第十一話 私が私であり続けるため
昼休憩も終わり、皆がレッスン室に戻ってくる。
「すいません、レッスンを始める前に、私たちからお願いって言いますか、提案……いや、やっぱりお願いですね。頼みがあるので、聞いてもらってもいいでしょうか」
黒須野のその言葉に、舞台田は木ノ崎の顔を見る。木ノ崎は黙って舞台田に対し「どうぞ」といった具合に手を差し出す。
「いいよ。聞かせて」
「はい。その、三人で話して……やっぱり、晃には、もっと全力を出してもらいたいって、そうしようってことになりました」
「具体的には?」
「晃がいつでも、心底笑っていられるようなものを、です」
「……覚悟はできてんの? 特にあんた、十子。はっきり言うけど、真は、真の場合は晃とのパフォーマンスの差くらい持ってる顔とオーラで帳尻がつくよ。それくらいの差は別に屁でもないって。これはもちろん、客の話ね。商売の話。外からの目の話。
その点あんたは、当然二人と比較しかされない。今まで以上にその差が際立つ。それこそ、誰が見たってわかるくらいに。あることないこと言われるでしょ。世の中数多転がってる心無い言葉、もといはなから傷つけるためだけの言葉が向けられる。そういう覚悟、ある?」
「……でも、それって今までと何も変わりませんよね?」
黒須野はそう言い、舞台田をまっすぐ見つめ返す。
「今までだってそうですよ。どうしたってそうですよ。二人との差なんて、私が一番わかってます。この体が刻まれるくらい、はっきりわかってます。それを晃のお情けだとか、真に気使われて、そんなんで誤魔化されたって、むしろそっちの方が私の魂は傷つきますよ」
黒須野は、挑むように笑う。
「覚悟なんて、別にないです。私が一番怖いのは、私が私じゃなくなることだから。だから誰に何言われようとそれは痛くも痒くもないし、そういう言葉も人間も全部、私の人生でねじ伏せればいい。
だって、人生は続くじゃないですか。私たちだってまだ始まったばかりで。
見せつけるんですよ、私は。いつだって胸張って、堂々と、二人とか関係なく、私はエアの黒須野十子だって、その立ち振舞で嫌って言うほど見せつけてやりますよ」
それは、誓い。それは宣言。己を鼓舞する、高らかなる口上。
いつだって、堂々と胸張って、高らかに笑っている。
それが、一流のアイドルだ。自分の理想だ。
私の中にいる、私が思う私の姿だ。
「――真は?」
と舞台田がたずねる。
「私も同じです。じゃないとそもそも、この三人である必要がないですからね」
「そう。木ノ崎さんは、それでいいですか?」
「そりゃ全部彼女達が決めることだよ。それとパフォーマンスの大部分に関しちゃ舞台田さんがね」
この男は、何も変わらない。たぶんすべて想定通り、そのような余裕と、どこか満足気な笑み。
「……まぁ、パフォーマンスに関しちゃそれこそ具体的にやること山ほどあるからね。とりあえず、次のステージは今まで通りで。もう三日後だしね」
「いいのそれで?」
と松舞うてなが口を挟む。
「……あんたね」
「よくないっしょ。まーなんのステージだか知らないで言ってるけどさ、せっかくこんなやる気なってんだしね。だいたいあんな練習通りのもん見せたって面白くもなんともないでしょ、晃込みでこの三人でやるっつうならさ。だったらあんな誰でもできるようなことじゃなくてこのメンツでしかできないことやらないと」
「三日後って聞いてた? 一万人以上の前でなのよ。しかもまだデビューから二回目」
「だったら尚更っしょ。最初からやっとっきゃいきなり変わってなにーってのもないしさ。なんだろうとそのステージは最初で最後なんだから」
「……三日でできると思ってんの?」
「できるでしょそりゃ、あいつなら。アキラー、あんたできるっしょ?」
「どうですかね。やるならやるだけですし、多分できますよ。バランスはバランスですけどもっといびつにさせるってことですよね」
「あー、まー言ってもしゃあないからとりあえずやってみそ」
うてなに促され、三人は再び、鏡の前に立つ。
そうして、曲が始まった。
戸惑いは、あった。
五十沢の踊りは、ベースはこれまでと同じでありながらかなり違った。まず、動きの一つ一つの輪郭が今まで以上にはっきりしている。それは松舞うてなの踊りに近づいた、といったようなもの。動きの一つ一つ、肉体の一つ一つの解像度が、飛躍的に上がっている。そしてそれは否応なしに左右の二人との差を明確にしている。簡単な話だ。ぼやけているものとはっきりしているもの、その二つを並べれば否が応にも違いがわかる。誰の目にもはっきりしている。視力の悪い人間が裸眼で見る世界と、眼鏡越しに見る世界。それくらいの明確な違い。
無論、二人のダンスの解像度が特別低いわけではない。むしろ逆。彼女達のダンスもまた、十分に高いレベルにある。動きの一つ一つの解像度、輪郭という点で言えば、本来であれば文句のつけようはほとんどない。けれども例えば、どんな一流ダンサーであろうと世界の最高峰である松舞うてなと共に踊れば嫌でもその差が浮き出るのと同じこと。
五十沢晃がすごすぎる。それだけの話。
それだけでももう違うが、五十沢はそこにアレンジを加える。ソロパートをより高度に、激しく。その振付の技術は以前よりはるかに向上している。即興のものとは違い、より曲への理解と「魅せ方」への配慮が強化されたもの。何度も同じ曲を踊ることで、それを自ずと可能にしていた。
五十沢晃がより際立つ。しかしそれでありながら、自己中心的な自己主張とも異なる領域。一人高い次元の踊りを完成させ、披露させながら、他の二人への配慮、もといバランス、全体のまとまり、完成度というものへの注意からは意識をそらさない。どこまでも、あくまで三人で。より、他の二人も押し出すように。
それらを、奇跡的なバランスで、両立させていた。
共に踊る黒須野の胸にあったのは、歓喜のみ。その五十沢を見て、その五十沢と共に踊って、ただひたすらに胸が踊る。
これが晃だ。これこそが、晃なんだ。当たり前に天才で、当たり前にやってのけて、当たり前に、人の心を動かして。
これを、世界に見せるんだ。それを私が邪魔するんなら、私は私を許さない。
この晃に恋い焦がれ、この晃に憧れて、この晃だから、少しでも近づきたいと、そう思ったんだ。
極上を間近で見続ける喜び。それと共に踊る喜び。視覚的にダンスが合う、身体的にシンクロするということより、はるかに繋がりを感じるもの。もっと、別のところで。心で、精神で、魂で繋がっているような、そういう喜び。
鏡の向こうで、ちらりと五十沢の笑みが見えた、気がした。
その笑みと、視線が合った、気がした。
黒須野は、自ずと笑う。
そこへ、そこへ。もっとそこへ。あんたがいる領域へ。あんたが見ている領域へ。
もっとあんたと、一つになって――
それは彼女自身の踊りをもまた、さらなる高みへ押し上げるものだった。
*
曲が終わる。五十沢の額には、薄っすらと汗がにじんでいる。そしてその顔には、心なしか、笑顔。
「どうだったアキラくん」
「ギリギリで面白いですね」
と五十沢はわずかに微笑む。
「こう、ギリギリのとこ攻めたんですよ。あんまりやり過ぎるとほんとに壊れちゃうんで、でも極力エンジン全開? って感じで。それやりながら今までのもそこそこやって、両方やるのとギリギリ保つのでヒリヒリしましたね。ついでに今までやってて色々思いついてたやりたいことも入れて、まーとにかくやること増やしまくったらもっと面白かったです」
それは、どこまでも無邪気な笑み。そしてその言葉が意味しているものを、本当に理解できているものは、おそらく松舞うてな一人。
「あーそうねー、なるほどねー……そうやって勝手にパンク寸前でやらせときゃいいのかあんたは? それも一つのやり方か」
「体の拡張も別のアプローチみたいなのあったかーって感じですよ」
「ふーん。まぁ最初にしては結構できたんじゃない? どうよアヤコ」
「……あんたらほんと気色悪いわね」
「なにが?」
「いや、普通こんなんできることじゃないからね……いつの間にか振付うまくなってるし」
「あー、それはずっと頭の中で考えてたんで。即興だとやっぱあれですけど、同じ曲何回も踊ってると振付もできるようになりますね。ちゃんと見た目とかも意識してみましたし」
「……すごい、特殊っていうか、ほとんどありえないことだけど、晃の振りは晃で好きにやったほうがいいかもね」
「そうですか? でも大部分舞台田さんのですよ」
「うん。だからまぁ、ベースとしてこっちで作って、やってく中であんたが自分のとこはアレンジしていって、もちろんそのアレンジもさ、完璧なほど的確だけど。それでちゃんとあんたの名前も振付に入れると」
「そうなんですか? 私はどっちでもいいですけど必要ならそれでいいですよ」
「うん、あらゆる意味で必要だからそうするね。さて、二人はどうだった? 今の試しの、新しいの」
「私は、晃ちゃんの見てるだけですごい楽しかったですよ」
安積はそう言って笑う。
「外から見てどうかはわかりませんけど、私はこっちのほうが、なんか自由でよかったですね」
「――私も、晃がすごい楽しそうで、それ見てるのも楽しかったし、こっちの方がはっきり、明確に晃が晃で、だから私も絶対に追いついてやるってなるから、だから私も、これがいいです」
と黒須野も答える。
「そっか……木ノ崎さんは、責任者としてどうします? あと三日しかないですし、本番でどうなるかわかりませんけど」
「そりゃゴーよ。やるだけでしょ」
木ノ崎はそう言い、ニカッと笑う。
「大丈夫よ。彼女らなら大丈夫だし、もし大丈夫じゃなくても僕が責任とるだけだしね」
「――じゃあ、やりますか! 真と十子は、あと三日だしとにかくそのまま! 晃はあんたと私とこいつで調整しつつ完成目指すでやってくよ!」
「え、私も?」
とうてなは自分を指差す。
「当たり前でしょ。何のためにここにいんのよ」
「あんたと遊ぶため」
「……いいからやって」
「別にいいけど、いいの? あんたの仕事に手ぇ出すことになるけど」
「いいから言ってんでしょ。晃は例外」
「あーそう。じゃあやるけど、金は?」
「なし。あんたどんだけ私に借りあると思ってんの? たまには返してよね」
「めっちゃ返してるじゃん。今日の昼だって。夜もだし」
「ああいうのは違うでしょ。だいたいあんたの付き合いじゃん。あと二人にもダンス指導よろしく。本物の中の本物を教えてやってよ」
「知ってると思うけど私教えんのめっちゃ下手よ?」
「いいから、お願い」
「ういー」
うてなはそう言い、体を伸ばし、軽く準備運動を始めるのだった。
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