だが。

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